EP 9
盤上の泥沼戦争『梅太郎伝説』と、リアル疫病神の無限ループ
ザァァァァァァァァ――ッッ!!
ゴロゴロ、ドォォォォンッ!!
外は、視界を白く染め上げるほどの猛烈な暴風雨だった。
ポポロ山の稜線を揺るがす雷鳴が轟き、公邸の分厚い二重窓を容赦なく打ち据えている。
普段なら自警団が哨戒に出る時間帯だが、今夜ばかりは対魔防空ドームを通常出力から三割増しに引き上げ、村人全員に早期の屋内退避勧告が出されていた。
だが――そんな天変地異の荒れ模様すら生ぬるいと感じるほどの『地獄』が、ポポロ村長公邸の暖かいリビングの中で、まさに現在進行形で繰り広げられていたのである。
「おい手羽先天使!! なんで私に擦り付けんだよテメェェエエエッッ!!」
「ぎゃははは! キャルルちゃん現在総資産トップじゃん! 当然のヘイト管理でしょ〜☆ さぁ受け取りな、特急カードからの貧乏神擦り付けコンボだよぉん♡」
「あぁっ……! あぁぁぁああああっっ!! 私の……私のなけなしの『たまんネギ農園(年収十万円)』がぁっ! 貧乏神の気まぐれ爆破で消滅してしまいましたわぁぁあああん!!」
畳敷きのスペースに置かれたローテーブルの上。
そこに鎮座していたのは、ルナミス帝国の玩具メーカーが魔導技術の粋を集めて開発した超人気ボードゲーム――『梅太郎伝説・世界一周の旅』の魔導盤であった。
サイコロを振って大陸中を巡り、各地の物件や農地を買い集めて総資産を競い合う、友情破壊型スゴロクゲームの金字塔。
コントローラーを握りしめる三人の少女の顔面は、もはや人間のそれではない。
上座に陣取る新村長キャルルは、銀髪の兎耳を怒りでピキピキと逆立て、愛らしいルビーの瞳を血走らせている。
対面に座る月収二億円の配信天使キュララは、純白の翼を扇風機のようにバタつかせ、邪悪極まりない拝金スマイルで魔導画面を連打。
そしてテーブルの端、小豆色の芋ジャージを着た人魚姫リーザは、借金二億円を示す真っ赤なマイナス表示を前に、泡を吹いて絨毯を爪でガリガリと引っ掻いていた。
「ふざけんなキュララ! 今のターン、私有給使って『ルナキン』のパフェマスに止まる予定だったんだぞ! なんでわざわざ一マス手前でサイコロの目を調整して私にキングボンビーを押し付けていくんだよ!」
「ケッ、甘い甘い! 勝負の世界に友情なんかないの! トップを走る権力者は徹底的に引きずり下ろすのが、エンタメ界の鉄則でしょーが☆ ほら、所持金マイナス五千万円! 帝都の一等地ホテル、叩き売り決定〜!」
「このクソ鳥……! あとでタローマン特注の安全靴で、その手羽先を一本残らずへし折ってやる……!」
「あうぅ……もう嫌ですわぁ……! 現実でも極貧なのに、ゲームの中でまで全財産没収されて借金地獄なんて……! 私の人生、どこを縦軸に取ってもマイナスしかありませんのぉぉおおっ!!」
コントローラーを投げ捨て、頭を抱えてのたうち回る極貧アイドル。
罵声を浴びせ合い、今にもリアルファイトへと発展しそうな美少女村長と拝金天使。
画面の中で暴れ狂うキングボンビーの奇声と、外の雷鳴がシンクロして、リビングは完全に阿鼻叫喚の修羅場と化していた。
台所で夜食の仕込みをしていた俺――佐藤悠人は、出汁の味見をしながら深々とため息をついた。
「……おい、お前ら。ゲームごときで公邸の床を焦がすような殺気を放つな。近所迷惑だろ」
「悠人くんは黙ってて! これは私の村長としての威信と、帝都の不動産ポートフォリオを賭けた戦争なの!」
「そうだよ悠人! 今月の投げ銭ランキングの鬱憤を、このゲームの総資産で晴らすんだから邪魔しないで!」
「悠人様ぁ……! 私のコントローラーに五円玉を挟んで、サイコロの出目を六に固定する裏技を教えてくださいましぃ……!」
「イカサマの相談を堂々とするな。第一、現実の経済で散々ニャングルに怒鳴られてる連中が、なんでゲームの中でまで資本主義の亡者になって醜く争ってんだよ」
呆れ果てて首を振る俺。
だが――この盤上の泥沼戦争すら、これから訪れる真の惨劇の「前座」に過ぎなかったのである。
ギィィィ……。
重厚なリビングの引き戸が、音もなく静かに開いた。
そこへ、外の嵐など何処吹く風といった様子で、ふわりと優雅に姿を現したのは――世界樹の次期女王候補にして、公邸の歩く天災居候、ルナ・シンフォニアだった。
透き通るような白銀の長髪を揺らし、エメラルドグリーンの瞳を細めて、聖母のように淑やかに微笑んでいる。
「あらあら……皆様、雨の中とても賑やかですわね♡」
手には、何やら布に包まれた巨大で重々しい塊を抱えていた。
ルナはその包みを、ローテーブルの真ん中――ちょうど魔導ボードゲームの盤面の真横へと、ドスンと置いた。
布がハラリと滑り落ちる。
中から現れたのは、蛍光塗料のように妖しくギラギラと七色に発光する、大人の頭部ほどもある巨大な金塊だった。
「お部屋の外まで楽しそうな声が聞こえてまいりましたので、私、お邪魔でなければ混ぜていただこうと思いまして♡ 手土産に、裏庭に転がっておりました大きな石ころを、錬金術で純金に変えて持ってまいりましたわ(※三日後に石に戻る)」
ピカァァァァァッッッ!!
