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幕末繚乱記  作者: 真柴理桜
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第十話

 強くなってきた日差しを避ける様に木陰に座り、沙彩は前川邸にある東の蔵を見つめていた。朝方、土方がここに入っていくのを見た。それが意味することを、沙彩は知っている。

 庭の緑も濃くなり、季節はもう夏だ。あれが、起こるのかな……。頭の隅でぼんやり考える。

 それは幕末における壮大なテロ計画。そして新選組の名を有名にした事件。池田屋事件……。


 今日は早朝から屯所内が騒がしかった。

 早朝に五番隊組長の武田観柳斎(たけだかんりゅうさい)が隊士たちを率いて捕縛してきた男がいた。それが反幕派の古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)だ。四条小橋上(しじょうこばしあが)真町(しんまち)で炭薪商である枡屋を経営する男で以前からその動向を探っており、不穏な動きの内定を掴んだとして捕縛、枡屋の土蔵(どぞう)からは武器や長州藩との書簡等が発見された。そして古高は今、この蔵の中にいる。土方が入っていった蔵に。

 そこで起こっていることを思い、身震いする。気温は決して寒くはないのに鳥肌が浮いた腕をさすりながら、己自身の手で体をギュッと抱きしめた。

 そんなことしなくても、聞いてくれたらいいのに……。そうすれば、知っている限りで、覚えている限りで、いくらでも話すのに……。そんな思いが胸を占める。

 土方は沙彩に長州藩や土佐藩、薩摩藩のことを聞いてきたことはない。全て自らで調べ、情報を集めている。今回の事も直属の部署である諸士取調役兼監察方(しょしとりしらべやくけんかんさつがた)山崎烝(やまざきすすむ)島田魁(しまだかい)を使い調べていたようで、山崎や島田が土方の部屋を訪れるのを沙彩は何度も見てきた。聞いてこない理由はわかる。聞いたところで何の裏付けもない話を鵜呑みにするわけにはいかない。そんな確証のないものよりも山崎や島田が持ってくる話の方がずっと信頼できるだろう。それはわかっている。でも……。

 考えていても仕方ない。それが沙彩の知る史実通りのことで、この時代において、否、時代など関係なく一つの手法として、用いられるやり方だ。それを止めるだけの力がない以上、嫌なら目を逸らすしかない。けれど、沙彩は蔵から目が離せなかった。

 きっと、どちらが正しいとか間違っているとか、そんなことではなくて。どちらも己の信念を貫こうとする過程だ。そして沙彩は土方に、新選組についたのだ。ならばどんなことからも目を逸らさずにいたい。

 どれくらい時間が過ぎただろうか。いつの間にか日は空の高いところまで昇り、木の影は短くなっていた。

 蔵の扉が細く開く。中から出てきた土方に駆け寄ろうとして立ち上がり、足を止めた。

 土方の纏う空気に身体が(すく)み、動けなかった。触れれば切れそうなほどの狂気を(はら)み、邸内へと足早に向かう姿をただ見送ることしか出来なかった。

 初めて土方を怖いと思った。鬼の副長と呼ばれる一面を垣間見たのは、初めてだった。




「市中焼き払いとはな……とんでもねぇこと考えやがる……」

 土方の話を聞き、原田が唸るような声を上げた。邸内へと戻った土方は幹部たちを集めると古高から聞き出した内容を語ったのだ。それは『風の強い日を狙い御所に火を放ち、その混乱に乗じ朝彦親王(あさひこしんのう)を幽閉する』『京都守護職らを暗殺し、孝明天皇(こうめいてんのう)を長州へ連れ去る』という驚くべきものだった。

