焼かれた心
ダンジョンの入り口がある巨大な建物には、更衣室や大浴場だけでなく、食堂や大型モニターを備えた休憩室まで用意されていた。
風呂上がりの三人はその食堂に集まり、食事を取りながらヒルコの説明に耳を傾ける。
「10階層まで行ってきなさいとは伝えておいたけど、一時間足らずで戻ってくるなんて大したものだわ」
ヒルコは、父親のアキラと一緒にいる時とは雰囲気が変わっていた。
「普通、初心者は二週間くらいかかるのよ。やはり並みの力じゃなかったわね。この様子ならあっという間に上位ランカーへ食い込めそうよ」
子供のような仕草はなりを潜め、テキパキと話を進めていく。
「当面の目標として、一ヶ月以内にここのクリアを目指しなさい。そうすればアセンダーランキングで五十位以内に入れるわよ」
まるで教師のように成男たちへ言葉を並べていた。
「わたしが作ったこのダンジョンは全50階層。さっきみたいに10階層ごとにボスが出てくるから、そこは気をつけなさい」
「あの、質問です!このダンジョンは、ヒルコさん?ヒルコちゃん?がつくったのですか?」
由貴が手を上げて、先ほどの言葉の意味を確認した。
アキラから三千歳と聞いていたので、接し方に戸惑いが見える。
「“さん”でも“ちゃん”でも、どっちでもいいわ。そうよ、パパにお願いされて、幽世を具現化させたの」
「ヒルコさん……かくりよ?ってなんすか?」
「あの世って意味ね。わたし、世界幽世連盟の理事長だから」
ピンクの髪を手で払って胸を張る姿は、その肩書に見合った堂々としたもの。
「えと……あの世で一番偉い人ってことですかね?」
由貴は、首を捻りながらもなんとか理解しようとしていたが、その頭からは今にも煙が出そうになっている。
「その解釈で間違ってないわ。きっとアナタたちが死んだ時に、死後の世界でまた会えるわよ」
「そ、そうなんですね……」
薄く笑うヒルコの姿に、由貴が小さく震えた。
「ふむ。ヒルコ嬢は、ずいぶんと立派な御役目をはたしているのだな」
成男は顎をさすりながら、感心したように目を細める。
「今の話聞いてその感想って……ほんと成男は動じないわねぇ」
真白が呆れたように溜息をついた。
「なに、ヒルコ嬢の気配は並みの妖魔が放つものではない。むしろ、得心がいった!」
その言葉は、過去に似たような存在と相対したことを意味していた。
「それは、私も感じていたけど……それで、次のダンジョンアタックはいつにするの?」
「鉄は熱いうちに打つものよ……当然、今からだ!」
成男は瞳に炎を宿し、当たり前だと言い放った。
「え!?マジかよおっさん!」
「ま、成男ならそう言うわよねぇ……やると決めたら一直線だもの」
驚く由貴と、当然のように受け入れる真白。
成男は残った食べ物を頬張ると、勢いよく席を立つ。
「……待ちなさい、それは認められないわ」
だが、成男の暴走にヒルコが待ったをかけた。
「ダンジョンのモンスターは、10階層ごとに掛け算で強くなるわ。初心者が無理すると……死ぬわよ」
そして落ち着かせるように、低く冷たい声で忠告をする。
「それに、普通は過去のアセンダーたちの動画を見て、対策を講じてから挑むのよ。初心者なら必ずそうしなさい」
諭すような言葉を告げるヒルコへ、成男は眼力を強くした。
「オレは過去を振り返らぬ……道があるのなら前に進むのみよ!立ち止まるなど妥協と言えよう!」
強さを過信し、いきっているわけではない。
それが己の生き様だと告げていた。
「もちろん、私はついていくわよ」
真白は立ち上がって、当然のように支度を始める。
「あ、あたしも、行けるとこまでは行きたいかなーって……」
