EP 6
内見くしゃみ全焼事件!手取り14万の竜人と25歳未婚の地雷原
自警団詰所の裏手、風が吹き抜ける村外れの広場に、場違いな三角形のドームテントがポツンと佇んでいた。
ホームセンター『タローマン』で特売されていた、防炎加工済みの三人用耐火テントである。
その入り口の前で、地面に膝を抱えて体育座りをしている大男がいた。
真紅の逆立った短髪に、額から生えた二本の逞しい竜角、そして引き締まった褐色の筋骨隆々な肉体。
自警団の重火力および土木工事担当、竜人族のイグニス・ドラグーン(二十五歳)だ。
竜人の里の族長の息子であり、本来なら大陸を揺るがす猛者のはずなのだが――現在、彼の背中からは信じられないほど濃密な哀愁が漂っていた。
「……親父、お袋。俺様は今、ポポロ村の星空の下で風を感じてるぜ……」
イグニスは震える指先で、一枚のペラ紙を握りしめていた。
今月支給されたばかりの、ゴルド商会発行の給与明細書である。
「おいイグニス、朝っぱらから死にそうな顔して何を見てるんだ」
買い出し用の布袋を肩にかけた俺――村長公邸管理人兼現場監督の佐藤悠人が声をかけると、イグニスはビクッと肩を跳ねさせ、涙目で明細を差し出してきた。
「悠人ぉ……! 見てくれよコレ! 俺様の基本給、月給三十万円だろ!? なのに、なんでこの一番下の『差引支給額』ってところに【十四万円】って書いてあんだよぉおお!!」
「引かれてる名目を見ろ。『アパート修繕積立弁償金:十六万円』ってデカデカと刻印されてるだろうが」
「十六万って何だよ! 給料の半分以上だぞ! 手取り十四万でどうやって生きていけってんだよ!」
「誰のせいでそうなったと思ってんだ、この歩く火気厳禁生物が」
俺は深くため息をつき、頭痛をこらえるように額を押さえた。
事の発端は、わずか三日前の『ポポロ・コーポ内見くしゃみ全焼事件』である。
村の入り口に建つ木造モルタル三階建てアパート『ポポロ・コーポ』。家賃月額三万円、光熱費・マナ水道代込みという破格の物件に空室が出たと聞き、イグニスは意気揚々と内見に訪れた。
だが、あろうことか彼は、畳敷きの綺麗なワンルームの中央で「ハ、ハックション!」と盛大なくしゃみを炸裂させてしまったのだ。
竜人族のくしゃみは、生理現象ではなく『大気圧縮型火炎ブレス』である。
ゴォォォオオオオッッ!! という轟音と共に、摂氏千五百度の超高熱火炎が部屋中に充満。
敷かれたばかりの畳は一瞬で炭化し、壁のクロスは消滅、天井の照明器具はドロドロに溶け落ち、部屋全体が炭鉱の奥底のような真っ黒な廃墟と化した。
煙がもうもうと立ち込める真っ黒な部屋の中で、自警団リーダーのマンミアが、愛用の特注シールドパイルバンカー『アグニ』の杭をイグニスの鼻先一ミリに突きつけ、般若の形相でこう宣告したのである。
『貴様のような歩く火気厳禁生物を、木造モルタルアパートに入れられるかぁーーッ!! 敷金全額没収、原状回復費用全額天引き、即日出禁だァッ!!』
こうしてイグニスは賃貸契約を破棄され、広場での極寒テント生活へと叩き落とされたのだった。
「くそっ……! たかが一発のくしゃみで十六万天引きなんて、ニャングルの算盤は悪魔の道具かよぉ……!」
「ニャングルはお前のくしゃみで発生した損害を、減価償却と工事見積もりに基づいて正確に請求しただけだ。むしろ無利子で分割払いにしてくれた温情に感謝しろ」
「うぅ……でもよぉ悠人、俺様にはどうしても金が必要なんだよ! 実家の親父とお袋に、毎月の仕送りと『近況報告の写真』を送らなきゃならねぇんだ!」
イグニスはテントの奥から、大事そうに一通の封筒を取り出した。
中から出てきたのは、村の印刷工房で作らせたという数枚の『魔導合成写真』だった。
一枚目:帝都の超高級ホテル『ロイヤル・ルナミス』の最上階スイートルームの絵葉書に、満面の笑みを浮かべたイグニスの顔がガタガタの境界線で切り貼りされている写真。
二枚目:帝都中央広場に立つ初代皇帝の純金像の顔部分に、雑にイグニスの角と顔が上書きされた写真。
「……おい、なんだこの下手くそなコラ画像は」
「下手くそ言うな! 俺様が里を出る時、調子に乗って『人間の街に着いた初日に城をもらった! 来月には俺様の純金像が建つ!』って手紙出しちまったんだよぉおお!!」
「見栄っ張りの極致かよ!!」
