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失恋の痛み

 風呂上がりの脱衣所で、女性二人は髪を乾かしていた。


「やっぱ、ショートは乾くの早くて楽っす!」


 由貴が雑な手櫛で髪を整える。

 

「マシロさんの銀髪って、めちゃめちゃ綺麗に染まってますよね?やっぱ、有名な美容院とか行くんすか?」


 興味津々に聞いてくる姿を、私は微笑ましく思った。


「これ、地毛なのよ」


「マジっすか!やっぱカリスマモデルは産まれた時からスゲーっすね!」


 有名人になって、知らない人から声を掛けられる機会が増えた。

 そのことで、随分と人当たりが良くなったと思う。

 昔の自分からは想像がつかないほどの変わりようだ。

 

 幼少期から特別な存在として扱われ、周囲の者が一線を引いて接してくる環境だった。

 あの頃は、孤独という状況が当たり前なのだと認識していた。

 寂しさを感じない代わりに、他の感情が通うこともない人生。

 それを変えてくれたのが成男だった。


 私は他の誰よりも成男の幸せを願っている。

 それなのに由貴の裸体を見て、彼が惹かれないだろうことに安心してしまう。

 そんな自分の醜さに、小さく溜息をついた。

 

 漏れた息がドライヤーの風に混ざり、銀の髪をそよがせる。

 子供のころあれほど嫌いだった色が、今は唯一の自信となっていた。

 その理由も彼の言葉。


 私が人として自由に生きられているのは、すべて成男のおかげだった。

 彼は、私のせいで一番大切なものを失ったというのに。


 私の生家は、日本四大陰陽師家の一つ“白月家”。

 その中でも、無数に枝分かれする分家の末端だった。


 陰陽師というのは、日本を外敵から守るために霊力を駆使して戦う者の総称。

 その力は生身で炎や雷を繰り出し、妖魔や異能者を退治することを生業としていた。

 

 この銀髪は、白月において高い霊力を持って生まれた証。

 歴代の白月家当主は、そのほとんどが銀髪だったという。


 両親は、銀髪の子が産まれたことを大層喜んだらしい。

 そして、物心つくまえから私を本家へと譲り渡した。

 彼らは我が子を愛するよりも、白月に尽くすことを優先したのだ。


 私の人生に、選択肢など最初から存在しなかった。

 

 白月の当主になる。

 過酷な修行の途中で命を落とす。

 許されたのは、その二つだけ。

 

 そんな生活に感情が挟まる余地などなかった。

 与えられた試練を淡々とこなす日々。

 体が傷つき血を吐くほどの苦痛を受けても、治療された後はまた同じことをやらされる。

 そこに妥協はなかった。


 自分の意志など持ちようもない。

 機械のようにこなさなければ、きっと心が持たなかっただろう。

 それでも、時折考えることがあった。

 『もし、自分が銀髪に生まれなければ、どんな人生を歩んだだろうか?』と。

 

 親に貰ったのは、より髪が白く輝くようにという意味を込めた“真白”という名前だけ。

 周囲の人間は私を崇め讃えていたが、その対象は銀髪にのみ注がれていた。

 だからどうしても思ってしまう。

 『この世界に必要とされているのはこの銀髪であって、私本人ではないのではないか?』と。

 それらを考えてしまうと、無意識に自分で髪を抜く癖がついてしまった。


 成男に出会ったのは十二歳のころ。

 陰陽師の世界では有名だった武術道場へ通い始めた時だ。

 彼はそこの次男で、陰陽師であれば誰もが知る人物だった。


 生まれながらの剣聖。

 剣に愛されし者。

 すでに成りし男。


 齢十四にして、数多の伝説を打ち立てていた稀代の剣士。

 だが、本人はそんな評判が不釣り合いなほど気さくな青年だった。

 なにより、白月の者たちとは違い、銀髪の私に対等な態度で接してくれた。


『お嬢、そんなやせっぽっちでは、たわわになれぬぞ。オレが美味いものをつくってやるから、たんと食べよ』

『お嬢、一緒にゲームをやらぬか?FPSや格闘ゲームは武道に通ずるものがある』

『お嬢、スマホも持っておらぬのか?ならばオレのお古を使うとよい。動画配信もみれるからな』

『お嬢——』


 気づけば道場へ通うのを楽しみにしている自分がいた。

 私にとって、特別な人というのが初めてできたのだ。

 

