第十一話
突然の襲撃に驚く浪士たちと近藤らの間に緊張感が張りつめる。一瞬、辺りは静寂に包まれた。それを破ったのは一人の浪士の声だった。
「う、うぉぉぉぉぉっ!!」
唸り声を上げ近藤に斬りかかってきた浪士を沖田がすかさず前に出て斬り伏せる。それを合図に戦端が開かれた。
一気に乱闘と化した二階で沙彩は抜刀した。向かってくる相手を斬り伏せ、周囲に目を光らせる。
池田屋の二階は構造上天井が低く、刀を振りかざして戦うには向かない。それもあってか一部の浪士たちはある者は吹き抜けになっている中庭へ飛び降り、ある者は屋根伝いに裏庭に出たりと階下へ逃げ出していく。
「総司!ここは任せた!」
そう叫ぶと近藤は逃げる浪士を追い、登ってきた裏階段から階下へ駆け下りた。近藤は沖田の腕に絶対の信頼を置いている。ここは沖田一人でもなんとかなると判断したのだろう。
沙彩は近藤とは別に表階段へと逃げる浪士を追った。階段前まで追い詰めるとこちらを振り返った浪士は自分を追いかけてきたのが近藤や沖田ではないと気付き、刀を構え斬りかかってきた。
刀では天井に当たり不利だと思ったのだろう、奇声をあげて振り上げられたのは脇差しだ。沙彩はくるりと廻って刀を交わすと翻って浪士の腕を狙う。腕または足を狙い、傷を負わせれば刀を握れないようにすることが、あるいは逃亡を妨げることが出来るだろう。相手が大勢なら難しくとも一対一であればそれくらいの余裕はある。
腕を斬りつけ、脇差を落とさせる。落ちた脇差は廊下の奥に蹴り飛ばした。斬られた腕を押さえ、床に尻をつけて見上げてくる浪士を一瞥すると沙彩は階段へ向かった。浪士の目にはすでに戦意はない。こちらに向かってくることはないだろう。階下からは誰のものともわからない怒声が響いている。急いで階下に降りようとした時だ。
「え……」
何かに足を取られバランスを崩す。身体は重力に引かれるように階段を転がっていった。
***************
灯りのない闇の中で、何故だか周囲はよく見えた。転がる大小様々な石と生い茂る草。僅かに離れたところでは水がかなりの水量を持って流れている。そこは夜の河原だった。
風が髪を揺らしてゆき、違和感を覚えた。その正体にすぐに気づく。音がしないのだ。風の音も水の音も聞こえない。まるで無声映画を見ているような感覚だ。現実感を感じない。
視線を下げると足元に何かが横たわっていた。白のカッターシャツに紺のセーター、臙脂に紺のタータンチェックのミニスカート姿で長い髪をポニーテールに結った少女、それはこの時代に来た時の沙彩だ。
あぁ、これは夢なんだ。唐突にそう理解した。夢を見ているのだ。だから制服姿の自分自身を見下ろしているのだろう。ゆっくりしゃがみ込み、自身に手を伸ばしかけた時だ。近づいてくる殺気を帯びた幾つかの気配。着流し姿の男たちが五人程、それから羽織を着た男が二人。隊服を纏った土方と沖田だ。
不意に殺気が増した。雲の切れ間から顔を出した月が辺りを照らし出した瞬間。それを合図としたかの様に刀を抜いた。繰り広げられる立ち回り。斬られた着流しの男の一人がすぐ近くに倒れこんでくる。瞬く間に五人の男たちは斬られ、土方と沖田は刀を収めた。
ふと、沖田がこちらに視線を向ける。土方に声をかけ、二人で近づいてきた。
いきなり辺りが闇に包まれる。まるで突然電源が切れたみたいに一瞬で何も見えなくなる。しかし今度は唐突に明るくなった。
八畳間に敷かれた布団とその上で身体を起こした沙彩。服装は制服から白の襦袢に変わっていた。四面ある壁のうち三面が襖になっておりそのうちの一面は上半分が障子張りだ。壁に面して文机がある以外は特に物も置かれていないこの部屋を沙彩はよく知っていた。土方の部屋だ。
不意に障子に影が差した。襖の開く気配がする。そこにいるだろう人物を沙彩は見なくてもわかっていた。あの時も、夢かなって思ったのだ。その時は、夢ではなかったけれど……。
そこにいたのは笑顔の沖田と仏頂面の土方だ。
また、闇に包まれる。そして唐突に明るくなる。
その度に場所が変わり、見ているものが変わる。
土方に連れられ訪れた道場での稽古風景と竹刀を手に沖田と向かい合う沙彩。
紫苑で切り落とされた髪を驚いたように見つめる幹部たち。
バラバラの髪に入れられる鋏とそれを操る器用な手先。
星空の下、肩にかけられた黒の羽織。
沖田と斎藤と歩いた京都の街並み。
抱き留められた肩と真っ直ぐに見つめる双眸。強い光みたいで全てを見透かされそうで苦しくなる。
副長室に運ぶお茶と襖を開けた時に見える背中、文机に向かう土方の横顔はいつも厳しい。
東の蔵へ向かう後ろ姿と出てきた時の切れそうなほどの狂気と淀んだ空気。怖いと感じたその気配。
近藤の肩を叩き会議所を出ていった不敵な笑顔。
それはテレビか舞台でも見ているようだった。ついては消え、消えてはついて。目の前を流れていくのはここに来てからの出来事だ。
この時代。幕末に来てから沙彩に起こった様々な事。それらが次々に流れていく。
……何これ?走馬灯……?