俺のツッコミが広場に木霊する。
「族長の親父が里中で大宴会開いて『我が息子の武勇、大陸に轟けり!』って手紙送り返してきちゃったんだぞ!? 今さら『すいません、アパート内見中にくしゃみして部屋燃やして敷地外のテントで野宿してます』なんて言えるわけねぇだろ! 竜人の戦士としての尊厳が死んじまうんだよぉ!」
「お前の尊厳を守るために毎月印刷工房へ小遣い上納してんじゃねえ! さっさと土下座して本当のこと書け!」
情けない言い訳を捲し立てるイグニスに説教を食らわせていると、背後の街道から、規則正しい蹄の音が響いてきた。
パカラン、パカラン、パカラン……ッ。
現れたのは、凛々しく鍛え上げられた上半身に白銀の重装甲を纏い、下半身は毛並みの美しい雄大な白馬という、絵画から抜け出してきたような美しき半人半馬の騎士。
左腕には巨大なシールドパイルバンカー『アグニ』を装着し、腰には重層魔導鎖『メビウス』を佩いた、ポポロ村自警団の絶対的リーダー。
ケンタウロス族のマンミア(二十五歳)である。
「総員、弛むことなく業務に励んでいるか! 朝の村内パトロールを完了したぞ!」
マンミアは前脚を高く掲げて嘶き、勇ましく声を張り上げた。
元・ルナミス帝国騎士団長候補という経歴に恥じない、完璧な武人の立ち振る舞いである。
だが、俺とイグニスは思わず顔を見合わせ、そろりそろりと後退りした。
「あ、マンミア団長、お疲れ様です……」
「うむ、イグニス。反省の色は見えているようだな。テントの耐火性テストも兼ねていると思えば、広場での野営も無駄ではあるまい。……ところで、本日の日付は何日だ?」
「え? あ、二十五日ですけど……」
その瞬間――世界が凍りついた。
ピキリ……ッ。
マンミアの引き締まった端麗な顔面から、全ての血の気がサァァッと引いていく。
その切れ長の青い瞳が、カッと見開かれた。
「……にじゅう……ご……?」
「え? あ、はい、五月の二十五日で――」
「二十五……二十五だとぉぉおおおおっっ!!??」
ドッゴォォォォンッッッ!!!!
マンミアが履く蹄鉄が大地を激しく踏み抜き、舗装された石畳にクモの巣状の亀裂が走った。
「貴様ら! また私を愚弄しにきたのか!? 今月の二十五日! 自警団の公文書第二十五号! そして――私の年齢、二十五歳ッッ!!」
「誰も年齢の話なんかしてねぇだろ!!」
俺のツッコミも虚しく、マンミアの額に青筋が浮き上がり、目尻からはポロポロと悔し涙が零れ落ち始めた。
――出た。自警団リーダー・マンミア最大の地雷。
高潔にして最強の騎士でありながら、『二十五歳・恋人いない歴二十五年の未婚クライシス』を拗らせに拗らせた、歩くメンタル地雷原モードである。
「うぅ……四半世紀……! 生まれてから四半世紀、私はひたすら剣を振り、国を守り、民のために戦ってきた……! なのに、なぜだ!? 同年代のケンタウロス族の友人たちは皆、立派な夫を背に乗せて子馬をあやしているというのに……! なぜ私の背中には、未だ誰一人として大人の男性が乗ったことがないのだぁああああっ!!」
「知るか! 重装甲パイルバンカー担いで時速六十キロで突進してくる女の背中に、命知らずで飛び乗れる男がどこにいるんだよ!」
「うるさい悠人! 貴様だって今年で何歳だ!?」
「俺か? 二十五歳だが」
「イグニス、貴様は何歳だ!?」
「え、俺様も二十五歳っすけど……」
「全員二十五歳か貴様らぁぁぁああああっっ!!!!」
ガシャァァァンッ!!
マンミアが逆上し、左腕のパイルバンカー『アグニ』の撃発レバーをガチャリと引き絞った。
シールドの銃身から、シューシューと危険な超高圧蒸気が噴出する。
「二十五歳男子の悪友ノリで私を取り囲み、独身の傷口に塩を塗り込む気だな!? こうなったら自警団の規律粛正として、貴様らの軟弱な急所へアグニの杭を全弾撃ち込んで――」
「あぁっ、団長やめてくれ! 興奮して突っ込んできたら、俺様のテントが粉々になっちまう! うわ、鼻がムズムズしてきた! ハ、ハックションが出そう――」
イグニスの喉の奥で、猛烈な紅蓮の業火がチャージされ始める。
未婚のヒステリー暴走重騎士と、くしゃみで二度目の大爆破を起こしかけている竜人。
放置すれば広場一帯が更地に変わり、村の損害賠償額が跳ね上がって俺の胃袋に風穴が開く!