神々しいまでの黄金の光が、リビングの畳を照らし出す。
ルナは小首を傾げ、満面の無垢な笑みを浮かべた。
「三日後に元の石へ戻ってしまいますけれど、今夜のゲームの掛け金や、負けた方の救済資金として使っていただければ幸いですわ♡」
「「「……………………」」」
静止。
時が、完全に凍りついた。
先ほどまで「殺すぞ手羽先!」「パフェ食わせろ!」と罵声を浴びせ合っていたキャルルとキュララ、そして床でのたうち回っていたリーザの動きが、寸分の狂いもなく完全に停止した。
三人の視線が、ゆっくりと、恐る恐る、テーブルの上の黄金の塊へと吸い寄せられる。
そして、次にルナの背後に立ち込める、底知れぬ天然サイコパスのオーラへと向けられた。
――出た。
ゲーム画面のキングボンビーなど、足元にも及ばない。
現実の法律、倫理、経済を根底から粉砕し、関わった者すべてを社会の奈落へと叩き落とす、真の『リアル疫病神』の降臨である。
スゥーーーッ……。
三人の顔面から、全ての血の気が綺麗さっぱり引き抜かれ、土気色を通り越して真っ白な白紙へと変色した。
「あ……あ……」
キャルルの喉から、掠れた悲鳴が漏れ出る。
「……ねぇ、ルナちゃん?」
「なぁに、キャルルさん?♡」
「その金塊……もし、ゲームの負け分として受け取ったら……どうなるの……?」
「ふふ、簡単ですわ♡ 三日後に石に戻ってしまいますから、その前にゴルド商会にお持ち込みになるか、帝国銀行へ預け入れればよろしいのですわ。もし詐欺罪で役人様が踏み込んできましたら……皆様の『健康な腎臓』を一つずつ世界樹の闇ルートへ売却して、示談金を作れば問題ございませんことよ♡ もちろん、メスでの摘出と再生手術は、私が心を込めて執刀いたしますわね♡」
ルナは白衣の袖から、キラリと妖しく光る新品の医療用メスをスッと覗かせた。
――ヒュッ!!
三人の背筋を、氷河期のような絶対零度の悪寒が駆け抜けた。
ボンビーの擦り付け合いどころではない。
この女の懐に入れば、ゲームの資産どころか、現実の社会的生命と内臓まで物理的に消滅させられる!
そして――狂乱の擦り付け合いループの引き金が、音を立てて弾け飛んだ。
「ひぃぃぃぃぃぃっっ!? ルナだぁぁぁああああっっ!!!!」
キャルルが絶叫しながら飛び退いた!
だが、逃げ場のないリビング。彼女は瞬時に横にいた芋ジャージの肩を力任せに掴み、ルナの目の前へと突き出した!
「私無理無理無理ぃぃぃっ!! 満月の前なのに腎臓片方取られたらマッハ一で走れなくなっちゃう! 腎臓を取るなら、この寄生魚にしてぇぇぇえええ!!」
「な、なんですってぇぇぇええっ!? キャルルさん、人の命を身代わりに差し出すなんて村長失格ですわァッ!!」
突き出されたリーザは、目の前のメスと偽金塊にガタガタと震え上がり、光速スライディングの勢いで横のキュララの腰へと抱きついた!
そして、強烈な腕力で天使の体を自分の前へと強引に回転させる!
「私だって無理ですわぁーーッ!! 純金は喉から手が出るほど欲しいですが、内臓を抜かれたらアイドルのステップが踏めなくなりますの! 臓器を売るなら、月収二億も稼いでて脂肪の乗ってそうなこの手羽先天使を差し出しますわぁぁああ!!」
「ふざけんな生臭い寄生魚ぉぉおおっ!!」
盾にされたキュララが、目を血走らせてギャン泣き叫んだ!
