EP 3
村長公邸の残酷な食卓と、0.2秒の光速スライディング土下座
資本主義の冷酷さは、銀行の預金通帳だけでなく、毎朝の食卓の上にも容赦なく現れる。
午前七時半。ポポロ村長公邸のダイニングルーム。
木目のテーブルには、住人たちの社会的・経済的格差をこれでもかと可視化した、あまりにも残酷な光景が広がっていた。
上座に座る村長キャルルの前には、俺が焼いた香ばしい米麦草のトースト、厚切りのスモークベーコンエッグ、そして採れたての人参マンドラをすりおろした鮮やかな自家製野菜ジュースが並んでいる。
その隣、優雅に足を組む世界樹のハイエルフ令嬢ルナの前には、世界樹の原生林から直送された神秘の果実と新鮮野菜による『特製デトックス・スムージー』が、クリスタルグラスの中で淡いエメラルド色に輝いていた。
さらに向かいの席では、月収二億円のメガゴッドチューバー天使キュララが、魔導タブレットで配信画面のスパチャ総額をチェックしながら、リスナーから届いた高級発泡神酒ゼリーをスプーンですくい、あざとく咀嚼している。
――そして、テーブルの最果て、お誕生日席のパイプ椅子。
薄汚れた小豆色の芋ジャージに身を包んだ絶世の人魚姫、リーザ・シーランの前には――。
炭のように真っ黒に焦げた、長さ十センチほどのパンの耳が二本。
殻に無数のヒビが入った、冷え切った固茹で卵が一個。
そして、今朝方そこらの土手でむしり取ってきたばかりの、オオバコとタンポポの葉を水道水で洗っただけの「ドレッシングなし雑草サラダ」が、欠けた皿に山盛りにされていた。
「……リーザ」
「な、なんですの、悠人さん」
俺が思わず眉根を寄せて声をかけると、リーザはビクッと肩を震わせ、虚空を睨みつけた。
深海王国の王女という肩書きが嘘のように、その頬はこけ、瞳の奥にはギラギラとした飢餓の光が宿っている。
「お前、それ……本気で朝飯のつもりなのか? その黒い炭化物はどこで拾ってきた」
「拾ったとは人聞きが悪い! これは昨日、スーパー『タローマート』の裏口で、店員のおじ様に『ペットの亀に固いエサを与えたいんですの』と渾身の営業スマイルを浮かべて無償回収した、栄光の戦利品ですわ!」
「完全に人間の尊厳を捨てた言い訳じゃねえか。あとその雑草はなんだ」
「フン! 無知な地上の民には分からないでしょうけれど、野草はミネラルとビタミンが極めて豊富! 美容とデトックスに最適なスーパーフードなんですのよ! ドレッシングなどという油と塩分の塊をかけないことで、素材本来の大地の苦味をダイレクトに楽しむ……これぞ一流アイドルのストイックな食生活ですわ!」
グゥゥゥゥウウウウ――ッッッ!!
リーザの腹から、地鳴りのような猛烈な飢餓音が鳴り響いた。
公邸の窓ガラスが微かにビリビリと共鳴するほどの重低音だ。
「おい、腹の虫が『飯を寄越せ』と大合唱してるぞ」
「い、今の音は私の美声の倍音共鳴ですわ! 空腹など微塵も感じていませんことよ! 地下アイドルの矜持にかけて、ファン以外の施しなど絶対に受けませんわ!」
そう言って胸を張るリーザだったが、その手はプルプルと生まれたての子鹿のように震え、隣のキャルルがフォークで刺したジューシーなベーコンから滴る脂を、今にも飛びかかりそうな野獣の目で見つめている。
その拍子に、彼女のジャージのポケットから、チャリン……と硬質な音が響いた。
コロコロと床を転がったのは、親指大の小石だった。
ダイヤモンドやミスリル以上に七色にピカピカと妖しく発光し、室内を美しく照らし出す。
――出た。リーザの体内から漏れ出た厄災のマナが結晶化して勝手に湧き出す、歩く大凶アイテム『ふ〜ん石』だ。
持った者の運勢を強制的に「リーザの生活水準以下」まで叩き落とし、全財産を消滅させるという悪魔の呪縛鉱石である。
「あっ、いけませんわ! 私のお星様が!」
「拾うな触るなポケットに戻すな! ニャングルに『窓口に持ち込んだら金庫の鍵穴を爆破する』って言われてるだろ!」
「だ、だって綺麗なんですもの……! これ、悠人さんにあげますわ! いつも泊めていただいてるお礼ですの!」
「誰が呪いの破滅石を受け取るか! 俺を路上生活者に引きずり落とす気か!!」
俺は新聞紙を素早く丸めた『常識人のハリセン』を構えそうになったが、あまりの衰弱ぶりに振り上げた手を下ろした。
ため息を吐きながら、俺はエプロンの紐を締め直す。
「……どいつもこいつも、朝から胃に悪い真似ばかりしやがって」
俺はため息と共に、台所の調理台へと戻った。
元・危機管理ディレクターとして、泥沼の現場で我儘タレントや過労死寸前のスタッフたちを宥めてきた経験上、人間――いや知的生命体が最も理性を失い、暴走するのは「極度の空腹」と「睡眠不足」の時だと相場が決まっている。
こんな貧相極まる食事で居座られたら、公邸の治安と俺の精神衛生が持たない。
「おい、寄生魚。そこの炭と雑草を片付けろ」
「き、寄生魚とは失礼ですわ! 私は誇り高き深海の――」
「いいから黙って座ってろ」
俺は冷蔵庫から、昨日ドンガン地下帝国の特約商人から仕入れたばかりの『朝採り有精卵』を取り出し、ボウルへと小気味よく割り入れた。
さらに、村の高原牧場で搾られた濃厚な原乳、少量の砂糖、そして隠し味に世界樹の原生林で採れる『百花マナ蜜』をほんのひと匙加える。
菜箸で白身を断ち切るように手早く溶きほぐし、黄金色の卵液を作る。
そこに投入するのは、タローマートで買った米麦草の極厚切り食パンだ。
表面に細かくフォークで穴を開け、たっぷりの卵液の中へと惜しみなく沈める。
パンがスポンジのようにジュワジュワと音を立て、濃厚なミルクと卵のコクを芯まで吸い込んでいく。
「……あ、あの……悠人さん……? 何を……何をなさっているんですの……?」
背後から、鼻をヒクヒクと鳴らすリーザの怯えたような声が聞こえる。
俺は返答の代わりに、熱したフライパンへ銀色の塊――ドンガン特製の無塩発酵バターを滑り込ませた。
――ジュワァァアアアッッ!!