――現場の混乱を収めるのは、危機管理の鉄則だ!
俺は迷うことなく、エプロンのポケットから三つ折りにした今朝の『ルナミス新聞』を抜き放った。
布ガムテープで完璧に補強された、我が魂の得物!
『常識人のハリセン(コンプライアンス・ブレイカー)』!!
まず一閃! 鼻を膨らませて火炎を放とうとしていたイグニスの後頭部へ、スナップを利かせて叩き込む!
「――公共の広場で二度目の延焼火災を起こすな! 消防法違反および過失激発物破裂罪だ鼻を摘まめッッ!!」
――パァァァァァンッッッ!!!!
「あぎゃうんっ!?」
概念必中のハリセンが炸裂し、イグニスの口腔内に溜まっていた火炎エネルギーが一瞬で霧散した!
イグニスは白目を剥いてその場にひっくり返る。
さらに俺は、そのまま馬体を翻して突進体勢に入っていたマンミアの兜の隙間――美しいポニーテールの結び目を目掛けて、垂直落下でハリセンを振り下ろした!
「そしてマンミア! 職場の部下と同い年の同僚に対して、私怨とヒステリーで重火器を抜くな! 労働安全衛生法違反およびパワーハラスメント防止法違反だ正気に戻れッッ!!」
――パパァァァァァァァンッッッ!!!!
「ひゃいぃぃっ!?」
快音が広場の大気を揺るがした。
パイルバンカーの蒸気がプシューと抜け、マンミアの全身を覆っていた怨嗟の闘気が綺麗さっぱり消滅する。
マンミアは四本の脚をカクンと折ってその場にペタリと座り込み、両手で頭を押さえて涙目で俺を見上げてきた。
「うぅ……悠人……。叩くことはないではないか……。痛くはないが、胸の奥がキュンとして、妙に恥ずかしいぞ……」
「恥ずかしいなら最初から暴走するな。まったく、どいつもこいつも二十五歳にもなって落ち着きがなさすぎるんだよ」
俺はため息をついてハリセンを腰に戻すと、地面に座り込む二人の前に、買い出し袋から取り出した食材を並べた。
「ほら、二人とも立て。腹が減ってるから情緒が不安定になるんだ。飯にするぞ」
「め、飯……?」
「飯食わせてくれるのか、悠人ぉ……?」
腹を空かせた二人の猛獣を連れ、俺は自警団詰所の給湯室へと移動した。
調理台の上にドン、と置いたのは、ポポロ村の怪奇食材の代表格――『肉椎茸』である。
成人の手のひらほどもある極厚の傘は、まるで上質な黒毛和牛のヒレ肉のようにどっしりとした弾力と重みを持っている。
「よし、サッと作ってやるから大人しく待ってろ」
俺は肉椎茸の石突きを切り落とし、傘の表面へ格子状の隠し包丁を細かく入れていく。こうすることで火の通りが均等になり、味が奥深くまで染み込むのだ。
鉄のフライパンを強火で熱し、ドンガン特製の澄ましバターを落とす。
――ジュワァァァァッ!
濃厚な乳脂肪の芳香が立ち上った瞬間、肉椎茸を傘の表側から投入する。
――ジューーーッッッ!!
心地よい爆音と共に、立ち込めるのはキノコの芳醇な香りと、まるで極上のステーキ肉を焼いているかのようなジューシーな肉汁の匂い。
両面にこんがりときつね色の焼き目をつけたら、火を少し弱めて蓋をし、蒸し焼きにして旨味を内部に閉じ込める。
三分後、蓋を開けると、ふっくらと膨らんだ肉椎茸から黄金色のエキスがプツプツと溢れ出していた。
そこへ、すりおろした少量の『たまんネギ』と、濃口の醤油草のタレ、みりん草の煮汁を一気に回し入れる!
――バチバチバチッッ!!
