EP 8
人狼執事リバロンの優雅なる名刺と、狂った算盤の修理人
午後二時。照りつける日差しの下、ポポロ村の中央広場に、下品な排気音と怒号が響き渡っていた。
土煙を上げて乗り込んできたのは、装甲板を雑に溶接した三台の大型魔導トラック。荷台から飛び出してきたのは、刺青と無骨な魔導火器で身を固めた、三十名近い武装ゴロツキ集団――近隣の裏ギルド『黒煙の牙』の構成員たちだった。
「ヒャハハハ! おいおい、前村長がトンズラして自治が崩壊した限界集落ってのはここかァ!?」
先頭に立つモヒカン頭の巨漢が、肩に担いだ重機関銃の台尻を地面に叩きつけた。
その手には、泥で汚れた一枚の羊皮紙が握られている。
「前村長ロップ名義の『緊急融資担保設定書』だ! あのアホジジイ、駆け落ち資金の足しに村の広大な農地と、ドンガン地下帝国への搬入通路の通行権をウチに売り飛ばしてんだよ! 本日よりこの村の全インフラは我らの所有物だ! 文句がある奴は鉛の弾で穴だらけにして――」
「おやおや、昼下がりの長閑なティータイムに、随分と喧しいお客様ですね」
遮るように響いたのは、凛として涼やかな美声だった。
群がるゴロツキたちの間を縫うように、音もなく歩み出てきた一つの影。
仕立てのいい漆黒の燕尾服に、一点の乱れもない白ネクタイ。銀灰色の美しい毛並みを持つ狼の耳と、優雅に揺れる豊かな尾。モノクルをかけた怜悧な美貌に、氷のように冷徹な微笑を湛えた男――ポポロ村長専属執事にして村の筆頭宰相、人狼族のリバロン(三十歳)である。
その後ろから、買い物袋を抱えた俺――現場監督の佐藤悠人が、やれやれと首を振りながら追いついた。
「リバロン、公邸の裏庭まで騒音が響いてたぞ。なんだこいつら」
「ええ、悠人殿。前村長が残した負の遺産に群がる、ハイエナの方々のようです。執事検定一級首席の私から見ますと、その立ち振る舞い、服装、威嚇の語彙力……全てにおいて零点ですね」
「あァ!? なんだそのスカした執事野郎は! ハチの巣にして肉骨粉に変えたるわァッ!!」
モヒカン頭が激昂し、重機関銃の銃口をリバロンの眉間へ突きつけた。
引き金に指がかかる。その刹那――。
「野蛮ですねぇ。私はただの執事、武器など持ち合わせておりませんよ。――この、薄い名刺一枚以外は」
シュッ、と微かな風切り音が鳴った。
リバロンが燕尾服の胸ポケットから、二本の指で一枚の漆黒の名刺を抜き放った。
その瞬間、名刺の周囲に白銀の闘気が極限まで圧縮・コーティングされる。
「……は? 名刺ィ――」
ビュォッッッッ!!!!
時速三百キロ。音速の壁を突破した黒銀のカードが、リバロンのスナップ一つで空間を切り裂いて射出された。
大気を切り裂く衝撃波が広場を薙ぎ払う。
スパァァァァンッッッ!!!!
小気味よい音が響いた直後、モヒカン頭が構えていた極太の重機関銃が、銃身・弾倉・トリガーブロックに至るまで、まるで羊羹のように斜め四十一度の角度で綺麗に三段両断されていた。
「ぎゃっ……!? お、俺の愛銃が……紙切れ一枚でスライスされたァッ!?」
「名刺の角で重火器を解体するなァッ!!」
俺のツッコミが炸裂する。
どんな殺傷能力だ。名刺交換の概念が根底から狂っている。
「ひ、怯むな! 全員で囲んでブッ殺せぇええ!!」
「やれやれ、躾がなっておりませんね」
殺到する三十名のゴロツキを前に、リバロンは溜息をつき、首元の白ネクタイの結び目をスッと緩めた。
そして、シルクの布地を右手に巻きつけ、鞭のようにしならせる。
闘気がネクタイを鋼鉄以上の硬度と鋭利さへと変貌させた――秘技『ネクタイ・ブレード』!
ザシュッ! ザザザザザザッッ!!