「桝屋の土蔵から武器一式が持ち出されたとの報告もある。事は一刻を争うだろう」

 この報告には誰もが色めきだった。それはこの放火計画が机上の空論などではなく実際に行われる可能性を意味する。

「このことは松平様に報告し、会津藩や桑名藩にも応援を頼んである。必ずや阻止せねばならん」

 近藤の言葉にその場の誰もが頷いた。京の街を火の海に変えるような計画だ。実行させるわけにはいかない。

「問題は奴らの潜伏先だな。何処に隠れてやがんのか」

 両腕を組んだ永倉は目を閉じ、思案する様子で眉間に皺を寄せる。しかし何も思いつかなかったのか、すぐに目を開けた。

「いっそ片っ端から改めてくか」

「新八っつぁん、それどんだけかかんだよ……」

 永倉の投げやりとも思える言葉に藤堂が溜息をつく。旅館を全て当たっていてはいつ辿り着けるかわからない。その間に逃げられでもしたらそれこそ厄介だ。

「四国屋に長州や土佐の者がよく出入りをしていると聞きます。今回のこともそこで協議しているのではないでしょうか」

「その可能性もありますが……。東雲さん、何か知りませんか?」

 井上の意見に山南は苦慮(くりょ)(にじ)む顔を沙彩に向けた。その言葉に全員の視線が沙彩に集まる。

「池田屋です。そこでこの襲撃計画の会合が行われます」

 幾つもの視線を受け、沙彩ははっきりと言い切った。池田屋事件は最も有名な出来事だと言っていい。場所は間違いなく池田屋だ。

「……よし、隊を二手にわけるぞ。一隊は池田屋、もう一隊は四国屋だ」

 僅かに思案した後、土方はその二か所に絞ると動ける隊士を二隊に割り振り始めた。

 ……信じてませんね、わたしのこと……。


 池田屋に人員を割いてくれるのだから信じてはくれているのだろう。いるのだろうけど……。

「……池田屋だって言ってるのに……」

 一旦解散し、部屋に戻ってきた沙彩は土方の準備を手伝いながら一人つぶやいた。

 他の出来事は間違えたとしてもこれだけは間違えない自信がある。そう断言できるほどにこの事件は有名だ。根拠もなく池田屋だといわれて信用できるものでもないだろうが沙彩としてはちゃんと根拠があるのだ。だってそれが史実だし。

「……だから隊を分けたんだろうが……」

 ぶつぶつ言っている沙彩に土方は眉間に皺を寄せたまま溜息をついた。これから起こることを知っていると言う沙彩がはっきり断言したくらいだ。その言葉を否定するわけではないが確証がない以上、それを鵜呑みにするわけにはいかない。それでも近藤や沖田をはじめ、隊の主力とも言える人物ばかりを池田屋に割り振ったのは池田屋である可能性を信じたからだ。

「お前は池田屋に行け。四国屋でなければ俺たちもすぐにそっちへ向かう」

「え?わたしも出ていいんですか!?」

 沙彩は驚いて土方を見上げた。外出許可は出るようになったが隊務に参加することはほぼ無かったのだ。今回も割り振られるとすれば屯所守備だと思っていた。

「人手が足りない。それにお前の腕は信用している。奴らを見つけたら何があっても逃がすな。いいな」

「了解です!」

 土方の言葉に沙彩はしっかりと頷いた。我ながら現金だとは思うけれど『信用している』その言葉が嬉しかった。






***************






 午後になり、数人ずつで屯所を出ると一同は祇園会議所(ぎおんかいぎしょ)に集まり、出動準備を始めた。動ける隊士は五十名ほどいたが屯所の守備を考え、出動することになったのは三十名ほどだ。それを二隊にわけ、それぞれ近藤と土方が率いる。近藤隊は池田屋へ、土方隊は四国屋へ向かう手筈だ。

 近藤隊は人数こそ十名と少ないが腕に覚えのある者ばかりだ。沖田、永倉、藤堂と新選組でも一、二を争う剣客(けんきゃく)が揃っている。この顔ぶれだから少ない人数でも乗り切れたのかなと、会議所の壁に寄りかかりながら沙彩は頭のすみで考えていた。そしてその中に自分も入っている。なんかすごいことに参加している気がしてきた……。ここにいていいのかな、わたし……。

「沙彩、何ぼけっとしてんだよ。ちょっとこっちきて」

「え?え?」

 いつの間に来たのか目の前に現れた藤堂に腕を引かれた。連れられるままに近藤たちのもとに行く。

「……東雲君。本当に来るのか?」

 浅葱色の隊服姿の沙彩を見るなり近藤は僅かに眉を(ひそ)めた。

「歳、やっぱり屯所にいてもらう方が……」

「戦力は多い方がいいだろう。こいつは使える。連れていけばいい」

 近藤は困惑気味に土方へ視線を向けるが土方はいつもの仏頂面だ。目で沙彩を指し、言い切る。

「東雲君の腕は俺も認める。しかしだな、東雲君は……」

 難色を示す近藤の困った様な視線に沙彩は苦笑した。近藤の言いたいことはわかる。わかるのだが……。

 事情を知らない隊士は勿論、知っている幹部達も沙彩を他と変わらず接してくれるが近藤だけは違った。髪を切ることで沙彩は女としてではなく男として入隊が認められた。沙彩自身も男として振る舞っているつもりだ。しかし近藤には女として写るようで、口にこそ出さないが訓練に参加することもあまり快く思っていない節がある。隊務に参加するなどもってのほかなのだろう。それはそれで気にかけてくれているのだろうから嬉しくもある。

