35話 このまま君を連れていきたい
母親である日和、義兄である夕月に連れられ、実家へと帰ってきた日奈。
もう、ここには帰らないと固く誓ったはずなのに、結局、自分はこの家に戻ってきたのだ。これは日奈にとっていつか起こりうる事態だったので、すぐにこの現実を受け入れることにした。
日奈の中には真昼さん、真夜には少し悪いことしたなという後悔があった。
それにもう、真昼さん、真夜とは関わるなという母親からの忠告があるから、もう二人には会えないのかもしれない。
———————こんなのって……。
日奈は唇を忌々しく嚙み締めた。
夕月は家に帰ってから自室に日奈を招いた。
日奈は夕月の部屋に入ると、そこには大量の書物のある本棚、名のある画家が描いた絵画が壁に掛けられていた。
日奈は絵画を眺めてはムッと顔を強張らせてから眺めた。
今の日奈の中には複雑な感情が渦巻いていた。特に憎悪というものが支配していた。
そんな様子を見ていた夕月はやれやれと首を振った。
「久しぶりに絵は描くか?」
夕月の質問に、日奈は一瞬、目を見開き、そして首を振る。
「やっぱ、思い出すのか、あの時のこと……」
「えっと、うん。多分そう」
日奈は絵に対して嫌悪感があった。
それは日奈の過去に関係していた訳で。
「そうか。なら無理には言わないよ。さて、日奈は自室に戻るといい。僕はこれから仕事に集中したいからね」
夕月はそう言いながら、目線を机にある書き物に向ける。
「話はそれだけですか」
「え、まあね」
「何で……」
日奈は近づき、夕月の前にある机をバンと音を立てて、目はギラつかせながら、
「何で! 義兄さんは私をこの家に連れ戻そうとしたの! 私、本当は望んでいないの!」
日奈は叫んだ。それは内に秘めたる思いを一気に吐き出すかのように。
夕月は一瞬、呆気にとられたかのように目を見開くと、すぐに平然を装った。
「日奈。すまない。おじいさまと義母の言うことしか聞けない僕のことを許してくれ。僕は確かに日奈のためを思って、この家に連れ戻すのは反対したんだ。だけど僕にはできなかった。本当にすまない」
「そんなのって……」
「すまない。本当にすまない……」
夕月は終始、日奈に謝り続けた。
だが、日奈にはそんな謝罪など通ることもなく、ただ、嫌悪感に包まれつつあった。
それは義兄に対してか、それとも謝り続ける義兄を許さない自分に対してか。
恐らくその両方が今の日奈の中で支配していた嫌悪感だ。
日奈はぎゅっと唇をかみしめ、ただ俯くしかなかった。
夕月のことを見ては終始いたたまれない気持ちになり、日奈は夕月の部屋から出ていった。
そんな出ていく義妹の後ろ姿を心配そうに眺めると、夕月はまた机へと目線を向けた。
今日みたいな日は、なんというか、どうにも落ち着かないと夕月は思うのだった。
*
日奈は久しぶりに実家にある自室へと帰ってきた。
その部屋にはぬいぐるみの山があった。
ぬいぐるみの山をかき分けていると、そこにはキャンバスがある。キャンバスはなぜか黒塗りにされていた。
日奈は黒塗りのキャンバスを睨みつけながら、
「こんなの……」
と呟きながら、腕を振りかざし、振り下ろそうとした。
咄嗟にこのキャンバスをめちゃくちゃにしてやりたいと思った。
だけど、急に涙があふれて、日奈はその場で蹲った。
この絵は自分のすべてを奪ったはずなのに、どうしてか捨てることができない。
悔しさがただ募る日奈だった。
しばらく日奈は一人、蹲っていると部屋の窓がギィーと音を鳴らし開く。
日奈は思わず窓に注目し、警戒しながら、
「何?」
と呟いていた。
窓から風が少しぶわっと吹いた
日奈は、思わず唖然とした。
窓のそばには、金髪を靡かせた女が一人いる。真昼だ。
「しー」
真昼は人差し指を口元に当て、静かにするようにといったジェスチャーをしていた。
「何でいるの?」
日奈は驚きながら聞いていた。
「何でって? それは日奈を連れていくため」
「連れていくって。私はここから出ることはできない」
日奈は目線をキャンバスの方に向けた。
「大丈夫だよ。日奈」
真昼は日奈の手を握った。
一体、何が大丈夫なんだと日奈は首を傾げた。
「大丈夫だから。日奈はこれからのことは何も考えなくていいから。この家のことなんて全部忘れてさ」
この家のこと忘れていいのと日奈は少しだけ困惑しながら、真昼の言葉に耳を傾けていた。
真昼は窓から入り、部屋へと侵入してくる。
日奈は少し怖くて後ずさりしようとする。
そんな日奈を真昼は少し強引に押し倒した。そして日奈の顔を覗き込んだ。
「私だけを見てよ、日奈」
真昼はそう言いながら微笑んだ。
日奈は顔を背けた。
それでも真夜は日奈のことを見続ける。
「ダメだよ。真昼さん、ここから出たら、また母さんと義兄さんが連れ戻しに来るから」
「んーやっぱりそうだよね。あの家族昔から厄介なんだよね。でも大丈夫だよ。全部私がどうにかするから」
「ど、どうにかするって、で、でも、明日も学校あるし……それに真昼さんにだって、生活はある……」
「そんなのどうでもいい」
真昼は日奈の言葉に覆いかぶさるように言った。
「学校? そんなのどうでもいいじゃん。学校とか家のこととか。とにかく日奈は何も考えなくていいの。強いて言うなら、日奈は私のことだけを考えていればいい。日奈は私のことを見ていればいい。安心して、衣食住の保証はできるから。何不自由なく、永遠に、私と一緒に過ごそう。だから日奈は何にも考えなくていい。全部を忘れて、日奈はとにかく私だけを見て。そのほかのことなんてどうだっていいんだよ。日奈の世界には私だけでいいからだからさ、一緒に逃げよ?」
「真昼さん、怖いよ」
「私が怖いか、そっか、そっか。でもそんなことどうだっていいじゃない。私がお姉さんとしてちゃんとやるし、優しくするよ、痛くしないって」
真昼は不気味に微笑んだ。
日奈はビクビクしながら、真昼の様子を窺っていた。
「わ、分かった。私、真昼さんについて行くから、い、痛くしないで」
「うん! 一緒に行こう! 大丈夫、日奈を傷つけないからさ。むしろ、傷つけるやつなんて私が何とかするからさ」
真昼に引っ張られながら、日奈は家から抜け出した。