目にも留まらぬ白銀の残像が舞った。
刃ではない。しかし超音速の布刃は、ゴロツキたちの肉体を一ミリも傷つけることなく、彼らの身につけていたズボンのベルト、防弾ベストの留め具、銃のストラップ、そして手榴弾の安全ピンの環だけをミリ単位の狂いもなく全て切断した。
ストーーンッ。
次の瞬間、三十名の屈強な悪党たちのズボンが一斉に足首までずり落ち、派手な柄のトランクスとブリーフが白日の下に晒された。
「「「「ふぇっ……!?」」」」
「あ、あれぇ!? ズボンが……力が入らん……!?」
「不審者としてポポロ村内を徘徊する罪、および公然わいせつ罪が成立いたしました。……これ以上の抵抗は、真の社会的抹殺(全裸の写真を新聞各社へ電送)へと移行いたしますが、いかがなさいますか?」
リバロンがモノクルをクイと押し上げ、極上の営業スマイルを浮かべる。
一滴の血も流さず、相手の尊厳と戦闘能力を完全に無力化する神速の制圧劇。
あまりの圧倒的な格差に、ゴロツキたちは青ざめてその場に正座した。
「ひ……ひぃぃぃっ! す、すいませんでしたぁぁあ!」
「権利書は偽造でした! 命だけはお助けをぉぉおお!」
広場に響き渡る悪党たちの命乞い。
一件落着――と、その場にいた誰もが思った、その時だった。
「みんなーっ! 大丈夫ですかぁーーっ!?」
タローマン特注の安全靴を踏み鳴らし、銀髪の兎耳を振り乱しながら、新村長キャルルが全力疾走で飛び込んできた。
「キャルル、もう片付いたぞ」
「そんな、怪我人がいるかもしれないよ! ああっ、見て悠人くん、あの人たち、腰を抜かして足が震えてる! 精神的ショックでショック死しちゃうかもしれない!」
「いや、ただズボンが脱げて恥ずかしいだけだ」
俺の静止も耳に入らず、キャルルは両手を広げてゴロツキたちへ駆け寄った。
その瞳には、打算なき純粋な慈愛の光が満ち満ちている。
「天にまします月の御手よ……傷つきし迷える者たちに、等しき平穏と再生の光を……ッ!」
ボワァァァァァッッッ!!
キャルルの全身から、神話級の膨大な治癒マナが奔流となって噴き出した。
ポポロ村の広場全体を包み込む、超広域・完全全回復結界。
ゴロツキたちの擦り傷はおろか、十年前に痛めた古傷、虫歯、五十肩、水虫、果ては毛根の詰まりに至るまで、三十名全員がピッカピカの健康体へと瞬時に蘇生されていく。
「う……うおぉぉ!? 長年の腰痛が消えた……!?」
「視力が上がったぞ! なんだこのウサギの聖女様はァッ!?」
「ありがてぇ……ありがてぇ神様だぁぁあ!!」
ゴロツキたちが感涙してキャルルを拝み倒す。
だが――その奇跡の代償は、あまりにも残酷だった。
「うっ……く……ふら、ふらする……」
術式を終えたキャルルの顔面から、急速に血の気が引いていく。
通常時の彼女にとって、三十名同時の完全治癒は明白なキャパシティオーバー。
膝から崩れ落ち、前のめりに倒れかけた小さな体を、俺はとっさに両腕で抱きとめた。
「おい、キャルル! しっかりしろ!」
「あ……悠人くん……えへへ……よかった……誰も死ななくて……すんだよぉ……」
荒い息を吐きながら、無理に笑おうとするキャルル。
その自己犠牲の精神は気高いが、行政のトップが他人のために命を擦り減らすなど、組織運営として絶対に許されることじゃない。
「アッフォかぁぁぁああああっっ!!!!」
広場の空気をビリビリと震わせる怒号と共に、一筋の紫煙が突風のように割って入ってきた。
ゴルド商会ポポロ村支店長、ニャングルだ。
和装スーツの裾を激しく翻し、金算盤をカタカタカタッと雷鳴のような速度で弾きながら、猫耳を逆立てて仁王立ちする。
「キャルルお前なぁ……! 『ありがとう』の言葉だけで飯が食える思とんのかドアホッ!!」
「ひゃぅっ……!? ニャ、ニャングルちゃん……?」