「近藤さん、わたしも隊士の一人です。新選組として一緒に戦わせてください」

 近藤を見上げ、沙彩ははっきりと告げた。

 新選組にいる以上、何もせずにいるのは嫌だった。隊務に参加するということがどういうことなのか、わからないわけではない。しかしそれは沙彩が今まで身を置いていた環境もあまり変わらない。退魔士としての仕事の中で、場数(ばかず)は相当踏んでいる。斬る相手が妖魔ではなく人間であることに抵抗がないと言えば嘘にはなるが、ここにいると決めた以上はそれ相応の覚悟もしているし、少しでも役に立てるのなら参加したいと思う。

「大丈夫だよ。沙彩ならなんとかなるって」

「そこらの奴よりよっぽど使えるし」

「僕たちもついてるしね」

 藤堂、永倉、沖田に口々に笑顔で言われ、近藤はそれぞれの顔を見渡した。最後に真直ぐな沙彩の視線を受け止め、小さくため息をついた。逸らされることなく見つめてくる双眸は真剣で、そこに秘めれれた意志を曲げることは出来そうにない。

「……仕方ない。だが東雲君、くれぐれも気をつけるんだぞ。無理はするな」

「はい!」

 諦めた様子の近藤とは対称的に沙彩はしっかりと頷いた。


 夜になり御所の各門前に浪士探索決行を告知する高札が掲示された。しかし祇園会議所に集まっているのは新選組のみで、諸藩(しょはん)の姿はない。

「遅い!会津藩や桑名藩は何をしてる!?」

 合流時刻を過ぎても姿を見せない諸藩の面々に近藤は語気も荒くイライラとした様子だ。

「こうしている間にも長州が動き出すやもしれぬのに……!」

 声音に滲む明らかな怒気。同様に苛立っているのだろう、眉間の皺をいつもより深めた土方が口を開いた。

「このまま待ってても仕方ねぇ。俺たちだけで始めるか」

 その言葉に近藤をはじめ、その場にいる者たちの視線が土方に集まった。

「決めるのはあんただ、近藤さん。どうする?」

「決まってるだろう」

 土方の言葉に近藤はニヤリと口元だけで笑って見せる。

「これ以上は待てん!新選組、出撃する!」

「おう!」

 近藤の号令で一斉に(とき)の声が上がった。

「武運を」

 近藤の肩を軽く叩き、笑いかけると土方は会議所を出ていった。

 その後すぐに近藤隊も祗園会議所を出て池田屋に向かった。到着するとまず隣家(りんか)などに問い合わせ間取りの事前調査を行った。次に隊士を表口に三人、裏口に三人、それぞれ配置し出入り口を固め逃走経路を遮断する。それらの用意が整うと近藤は表戸に手をかけた。沖田、永倉、藤堂と共に沙彩もその後に続く。

「主人はおるか!御用改(ごようあらた)めであるぞ!」

 近藤の声が辺りに響いた。

 池田屋主人、惣兵衛(そうべえ)は近藤の姿に驚き、とっさに裏階段を二、三段登った。二階に向かい叫ぶ。

「お二階のお客様!お役人の見回りでございます!」

 その狼狽(ろうばい)ぶりに近藤はこの宿だと確信すると、惣兵衛を殴り倒し、土間に転がした。永倉と藤堂を階下に待機させ、沖田、沙彩を連れて階段を駆け上がる。そこには浪士たちが二十名ほど詰めていた。

「御用改めである!手向かい致せば容赦なく切り捨てるぞ!」

 近藤の大声が響く。

 その声で、辺りは一瞬にして緊迫した空気に包まれた。





 池田屋編開始です。

 このころにはほとんど隊服を着用していないらしいですが……。作中では皆で着てます。新選組といえばやっぱり浅葱色のダンダラ羽織のイメージが強いです。

 それにしても……久しぶりに近藤さんを書いた気がする……。

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