涙の意味は
ダンジョンへの入場資格試験は、都内にある私立高校の体育館で行われた。
「皆さま、本日はお集まりいただき大変ありがとうございます」
普通の学校よりも三倍は広い体育館に、壇上から男の声が響き渡る。
「受験者千二百五十名。全員お揃いになりましたので、これよりダンジョンへの入場資格試験を始めさせていただきます」
壇上にはシルバーメッシュの髪色をした三十歳前後の男性が立っており、マイクへ向かい話を続けていた。
「僕は竹内アキラ、この学園の学園長です。そして、すべてのダンジョンの責任者を務めております」
ほがらかに微笑むアキラは、口にした立場を思うとあまりにも若く見えた。
「ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、試験内容は非常にシンプルなものです」
椅子に並んで座る受験者を見渡して、壇上へ昇る短い階段を指差す。
「順番にこちらへ歩いていただき、壇上への階段を上り、僕の目の前に来ることができたら合格。それだけです」
あまりにもわかりやすく、冗談のような試験内容だった。
それでも受験者からは疑問の声やざわめきは出ない。
——ただひとりをのぞいては。
「……簡単すぎぬか?」
受験者の中ほどに座る、全身を白の服で固めたちょんまげ頭の男に周囲の視線が集まる。
「なんだあの真っ白なチビデブ?この有名な試験も知らないのか?」
「合格率1%以下だと言われているのにな。見るからに弱そうだし、冷やかしで来たんじゃね?」
「というかアイツ……臭くないか?さっきから、ここまで匂うぞ……」
受験生たちが、成男を冷ややかに眺めていた。
「僕は、できるだけ人に傷ついて欲しくないんです。だから簡単で怪我をしない方法を考えました」
成男の質問に、丁寧な答えを返すアキラ。
「ふむ、本当に簡素な試験だ。もはや美しさすら感じる」
腕を組んで感心したように頷く成男。
「ありがとう。それでは、前の列から順にこちらへ向かってください」
アキラの言葉で最前列の五十人が椅子から立ち上がり、五段しかない壇上への階段に向かい歩き始めた。
だが、異変はすぐに起きる。
壇上へ向かっていた受験生たちが、次々と足を止めたのだ。
そして何かから逃げるように、出口へ駆け出した。
階段まで辿り着く者も、一段登ればすぐに引き返す。
二段まで上がる者は稀で、三段目に足を掛けた者は喉を押さえながら慌てて引き返した。
しかし、挑戦者が五百人を超えた頃、ついに五段ある階段を上り切り、壇上へ上がる者が現れる。
「う、うおっしゃー!クリアーしたぜー!」
這うように階段を上り切ったのは、制服姿のボーイッシュな少女。
息を激しく切らしながら、震える足で無理矢理立ち上がりガッツポーズを繰り出した。
八重歯を見せて合格を喜ぶが、金髪ショートの髪が汗でオデコに張り付いている。
「おめでとう、素晴らしい頑張りでしたね」
アキラが嬉しそうに拍手を送る。
その瞳は、人の可能性を見届けたように、喜びで光り輝いていた。
「ふむ、やっと一人か。見た目と違い、確かに困難な試験のようだな」
成男の呟きに、周囲の人間が緊張で喉を鳴らした。
その後百人ほど挑戦したところで、ようやく成男の順番になる。
他の受験者と共に壇上を目指し、この試験の本当の姿をその身に感じた。
「なるほど、恐怖が圧力となって襲ってくるわけか……」
成男の皮膚が粟立つ。
一歩進むごとに圧が強まり、殺気すら感じ始める。
一緒に挑んだ受験者は、すでに全員が引き返した。
「だがこの程度、オレには試練と呼べぬよ」
歩みを緩めず階段に足をかける。
その瞬間、成男の全身に鋭い殺気が突き刺さった。
まるで、無数の刃に体を刻まれたような痛みすら感じる。
もう一段上がると、今度は全身に火がついたような熱が襲ってきた。
さらにもう一段、次は水中に引きずり込まれたように体が重く、呼吸も吸えなくなった。
それでも成男は足を止めない。
ただ静かに前を見据え、一歩また一歩と階段を上っていく。
そのままアキラのいる壇上へあっさりと辿り着いた。
「おめでとう、素晴らしい頑張りでしたね」
少女の時と変わらない嬉しそうな笑顔。
言葉や雰囲気もまるで同じ。
だが、それが心配そうな表情に変わる。
「でも、それ以上は進まないほうがいいですよ?」
アキラの忠告。
それは、壇上に上がっても歩みを止めない成男に告げられていた。
向かった先は、アキラの後ろにある垂れ幕。
すると、先ほどまでとは比べ物にならないほどの殺気が成男を襲う。
体育館全体に広まった殺気を受けて、残っていた受験者たちが青い顔をして逃げ出していった。
「や、やめろ……おっさん……」
先ほど合格した少女がその場に座り込み、息を浅くしながら呟く。