由貴は風呂上がりに、自分たちのダンジョンアタックでの再生数をスマホで確認していた。
そこに表示された驚異的な再生数を見て、貰える収益金を想像し、その金額に目がくらんでいた。
「……我儘言ってんじゃないわよ……餓鬼ども」
突然、食堂のテーブルが手も触れずに割れる。
まだ昼だというのに、部屋が薄暗くなっていった。
「わたしのダンジョンを舐めないで……」
周囲から、人ならざる者の呻き声が聞こえ始める。
床には黒い呪言が大量の虫のように這い回っていた。
ヒルコの身から漏れ出しているのは“呪力”。
触れるだけで人を弱らせ、時に命すら奪う危険な力。
「ハッ……ハッ……ハッ……!」
由貴はまともに息も吸えずに、割れたテーブルへ覆い被さって、ヨダレを垂らしながら気を失いかけている。
場に満ちているのは恐怖そのもの。
魑魅魍魎の蠢く幽世の世界が垣間見えていた。
「流石に……スゴイわねぇ」
真白は、冷や汗を流しながらも、陰陽師の持つ“霊力”を身にまといヒルコの呪力にあらがう。
そんな中、成男は一人、ダンジョンの入り口へトコトコと歩いていた。
まるで、呪力の影響を一切受けないかのような悠然とした態度で、二人を置いてダンジョンに向かう。
「ちょっとアナタ!どういうつもり?」
試験会場で測った成男の実力からいって、この程度の呪力をものともしないのは理解できた。
だが、仲間を置き去りにして一人で歩む姿は、あまりにも薄情に見えた。
ヒルコに問いかけられ、振り返った成男。
そこにあったのは、太陽のような笑顔だった。
「ヒルコ嬢は、まっこと優しいな!」
それだけ口にして、また歩き始める。
「……なによ、アレ」
ヒルコは、成男の輝くような笑顔と言葉に面食らい、呪力の放出を止めた。
「ガハッ……!ハァ……ハァ……」
意識を手放す寸前だった由貴が、息を荒げて必死に呼吸をしはじめる。
「ヒルコさん……本気じゃなかったのでしょう?」
真白はまとっていた霊力を解き、成男を追うように歩き始めた。
「この先には、今以上の危険があることを教えてくれたのよねぇ」
真白の歩みには、一切の乱れがない。
モデルとして磨き上げられた歩みは、ただの一歩を美しく彩る。
「でも、成男は止まらないわよ……たとえ、神が相手でも」
愛おしそうに名前を口にして、実感のこもった言葉を告げて歩き去る。
「……なんなのよ、あのおまんじゅう」
ヒルコは、理解できないというように小さく呟く。
確かに本気ではなかったが、それでも並のアセンダーなら気絶するか、言うことを聞くようになっただろう。
少なくとも、緊張で体を固めるくらいはするはずだった。
なのに、あの笑顔はまるでーー。
「あ、あたしも……いくぜ……」
由貴は、震える腕で体を起こし、歯を食いしばって前を向いた。
「アナタはやめておいた方がいいわよ、地道に進みなさい」
「あたしには……金がいるんだ!」
瞳に覚悟を映し、ゆっくりと前に足を進めていった。
「……もう!なんなのよ!こっちの気も知らないで!」
ヒルコがツインテールを逆立てて、言うことを聞かない初心者に苛立ちをつのらせる。
「パパが悲しむから、絶対に死者は出せないのよ!」
運営としての絶対条件は死亡事故の防止。
そのために、これまでいくつもの安全対策を講じてきた。
それでもモンスターと戦うダンジョンである以上、事故の可能性をゼロにはできない。
「ハァ……あのおまんじゅうは危なすぎるわ」
イレギュラー。
その存在が計り知れない。
「しばらく見張ってなきゃいけないようね」
ヒルコは、ため息をついて成男たち三人の後を追う。
だが、彼女は気づいていなかった。
先ほど成男が見せた笑顔。
その眩しさにほんの少し、心が焼かれていたことを。