キュララは背中の翼を全力で羽ばたかせ、足先で器用にキャルルのパーカーのフードを引っ掛けると、強引にウサギ村長の背中をルナのメスの前へと押し戻した!
「無理だってぇぇええ!! 神聖な天使のボディにメス入れられたら、神界のコンプラ審査でチャンネル永久BAN食らっちゃうぅぅう! リスナーのみんな助けてぇぇえ! 臓器を取るなら、一番生命力が高くて頑丈なこの暴力キック兎からにしてぇぇぇえええ!!」
「だから私を前に押し出すなぁぁあああっ!!」
「キャルルさんこそ私を盾にするんじゃありませんのぉぉおっ!!」
「リーザちゃんが一番内臓余ってそうでしょーがぁぁああっ!!」
キャルル ――> リーザ ――> キュララ ――> キャルル ――> リーザ ――> キュララ……ッ!!
ズザザザザザッ! ドタバタバタッ!!
互いの背中を前に突き出し、襟首を掴み合い、袖を引っ張り合いながら、三人はリビングの畳の上を猛烈な速度でグルグルと旋回し始めた!
阿鼻叫喚の人体メリーゴーラウンド。
友情も信頼もかなぐり捨てた、醜悪極まりない擦り付け合いの無限ループである。
「あらあら、皆様とても仲がよろしいのですね♡ 電車ごっこかしら? でしたら三人まとめて、綺麗な並びで摘出して差し上げますわね♡」
おっとりと微笑みながら、ルナが両手にメスを構えて歩み寄る。
死のパレード。
このまま放置すれば、明日ポポロ村から届くニュースは「前村長の横領」を遥かに超える「公邸内臓解体バラバラ事件」として全大陸を震撼させることになる!
――現場の混乱を武力と正気でねじ伏せるのが、危機管理室長の務めだ。
「……おいテメェら、いい加減にしろッッ!!!!」
俺はエプロンのポケットから、今朝の『ルナミス新聞』を細長く丸め、布ガムテープで完璧に補強した我が相棒を右手へと引き抜いた。
唸れ、理不尽を粉砕する唯一無二の絶対制圧術式――!
『常識人のハリセン(コンプライアンス・ブレイカー)』!!
俺は疾風の如く踏み込み、回転する地獄絵図の中心へと割って入った。
手首のスナップを極限まで利かせ、神速の四連撃を一閃する!
まず一撃目! 逃げ惑いながら同居人を身代わりに差し出していた美少女村長の後頭部へ!
「――公権力の首長が保身のために住民を盾にするな! 地方自治法違反および傷害教唆未遂だッッ!!」
――パァァァァンッッッ!!!!
「ふぎゃうんっ!?」
二撃目! そのままの遠心力で、他人の臓器を換金しようとしていた極貧人魚姫の脳天へ!
「――生活苦を理由に他人の生体組織でマネタイズを図るな! 臓器移植法違反および人身売買共謀罪だッッ!!」
――パパァァァンッッッ!!!!
「あぎゃべしっ!?」
三撃目! 翼をバタつかせて生配信のリスナーに責任転嫁しようとしていた拝金天使のつむじへ!
「――都合のいい時だけファンを肉壁にして責任逃れするな! 特定商取引法および配信プラットフォーム利用規約違反だッッ!!」
――パパパァァァンッッッ!!!!
「ぴぎゃあああっ!?」
そしてトドメの四撃目! 笑顔でメスを構えて近づいてきた天然ハイエルフ令嬢の手首へ、下からの鋭い切り上げツッコミ!
「――そしてルナ! お前は嵐の夜にリビングで無許可の闇クリニックを開業しようとするな! 医師法違反、通貨及証券模造取締法違反、および重大なコンプライアンス違反だそのメスを捨てろッッ!!!!」
――ドパァァァァァァァァンッッッ!!!!
大気を切り裂く、本日最大にして最高の乾いた快音が炸裂した。
「ふぇみゅっ!?♡」
メスが宙を舞って畳にポスリと落ち、偽金塊を包んでいた錬金術の燐光がパリンと砕け散った。
概念必中のハリセン四連撃!
殺傷力はゼロ。しかし、相手の狂気、保身、パニック、理性を失った因果律を強制的に正常値へと引き戻す絶対の言霊打撃!