だが、成男は構わず、分厚い幕をカーテンのように左右へ開いた。
「ふむ……キミが殺気の主か」
そこにいたのは、ゴスロリ衣装を身にまとった美しい少女。
ピンクの髪を黒いリボンでツインテールにし、綺麗な縦ロールを揺らしている。
彼女はその大きな瞳で、成男を興味深そうに見据えていた。
「あら、見つかっちゃった」
まるでイタズラがバレた子供のように舌を出し、楽しそうに微笑む。
その姿は十代前半に見えるが、瞳には見た目にそぐわない妖艶さが浮かんでいた。
「試験官殿からは殺気を感じぬからな、悪戯好きな鬼でもおるのかと思ったのだが……」
いまだ汗ひとつかかずに余裕を見せる成男に、少女の視線は好奇心を浮かべる。
「うふふ……あなた、ずいぶんとステキな香りを漂わせてるのね」
「ふむ、オレの香気がわかるとは、お嬢の将来は随分と楽しみよな」
成男は顎に手を当て、目を細める。
すると、アキラが近づいて少女の隣に立ち、その細い肩に手を置いた。
「この子は、僕の大切な娘なんだ」
「初めまして、おまんじゅうみたいなお兄さん。わたしはヒルコ、よろしくね」
片足を下げ、スカートの端を摘んで挨拶をする姿は、育ちの良さがうかがえる。
「オレは平成男。ダンジョンとやらに興味があって、ここに参った」
「ふーん、成男……ね。とりあえず試験は合格よ、ね?パパ」
「うん、今回の合格者は二名だね」
アキラは、いまだに座り込んでいる金髪少女を見て、試験の終了を告げた。
「ところで、成男君はいくつ?まだ独身かな?」
突然、アキラから質問をされる。
「オレは二十六歳、独り身よ。いまだ理想は彼方ゆえな」
「そっか、ならヒルちゃんをお嫁さんにしない?」
「ちょ、ちょっとパパ!突然なに言い出すのよ!」
驚いて抗議の声を上げるヒルコ。
「だって、ヒルちゃんが人に興味を持つなんて、とっても珍しいからさ」
「だからって、娘の縁談を勝手に進めないで!」
頬を膨らませ、可愛らしく怒るヒルコは中学生くらいに見えた。
「ふむ、申し出はありがたいが、ロリっ子はいかん」
申し訳なさそうに断りを口にする成男。
だが、アキラはとんでもないことを告げる。
「年のことなら大丈夫だよ、ヒルちゃんは三千歳近いから」
あまりにも常識外れな発言。
「パパ!乙女の年を明かさないでよ!」
だが、それをヒルコは否定しなかった。
「年の問題ではない、ツルペタでは夢に届かぬのでな」
さらに成男は、その話を疑いもせずにあらためて断りを入れる。
「お、おまえら……なに言ってやがる……」
座ったままの金髪少女が、震えながら呟いた。
「狂ってやがるのか……?嫁にだの、三千歳だの……」
そこにあるのは異常な者たちへの恐怖。
先ほどの殺気を受けて弱っていた心に負荷が掛かって、その顔は真っ青になっている。
「本当のことだもの。それと、わたしの好みはパパみたいな人よ。絶対に妥協はしないわ」
断られたことを気にもせず、ヒルコはアキラに抱きつく。
「もう、ヒルちゃんは甘えん坊だなぁ。でもそれだと一生結婚できなくて、パパは心配だよ」
複雑な顔で娘を抱きしめるアキラ。
その姿を見て、成男はニヤリと笑う。
「妥協はしないか……オレも同じよ。必ずや夢を叶えて涅槃へゆく、そのための命ゆえな」
「そうなの?ちなみにその夢ってなにかな?」
アキラが興味深そうに聞いた。
すると成男は瞳を燃やし、腕を組んで背筋を伸ばした。
「オレの夢は!女性のたわわに埋もれ!すべての煩悩を吐き出すことにある!」
魂から叫ぶように、なんの恥じらいもなく下品な欲望を口にしていた。
「だからすまぬな、お嬢……この縁談は受けてやれぬ」
「いや!わたしはお願いしてないから!」
ヒルコは、心外だと言わんばかりに腰に手を当て、再び頬を膨らませた。
「そっか、残念だけど仕方がないね。なら、とりあえずダンジョンの話をしたいから二人とも場所を移そうか。君の名前と年齢も教えてくれるかな?」
アキラが金髪少女に目を向けると、彼女は体をビクリと震わせた。
「あ、あたしの名前……は、加納由貴。年は十八……です」
心身がかなり疲労しているのだろう。
由貴は額から汗を垂らしながら、振り絞るように答えた。
「ならユキちゃんだね。向こうに休むところもあるからユキちゃんも一緒に行こう」
アキラは由貴に手を貸して、ゆっくりと立ち上がらせた。
「そうだ成男君、君はダンジョンで何をしたいんだい?」
由貴を支えながら、面接のようにアキラが問う。
「ダンジョンは戦場なのであろう?ならば決まっておろう……」
成男は、瞳を燃やしたまま強く見開く。
「オレは熱く生く!魂を燃やしてこそ人の生き様よ!」
「……そっか!」
アキラが見せたのは、太陽のような笑顔。
「じゃあ君は……世界の秘密を知ることになるかもしれないね」
その頬には、一筋の涙がこぼれていた。