 だが、本来ならば、白月の次期当主に気軽に接することなど許されないこと。

 成男の干渉を嫌った白月家は、強く抗議したらしい。

 それを成男は、自身の剣で弾き返した。

 『オレに言うことを聞かせたければ、戦って勝ってみせよ』と。

 

 結果、白月の人間は、誰一人として成男へ勝てなかった。

 成男の道場は、白月家当主となるために必要な修行場とされていたので、周囲の人間は渋々ながら成男の干渉を許した。

 

 彼のおかげで、生まれて初めて自由に過ごせる時間と場所ができた。

 もちろん道場での修練は厳しかったが、そこには成男がいてくれるのだ。

 修練が終われば遊んでくれるし、他愛のない話を聞かせてくれた。

 一緒に通っている子供たちとも、年相応に遊ぶことができた。


 彼は、私の太陽だった。

 一緒にいれば、心があたたかいもので満たされた。

 

『お嬢の髪は、まっこと美しいな。まるで月の光を見ているようだ』


 一生忘れることのない言葉。

 

 生きていてよかった。

 自然と流れた涙を、彼に気づかれないように必死で隠した。


 その後、髪を抜く癖はなくなった。

 普通に笑い、普通に怒り、普通に愚痴をこぼす。

 私は、彼のおかげで人間らしさというものを手に入れた。

 

 だが、私はその恩を、許されない仇で返してしまう。

 

 道場に通う期限は三年。

 それが経ってしまった時のことだ。

 

「お嬢、またいつでも遊びにくるがよい」


 そう言ってほがらかに笑う成男へ、私は醜い我儘をぶつけてしまった。

 きっともう気軽には会えない、それがわかっていたからだ。

 