「ええか、よう聞け! 今の三十人分の完全治癒、正規の魔法医療点数に換算したら金貨三百枚……日本円換算で三千万円相当の大手術やぞ! それをタダで振る舞って自分が血ぃ吐いて倒れてどうすんねん! お前の命の原価計算はどうなっとんのや! この村の算盤を狂わせるのも大概にせぇ!!」
ニャングルは怒髪天の勢いで捲し立てながら、懐から湯気の立つ竹筒を取り出した。
そして、文句を言いながらもキャルルの口元へ優しく押し当てる。
「ほら、さっさと飲め! ウチが特注で作らせた高濃度マナ回復用『特製陽薬茶』や! 一杯金貨一枚の超高級品やぞ、ツケにしといたるから一滴も残さんと飲み干せ!」
「ず、ずずっ……にがぁい……でも、身体があったかいよぉ……」
「当たり前や! まったく、お前が倒れたら誰がこの限界集落のケツ拭くんやアホ……!」
悪態をつきながらも、ニャングルの瞳には幼馴染を本気で案じる色が滲んでいた。
打算のないお人好しと、それを放っておけない商売人。
だが、このままでは善意による財政破綻と過労死のスパイラルからは抜け出せない。
俺はキャルルを広場のベンチに座らせると、ポケットから取り出した『ルナミス新聞特製ハリセン』を手のひらで軽く叩いた。
「……おいキャルル」
「は、はいぃっ、悠人くん……」
「悪党を無償で治療して自分が倒れるのは、ポポロ村公務員安全配慮義務およびコンプライアンス管理規定に明白に違反している。反省しろ」
――パァンッ。
心地よい乾いた快音が、キャルルの頭頂部に優しく落ちた。
お仕置きのハリセン。
だが、殺傷力ゼロのその衝撃は、魔力枯渇で過熱していたキャルルの神経をスッと鎮静化させ、自責と無理の念を優しく解きほぐしていく。
「うぅ……ごめんなさい……悠人くん……」
「謝る相手が違う。ニャングルと、村の住民全員にだ」
「……うん」
キャルルが素直に項垂れたのを見届け、俺はニャングルに向き直った。
「ニャングル。お前の言う通りだ。持続可能な善意じゃなきゃ、組織は滅びる。……そこで提案があるんだが」
「あ? 提案やと、悠人?」
「村の財政を黒字化させ、かつ三大国の小競り合いを物理的に未然に防ぐ『新しいビジネスモデル』の絵を描いてきた。……乗るか?」
ニャングルの猫耳がピクリと反応した。
キセルを燻らせ、琥珀色の瞳を鋭く細める。
「……ほう。元・制作会社の危機管理ディレクター殿が、ウチらゴルド商会に商売のプレゼンかいな。おもろいやんけ。聞かせてもらおか」
俺は買い出し袋から、広場の木製テーブルの上に数種類の食材を並べた。
タローマートで仕入れてきた怪奇食材――肉椎茸、ピラダイの切り身、たまんネギ、そして米麦草のサンライスだ。
「題して――『ポポロ村おばちゃん軍団・前線弁当宅配ビジネス』だ」
俺の言葉に、ベンチのキャルルも、燕尾服のリバロンも身を乗り出した。
「ええか、ポポロ村は三大国の緩衝地帯にある。国境駐留軍の兵士どもや、街道を行き交う冒険者たちの最大の不満は何だ? ――『飯が致命的に不味い』ことだ」
「あ……!」
キャルルが小さく声を上げる。
「前線の兵士が食ってるのは、石のように固い干し肉と、泥水のような粉末スープだ。腹が減ってストレスが溜まるから、些細な小競り合いが起き、山賊の略奪や国境紛争に発展する。そこに――俺たちの圧倒的な『美味い飯』をデリバリーするんだよ」
「……続けぇ、悠人」
ニャングルが煙を吐き出し、算盤を構える。
「原料は村の隠田で採れる米麦草と、形が崩れて市場に出せない規格外の肉椎茸、そしてピラダイの端材。原価は限りなくタダに近い。調理は俺が監修し、村の元気なおばちゃんたちを組織化して大量生産体制を敷く。配達は自警団のイグニスやマンミアの定期パトロールのついでに行えば、輸送コストもゼロだ」
カタカタカタカタッ……!