そんな思いが頭をよぎる。しかし走馬灯にしては最近のことしか出てこない。
『それはあなたの見てきたもの。あなたがここにいる意味』
どこからか声がする。驚いて辺りを見回すもここにいるのは自分だけだ。何者かの気配は確かに感じるのだが姿は見えない。それがどころか気配のする場所すら特定できない。あえて言うならこの周辺か。
『あなたは来るべくしてここに来た。見守る者として……』
静かな声だ。強さとか弱さとか優しさとか厳しさとか悲しみも喜びも怒りや嬉しさ、獰猛さや優美さや儚さとか。相反するあらゆるものが内包された、それ故に静かで落ち着いた声だ。
『変わりゆく時代、歴史が動く瞬間を見届けるためにあなたはここに来たのです』
「誰?どこにいるの?見届けるってどういうこと!?」
姿を探しながら訊ねてみるも返事はない。空間に声だけが届いている。
『行きなさい。この瞬間にも歴史は流れていきます。追いかけなさい、どこまでも。見届けなさい、最後まで。それがあなたの望みであり、ここにきた理由なのだから……』
突然、光に包まれた。眩しさに目を閉じる……。
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地鳴りのような幾つもの足音と轟くような叫び声。気が付くとそこは階段の下だった。
そうだ。確か階段を降りようとして落ちたのだ。どれほど気を失っていたのだろうか。まだ騒がしいことを思えば然程時間は立っていないのかもしれない。
身体のあちこちが痛みはするが起き上れないほどではない。特に怪我もなさそうで、落ち方は悪くなかったようだ。
状況を思い出す。自分は浪士を追って表階段の方へと来た。しかし浪士の多くは裏庭から逃げていて、近藤は裏口近くの最も広い奥の間で戦っているはずだ。
急いで起き上がると紫苑を握り、走り出した。途中で中庭を抜けると永倉と藤堂が奮闘しているのが目に入った。裏庭から表口へ逃げようとする浪士を永倉が斬り伏せる。
「藤堂さん!永倉さん!」
「沙彩!奥に近藤さんが!」
「ここは俺たちだけでなんとかなる。近藤さんの助太刀に!」
「はい!」
逃げる浪士に斬りかかりながら言われ、頷くと沙彩は奥の間へと向かった。
奥の間では近藤が一人で何人もの浪士を相手に戦っていた。叫び声を上げながら次々に斬っていくその姿は気迫に満ち、鬼神の様ですらあった。
この人が味方で良かった。そう思った刹那、近藤の背後で浪士の一人が刀を振り上げたのが目に入る。
「近藤さん!後ろ!!」
沙彩は叫ぶと同時に地を蹴った。斬りこんでくる浪士と近藤の間へ飛び込み紫苑で刀を受け止める。突然の乱入者に相手が驚いた僅かな隙に沙彩は一歩後ろへ下がると間合いを取り、踏み込む。左胴から薙ぎ払い、相手を斬り伏せた。
「東雲君か!助かった!」
「いえ、ご無事で良かった」
互いに背中を合わせる様に立ち、周囲に目を向けた。囲まれている。数では圧倒的に劣っているが不思議と負ける気はしなかった。背中から伝わる近藤の気迫が場の空気を制している。浪士たちがこちらに踏み込んでこないことが証拠だ。
池田屋に乗り込んでからどれ程の時間が立ったのかはわからない。しかし四国屋もそれほど離れた場所ではない。土方隊が池田屋に駆けつけるまでそんなに時間もかからないはずだ。ならば切り抜けるのはそう難しいことではない。
空気が、動いた。斬りかかってくる浪士に対し、相手の刀が届くより先に懐へと入り込み切り捨てる。