 私の霊力はすでに他の当主候補者を圧倒していた。

 きっとそのうち他所から婿を取り、当主の座に納められる。

 その後は一生自由のない立場として、再び機械のように心を失くし過ごすだろう。

 彼と離れ、ただ白月のためだけに、再び人形となった時間を送る日々が待っていた。


「私は……もう遊びになんて来られない……この先は、終わった人生なのよ……」


 思い返しても酷い言葉を投げたと思う。


「こんなことなら……アナタに出会わなければよかった!自由など知らねばよかった!」


 まるで子供の癇癪。


「私の世界は!名前と反対で!真っ黒なのよ!」


 言われた方が困るだけの暴言。


「成男は無敵の剣士なのよねぇ!?だったら!私を助けてよぉ!」


 生まれて初めての我儘を、泣きながら全力で叫んだ。


 言葉を歪んだ刃にして、彼の心に傷として残したかった。

 せめて自分という存在をずっと忘れずにいて欲しいという、酷く浅ましい行為。


 だが、そんな私の頭を成男は優しく撫でてくれた。


「……そうか、お嬢は苦しんでいたのだな」


 揺れる視界に映っていたのは、申し訳なさそうに顎をさする彼の姿。


「気づけずにすまなんだ。ここで少々待ってはくれぬか?オレがなんとかしてみせよう」


 成男は木刀を取りに行ったあと、私を迎えに来た車へ乗り込むと、そのままどこかへ行ってしまった。

 ちらりと見えた運転手の顔は真っ青で、体は震えているように見えた。


 私は言われたまま、呆然とその場に立ちすくんでいた。

 何も考えられず、吐き出した言葉をただ後悔するだけの時間が過ぎる。

 やがて成男は、行きと同じ運転手に送られて帰ってきた。


 体に無数の傷をつくって。

 特に右腕にはハッキリと黒いアザが出来ていた。


「な、成男……ど、どうしたの?大丈夫なの!?」


 彼の身に、何が起きたのかはわからない。

 だが、尋常な事態ではないのはわかっていた。


 成男が傷を負ったことなんて、この三年で一度も見たことがなかったから。


「なに、心配せんでもかすり傷よ」


 何でもないことのように笑い、続けて信じられないことを口にした。


「お嬢の人生は、もう白月に縛られることはない」


 告げられたのは、白月家からの解放。


「詳しい話は、当主から聞くとよい」


 成男は、再び私の銀髪を優しく撫でると、車を指差し本家へ向かえと告げた。


「だが忘れるな、自由とは戦いよ。ここからは、己が力で進んでみせよ」


 そこに甘やかす視線はなかった。


「真白!この先は自由に生きよ!名前の通り、真っ白な地図に幸せを描くようにな!」


 その言葉が、心の深い所に響く。

 まるで、彼から新たに名前をもらい、生まれ変わった気持ちだった。


 車に乗っても心と体がふわりと浮かんでいるようで、シートベルトをしっかりと握り締めていた。

 それでも成男が自分のために動いてくれて、人生すべてを変えてくれたのだと信じられた。


 彼はまさしく、私の太陽だった。

 その光で、私の暗い人生を明るいものへと変えてくれたのだろう。


 きっとこれから全部が上手くいく。

 自由になった私は、いつでも彼と会えるようになる。

 この先に待っているのは、光り輝く未来なのだ。


 だが、私はどこまでも愚かだった。

 木刀を手に向かったはずなのに、帰ってきた時、それが握られていなかったことへと気づかぬほどに。


 

「——白月真白を廃嫡する」


 本家の広間で、現当主であり義理の父でもある白月巌(いわお)から告げられたのは、確かに解放の言葉だった。


「おぬしは元の生家に帰れ、籍も元に戻す」


 銀髪の当主は酷く疲れた有様で、ため息混じりに真白へ告げた。


「……御父様、恐れながら、何があったのかを教えては下さいませんか?」


 私は正座のまま、頭を下げて説明を求めた。

 確かに当主候補は何名かいた。

 だが、ほとんど決まりかけていた自分がこうも簡単に外されるような異常事態は、白月にとって大事件と言っても過言ではない。


「……おぬしは、何も知らずにあの化物を寄こしたというわけか……」


 当主は上座で腕を組み、威厳を崩さない姿勢をとる。

 しかし、服は乱れ、息をすることさえ辛そうだった。


「奴は、我が白月の守護神“建御雷”様と戦い……直接取引をした」


 建御雷(タケミカズチ)。

 それは、白月にとって絶対的な存在。

 古来より、白月を守り導いてきた神だった。


「まさか……そんな!」


 守護神は当主だけが呼び出せる。

 つまり、一子相伝ともいえる秘術、“神降ろし”を使ったと告げていた。


「我が神は、あやつに申された。『こちらが次期当主を手放す代わりに、お前は何を手放すのだ』と」


 真白は、自分の体温が急激に下がるのを感じた。

 

「すると奴は言った——『剣を置く』とな」


 その言葉に、思わず眩暈が起きる。

 歯の根が合わず、ガチガチと歪な音を立てた。


「そして、奴は地面に木刀を突き刺して去っていった。まるで、嵐のような男よ」


 当主の顔は苦笑いを浮かべていたが、どことなく楽しげな気配を表していた。


「真白、お前は今日から自由の身となる……だが、忘れるな!その自由は、奴の魂を犠牲にして手に入れたということをな!」


 鋭い眼光で睨み、代償の大きさを私の心に刻みつける。


「神との契約は呪いに近い、奴の右腕にアザが刻まれておったろう?あれが二度と剣を握らんという証だ」


「……」

 