焦がし醤油と甘辛いタレがバターと混ざり合い、給湯室の空気が一瞬で「暴力的な食欲の嵐」へと変貌した。
丼にふっくらと炊き上げたアツアツの『サンライス』を山盛りにし、千切りの刻み海苔を敷き詰める。
その上に、溢れるタレごと極厚の肉椎茸ステーキをドカンと鎮座させ、天頂部にすりおろしたての新鮮な本わさびをチョコンと添える。
――完成。佐藤悠人特製、『肉椎茸の極上ステーキ丼』だ。
「お待たせ。冷めないうちに食え」
「「う、うおおおおおおおおっっっ!!!!」」
テーブルについたイグニスとマンミアの目が、爛々と輝いた。
二人は同時にどんぶりを抱え込み、割り箸を割って肉椎茸にかぶりついた。
「はふっ……! んがっ……! あ、熱っ……んまァァァァァイッッ!!」
イグニスが絶叫した。
分厚い肉椎茸を噛み締めた瞬間、プシュッと音を立てて熱々の肉汁とキノコの濃厚な出汁が口内いっぱいに弾け飛ぶ。
キノコ特有の繊維のシャキッとした歯ごたえと、極上肉のような柔らかさが同居した奇跡の食感。
香ばしい焦がしバター醤油のタレがサンライスの一粒一粒に染み渡り、そこへピリリと利いた本わさびの爽やかな辛味が、濃厚な脂っぽさを極上のキレへと昇華させている。
「な、なんだこれ……! キノコなのに、肉より美味ぇぞ……! タレの染みた飯が止まらねぇ……! ガツガツいける……!」
「んんん〜〜〜っっ♡ 美味い……美味すぎるぞ悠人……!」
マンミアもまた、普段の高潔な騎士の仮面をかなぐり捨て、一心不乱に丼をかき込んでいた。
頬をリスのようにパンパンに膨らませ、喉をゴクゴクと鳴らしながら、米粒一つ残さず胃袋へと流し込んでいく。
「バターのコクと醤油の塩気が……疲弊した私の心と体を、優しく包み込んでくれるようだ……。あぁ、生きていてよかった……二十五年、生きていて本当によかった……!」
「二十五歳を肯定できて何よりだ」
わずか三分足らずで、二つの特大丼はピカピカに平らげられた。
満腹になったイグニスは、机の上に突っ伏してポロポロと涙を流し始めた。
「うぅ……悠人ぉ……。俺様、本当は分かってんだよ……。親父たちに嘘ついてるのも、アパート燃やしちまったのも、全部俺様が悪いんだ……」
「分かってるならいい。……おいイグニス、その魔導写真の合成、俺が手伝ってやるよ」
「えっ……? 悠人が……?」
「俺の前職を何だと思ってんだ。エンタメの現場ディレクターだぞ。パースの歪みも光の当たり方も、自然に見えるように編集してやる。ただし、『城に住んでる』じゃなくて『要塞都市の防衛前線基地で野営訓練中だ』って文面に書き直せ。それなら嘘にはならんだろ」
イグニスは目を見開き、それから顔を真っ赤にして鼻をすすった。
「悠人ぉ……! お前、最高のマブダチだよぉおおっ! 一生ついていくぜぇええ!」
「暑苦しいから抱きつくな。火薬の匂いが移る」
鬱陶しい竜人を押し返すと、横から服の裾をクイクイと引っ張られた。
見ると、マンミアが顔を真っ赤にして、恥ずかしそうにモジモジと下半身の馬脚をもじもじさせていた。
「あ、あのな……悠人……」
「なんだ、マンミア」
「その……貴様は、手料理がこれほど美味く、危機管理もでき、気配りも素晴らしい……。もし、もしもだな……貴様さえよければ……私のこの『背中』に……」
「乗らんぞ」
「断るのが早いぃぃぃっっ!!」
ガシャァァン! と前脚を振り下ろしてマンミアが赤面絶叫する。
「同僚の背中に乗って通勤する管理人がどこにいる。第一、お前が過剰に意識して闘気暴走するのが目に見えてるだろ」
「う、うぐぅ……! 的確すぎて何も言い返せん……!」
マンミアは耳を伏せ、湯気を吹き出しながら項垂れた。
だが、その瞳には先ほどまでの絶望やヒステリーの色は微塵もなく、同い年の仲間に対する暖かな信頼が灯っていた。
手取り十四万のテント暮らし竜人と、二十五歳未婚クライシスのケンタウロス。
厄介極まりない自警団の問題児たちだが――胃袋さえ掴んで手綱を握れば、これほど頼もしい防衛戦力もない。
「よし、後片付けしたら午後の見回りに行くぞ。フェイトの奴がまたサボってないか見張らなきゃならんからな」
「「了解ッ!!」」
二人の元気な返事が、給湯室に響き渡った。
常識人管理人のハリセンとフライパンによる胃袋支配は、今日も確実にポポロ村の治安を守り続けていた。
読んでいただきありがとうございます。
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