静寂が、リビングに戻ってきた。
回転していた三人と、メスを落としたルナは、それぞれ頭を押さえながら畳の上に正座していた。
「うぅ……頭がジンジンするよぉ……悠人くん……」
「あうぅ……痛くありませんけれど、魂の奥底がピシッと叱られた気分ですわぁ……」
「ひ、酷いよぉ……! 女の子の頭を四連続で引っぱたくなんて、DV男として炎上案件だよぉ……!」
「まあまあ……悠人さんのハリセン、今日もとても心地よい風圧でしたわね♡」
涙目で睨みつけてくるキャルル、リーザ、キュララと、どこまでもマイペースに微笑むルナ。
俺はため息をついてハリセンを腰のポケットに戻すと、腕組みをして四人を見下ろした。
「文句を言う前に、自分たちがさっき何をやろうとしてたか思い出せ。全員、そのまま三十秒反省!」
「「「「は、はい……」」」」
しおらしく項垂れる美少女たち。
まったく、嵐で外に出られないからといって、室内で世界崩壊クラスの茶番劇を繰り広げられては身が持たない。
俺は台所へ戻ると、完成したばかりの大鍋と、四つの深い漆黒の丼を盆に乗せて運んできた。
「ほら、反省終わりだ。ゲームなんかでギャーギャー喚いて腹が減っただろ。夜食にするぞ」
テーブルの中央、魔導盤をどかした場所にドンと置かれたのは、湯気と極上の香気を立ち上らせる大鍋だった。
「「「「わぁぁぁぁあっっ……!!」」」」
四人の瞳が、一瞬で爛々と輝きを取り戻した。
雨の冷気を吹き飛ばす、佐藤悠人特製――『肉椎茸とたまんネギの力鍋焼きうどん』である。
麺は、村の隠田で採れた上質な米麦草の粉を丹念に手打ちした、ツルツルと喉越しの良い極太うどん。
出汁は、川魚ピラダイの焼き骨と干し椎茸から引いた黄金色の澄んだスープに、醤油草とみりん草を合わせた上品な甘辛仕立て。
具材には、分厚く切って旨味を閉じ込めた『肉椎茸』が惜しみなく敷き詰められ、じっくり煮込まれてトロトロになった『たまんネギ』、シャキシャキの陽薬草、そして表面をカリッと香ばしく炙った四角い切り餅がドカンと鎮座している。
中央には、半熟の朝採り有精卵がぷるぷると震えていた。
「外は嵐で冷えるからな。生姜をたっぷり利かせてある。冷めないうちに食え」
俺が丼に取り分けてやると、四人は争うように割り箸を割った。
キャルルがフーフーと息を吹きかけ、うどんをちゅるりと啜る。
「熱っ……んんん〜〜〜っっ♡ おいひい〜〜〜っ! 麺がすっごくモチモチでコシがあって、お出汁がしっかり絡んでる! 生姜がピリッとしてて、体が芯からポカポカ温まってくるよぉ!」
続いて、リーザが肉椎茸にかぶりついた。
「ハフッ! はふぅぅぅ……んまァァァイッッ! お肉みたいにジューシーな椎茸から、吸い込んだお出汁がジュワジュワ溢れてきますわ! お餅の香ばしさとトロトロのたまんネギが、胃袋に優しく染み渡って……あぁ、生きててよかったぁぁあん!」
「このお出汁、神がかってるぅ……! 半熟卵を崩して絡めると、コクが爆発して箸が止まらないよぉ〜♡」
キュララが天使の羽をパタパタさせながら汁までゴクゴクと飲み干す。
「ふふ、優しいお味ですわね。世界樹の清流を思い出しますわ♡」
ルナもおっとりと目を細め、お餅を美味しそうに咀嚼していた。
先ほどまでの醜い足の引っ張り合いが嘘のように、四人は満面の笑みでハフハフとうどんを平らげていく。
わずか十分足らずで大鍋は空っぽになり、四人はそれぞれ満足そうにお腹をさすりながら、畳の上にゴロリと転がった。
「ふぅ……美味しかったぁ……。悠人くん、ごちそうさま♡」
「あぁ……お腹がいっぱいで、もう何も考えられませんわぁ……」
「ゲームの続きは……明日にしよ……おやすみぃ……」
キャルルの兎耳が幸せそうにペタリと垂れ、リーザとキュララはすでに小さな寝息を立て始めている。
ルナもまた、満腹感に包まれてウトウトと船を漕いでいた。
俺は苦笑しながら空になった丼を重ね、テーブルの上の「三日で石に戻る金塊」を布でしっかりと包み直した。
明日になったら、裏庭の雨水タンクの蓋の重石にでも使ってやるとしよう。
外では依然として嵐の雨音が轟いていたが、公邸の部屋の中は、どこまでも穏やかで暖かい空気に満たされていた。
食器を洗うため台所へ向かいながら、俺は静かに首を鳴らした。
明日もまた、この愛すべき問題児たちの手綱を握るための、忙しい一日が待っているのだから。
読んでいただきありがとうございます。
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