「破れば奴の命は無い……もし、それを解きたくば、奴を伴侶に迎えた上で白月に戻れ」


 その目に映ったのは義理の父としての情ではない。


「さすれば我が神も、きっと解呪を聞き届けようぞ」


 私ではなく、成男に執着するような光を浮かべていた。


「そんな……」


 彼が私を選ぶことはない。

 それは成男が、生涯剣を持たないことを意味していた。


「……きっと奴は、それを解く気も無いだろうがな……真に大した男よ」


 神を降ろせるほどの陰陽師が認める剣士。

 そんな成男の剣を、自分の我儘で奪ってしまった。


「それか、奴の行為を無駄にして、白月当主となり武御雷様へ直接許しを乞うかだな」

 

 彼の命を懸けてくれた優しさを、無駄になどできるはずもない。

 

 自らが犯した罪の大きさに、呼吸の仕方を忘れてしまう。

 吐き気と酸欠で今にも倒れそうだった。


「真白……しっかり前を見よ!お前がそんな情けない姿で、奴が喜ぶと思うのか!」


 義理の父親が、娘に本気の怒りを見せる。


「おぬしの新たな生はここより始まるだろう!奴に恥ずかしくない生き様を見せてやれ!」


 最初で最後の親としての言葉。


「……はい、御父様……今まで……お世話になりました」


 歯を強く喰いしばり、必死に意識を繋ぎとめた。

 気を抜くと、意識と一緒に、涙も落としてしまいそうだった。

 

 だが、それは許されない。

 許されてはいけない。


「庭に奴の木刀が刺さっておる……最後に見届けていくがよい」


 それだけ伝え、当主は部屋を出ていく。

 私は力の入らない体を無理矢理動かして、教えられた場所へ向かった。

 

 そこにあったのは、地面に突き刺さった白木の木刀。

 刀身には無数の刀傷と、黒く焼け焦げた跡がまばらに残っていた。

 

 ひと目見ただけでわかる。

 彼は私のために命を懸けてくれた。

 

 震える体で木刀にすがりつく。

 そこにはまだ彼の熱が宿っているようで、ほんのりとあたたかさが伝わってきた。


 彼に、何を返せばいいのかがわからない。

 この身も、心も、魂さえも、彼が喜んでくれるならいくらでも捧げる。

 

 でも、きっと彼はそれを喜ばない。

 彼の心には、絶対的な一つしか映っていないから。

 それは私ではどうしようもできない物。


 ならば、私にできることは、きっと充実した幸せな姿を見せることだけ。

 彼がくれた真っ白な地図に、美しい景色を描き続けるのだ。

 それだけが唯一、私にできる恩返しなのだから。


 こうして私は新たな生活をはじめ、興味のある世界へ次々と飛び込んでいった。

 サバイバルゲームやネット対戦ゲームもその一つ。

 

 一緒に遊ぶ成男の前では、精一杯元気な姿を見せた。

 悲しい顔を彼が喜ぶなんて思えないから。

 彼のおかげで、美しく羽ばたけている姿を見せたかった。

 そして、白月の名を消して“マシロ”という芸名を使い、モデルの世界で活躍し今に至る。

 だから私のすべては、本来、彼のものなのだ——。


「マシロさーん、先に行ってますねー!」


 不意に掛けられた由貴の声で、現実へと引き戻された。


「……はーい、すぐに行くわ」

 

 髪はすでに乾いている。

 どうやら長いこと、過去の思い出に浸っていたらしい。


 あの日、木刀の前で私は泣かなかった。

 そして、あの我儘を言った時以来、一度も涙は流していない。


 それを許されるのは、彼が夢を叶え幸せになった時だけだろう。

 その時は、お祝いしながら盛大に泣いてみせよう。


 喜びと感謝。

 それと、失恋の痛みも込めて。

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