途端に土間の方が騒がしくなった。入り乱れる叫び声に混じり、聞こえた声はすっかり耳に馴染んだ相手のものだ。
「近藤さん!無事か!?」
「原田君!歳!」
飛び込む様に入って来たのは原田で手にした槍を浪士の一人へと繰り出したと思えばぐるりと回し、今度はその長い柄で浪士を打つ。それに続く様に土方も浪士の一人を切り払う。不意をつかれた浪士たちは見る間に一掃されていった。
「よし!一気に片をつけるぞ!」
土方隊の到着により隊士が増えたことから捕縛へと切り替えると近藤は階下を土方に任せ、二階へ上がっていった。
土方は奥の間から土間へと戻ると傷を負った隊士を祇園会議所へ連れて行く様に指示を出す。その中には藤堂の姿もあり、頭から血を流し倒れていた。
「藤堂さん!?」
慌てて駆け寄り声をかける。よく見ると怪我をしているのは額で、そこからは止まることなく血が溢れていた。
土方は袂から手ぬぐいを取り出すとそれを藤堂の額に巻きつけきつく縛った。頸に触れ、脈がある事を確認する。
「平助、死ぬなよ」
そう声をかけ、隊士に藤堂を運ぶよう告げると土方は池田屋の外へと足を向けた。土方を追うように沙彩も外へと向かう。力や体格で劣る自分では怪我人を運ぶにも浪士を取り押さえるにも足手まといになりかねない。
土間を抜け、外に出ようとしたその時だ。ふと気配を感じて振り返った。微弱ではあるが妖気を感じた気がしたのだ。
目を凝らし、辺りを見回す。けれども特に変わった様子はない。妖魔らしき姿も気配も特にはなさそうだ。
気のせいだったかと外に出ると、そこでは土方が数人の武装した男達に睨みをきかせていた。手にした和泉守兼定が青白く光る。どうやら会津藩や桑名藩の応援がようやく到着したらしい。
「何の御用ですかな」
白光りする刀身さながらの冷たい声音で訊ねる土方。その鋭い視線に気圧されたのか中に入ろうとはせず、二の足を踏んでるようだ。土方としてはこの場を譲るわけにはいかないのだ。この討ち入りで新選組の延いては近藤の名を上げさせたい。それはこれからの新選組のために必要なことだ。
「手出しは無用だ。ここは新選組が引き受ける」
「いや、われらとて」
「黙れ。斬られたくなけりゃ大人しくしとくんだな。この乱闘だ、敵味方の区別なんて付きゃしねぇ。隊服着てねぇ奴らが踏み込めば斬られても文句は言えねぇよな」
「なっ!?」
「ここは俺らの戦場だ。後からのこのこ来た奴らにくれてやる謂れはねぇんだよ」
お引き取り願おうと言う土方の底光りするような眼の前にそれ以上は誰も何も言わず、踏み込もうとはしなかった。
池田屋の入り口で威嚇するように外へと視線を向ける土方と背中を合わせるように立ち、沙彩は池田屋内へ目を光らせていた。捕縛する隊士たちの邪魔にならないように気を配りながら、浪士たちが逃げられない様に見張る。次々に捕えられていく浪士達。ほぼ片付きつつある戦場を見つめていると視界の端を何かが過る。先ほども感じた妖気が微かに漂った。
やっぱり、気のせいではない。妖魔がいる。
「土方さん、あの……」
「すみません、ちょっと良いですか?」
土方へと報告しようと振り向いた。同時に聞き覚えのある声がかかる。どこかのんびりとした場違いな声音に沙彩は声のした方へと視線を向けた。
「あれ?沙彩?丁度いいや。手伝ってよ」
そこにいたのはほわっとした笑顔をみせる一人の少年。鈴原朱埜だった。