ニャングルの算盤の珠が、目にも留まらぬ速さで弾かれた。
「……仕入れ原価、一食あたり銀貨一枚。販売価格は前線プレミアムを上乗せして銀貨五枚……粗利率八割……! 一日五百食を三大国の駐留部隊へ売り捌けば、月間の純利益は金貨六百枚……日本円で六千万円やと……!?」
「それだけじゃない。美味い飯を腹いっぱい食った兵士たちは、ポポロ村に感謝こそすれ、攻め込もうなんて気は失せる。治安維持コストの削減と、外貨の獲得を両立する――『三方よし』の完璧なエコシステムだ」
テーブルを囲む全員が息を呑んだ。
リバロンが感嘆の溜息を漏らし、モノクルを光らせる。
「素晴らしい……。兵站を握ることで、三大国の軍事バランスを胃袋から間接支配するわけですね。悠人殿、貴方は恐ろしい猛獣使いだ」
「せや……せやがな!!」
ニャングルがバチンと算盤を叩いた。
その顔に、商傑としての獰猛で痛快な笑みが広がる。
「これや! これこそが狂った算盤を正す『本物の商売』や! 悠人、すぐに試作に入れ! ウチがゴルド商会の全ルートを使って、三大国の兵站部と独占納入契約を結んだるわ!」
「よし、話は決まりだ。試作品を作ってやるから公邸の台所へ行くぞ!」
三十分後、村長公邸のキッチン。
俺は腕まくりをし、猛然とフライパンを振るっていた。
メインのおかずは、規格外の肉椎茸を使った『肉椎茸とピラダイの竜田揚げ』。
下味に生姜草と醤油草をしっかり揉み込み、米麦草の粉を薄く叩いて高温の油でカラリと揚げる。
サクッとした軽やかな衣を噛み破れば、中からジュワッと溢れ出す肉汁とキノコの濃厚なエキス、そしてピラダイの上品な白身の脂。
副菜には、皮を剥いて煩悩を削ぎ落とした『たまんネギ』の甘酢漬け、そして人参マンドラのきんぴら。
仕切りで分けた折箱の片側には、炊きたてのサンライスを敷き詰め、梅干しの代わりに真っ赤な太陽木の実を一粒添える。
――完成。佐藤悠人プロデュース、『前線特製・ポポロ幕の内スタミナ弁当』だ。
「ふわぁぁぁあっ……! すっごく豪華……! 彩りも綺麗だよ悠人くん!」
「ほら、味見してみろ」
キャルルとニャングル、そしてリバロンがそれぞれ割り箸を手にした。
キャルルが竜田揚げを一口頬張る。
「サクッ……んんん〜〜〜っっ♡ おいひい〜〜〜っ! お肉みたいにジューシーなのに重たくなくて、生姜とお醤油の風味がご飯に合いすぎるよぉ!」
「……んまっ! なんやこれ、冷めても衣がベチャつかんように工夫されとる! たまんネギの甘酢が口の中の油をサッパリ流して、無限に飯が食えるやんけ!」
「お見事です、悠人殿。これならば、粗野な兵士たちだけでなく、舌の肥えた各国の将校たちすら虜にできますね」
三人の箸が止まらない。
あっという間に試作の折箱は空になり、キャルルのお腹が満足そうに小さく鳴った。
先ほどまでの蒼白な顔色は消え去り、頬には健康的な桜色が戻っている。
「ふぅ……美味かったわ。……よし、決まりやな」
ニャングルはキセルに火をつけ、満足げに紫煙を吐き出した。
「明日から村の婦人会を総動員して『ポポロ給食センター』を立ち上げるで。前村長の赤字なんぞ、この弁当ビジネスで三ヶ月で完済、半年後には村の金庫を金貨で満杯にしたるわ!」
「うんっ! 私も、みんなと一緒に一生懸命お弁当詰めるね!」
「村長は詰めなくていいから公務をしろ。また勝手に余計なおかずをサービスして赤字にするだろ」
「あうぅ、バレてたぁ……」
キャルルが兎耳をペタリと倒して舌を出した。
公邸のダイニングに、温かな笑い声が満ちていく。
暴走する美少女村長と、優雅すぎる人狼執事、そして銭ゲバだが情に厚い猫耳商人。
狂った算盤をハリセンと美味い飯で叩き直し、ポポロ村の財政は、確実なる大黒字への一歩を踏み出そうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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