溶けたバターが細やかな泡を吹き、香ばしく濃厚な乳脂肪の芳香が、公邸のダイニングルームいっぱいに爆発的に広がった。
その甘く、どこまでも罪深い匂いに、食卓にいた全員の動きがピタリと止まる。
「ふにゃぁ……っ!? すっごく甘くていい匂い……!」
キャルルが兎耳をピンと直立させて振り返る。
「あら……? 世界樹の最高級マナ蜜の香りがいたしますわね」
ルナが目を丸くしてスムージーの手を止める。
「ちょ、悠人! 何それ美味しそう! カメラ回す!? 今から緊急生配信する!?」
キュララが身を乗り出すが、俺は構わずフライパンに意識を集中させた。
たっぷりと卵液を吸ってずっしりと重くなった極厚パンを、澄ましバターの海へと静かに落とす。
――ジュウゥゥゥウウ……ッ!
心地よい低温の焼き音が響く。
弱火でじっくり、蓋をして蒸し焼きにすること三分。
フライパンの蓋を開けると、ふんわりと蒸気と共に膨らみ、極上のきつね色に色づいたフレンチトーストが姿を現した。
ひっくり返してもう片面もこんがりと焼き上げ、仕上げに表面へパラリと粉糖を振り、追いがけのマナ蜜をとろりと回しかける。
皿の上で、ぷるぷるとプリンのように揺れる黄金の直方体。
外側はカリッとバターで香ばしくキャラメリゼされ、内側はとろっとろの半熟カスタード状態に仕上がった、至高の『米麦草フレンチトースト』の完成だ。
俺はその皿を手に取り、ダイニングテーブルの端――固茹で卵の殻を剥こうとしていたリーザの前へと、ことりと置いた。
「……ほら。食うか?」
リーザの瞳が、皿の上の黄金の物体へと吸い寄せられた。
立ち上る甘い湯気、濃厚なバターと蜜の香り。
彼女の喉仏が、ゴクリと暴力的な音を立てて上下する。
「え……? で、でも……私は……ファン以外からの施しは受けない主義でして……その……アイドルのプライドが……!」
「そうか。いらないならキャルルにやるよ。あいつなら一口で食うだろ」
「あ、食べる食べる! 悠人くん、私にちょうだ――」
キャルルが手を伸ばしかけた、その刹那だった。
ドサッッッ――!!!!
爆音と共に、リーザがパイプ椅子から身を投げ出した。
そして――。
ズザザザザザザザザザザザッッッッ!!!!
時速百キロは出ているであろう猛烈な速度で、リーザは赤絨毯の上を腹ばいのまま滑走した。
わずか零点二秒。
目にも留まらぬ光速スライディング土下座を敢行した彼女は、俺のスリッパの爪先にピタリと額を擦り付け、両手を床に叩きつけて絶叫した。
「食べますぅーーーッ!! 神様仏様悠人様ぁーーッ!! どうか哀れな寄生魚にお恵みをぉぉおおおおっ!!」
「前言撤回が光速すぎるだろ!!」
俺のツッコミが室内に木霊する。
アイドルの矜持はどこへ行った。
零点二秒前まで「大地の苦味が〜」などとほざいていた女と同一人物とは到底思えない、あまりにも美しいフォームの土下座だった。
「ほら、床に頭を擦り付けてないで席に戻れ。冷めたら不味くなる」
「は、はいぃっ!!」
リーザは脱兎の勢いで椅子によじ登ると、震える手でフォークを手にした。
そして、ぷるぷると震えるフレンチトーストの角を切り取り、ハフハフと息を吹きかけながら、口の中へと放り込んだ。
「はふっ……ん……っ!?」
その瞬間、リーザの全身がビクンと跳ね上がった。
瞳孔がカッと見開かれ、頬が林檎のように赤く染まる。
「な……なん……なんですの、これぇぇええっ!? 噛んでないのに……歯がいらないくらい、お口の中でとろけていきますわ……! 外側はカリッとしててバターがジュワッて染み出してくるのに、中はまるで温かい極上のプリン……! マナ蜜の優しい甘さが、飢えた五臓六腑に染み渡って……あぁっ、生きてて……私、今日まで生きてて良かったですわぁぁあん!!」
大粒の涙をボロボロと零しながら、リーザは貪るようにフレンチトーストを頬張り始めた。
フォークが止まらない。
もはや咀嚼というより、ブラックホールのような吸引力で皿の上のトーストが消滅していく。
わずか一分足らずで皿の上はピカピカになり、彼女は残った蜜の一滴まで名残惜しそうに指ですくい取って舐めていた。
「……ふぅ。美味かったなら何よりだ」
「ごちそうさまでしたぁ……! 悠人さん、いえ、悠人様……!」
息を吹き返したリーザは、潤んだ瞳で俺をじっと見つめてきた。
小動物のように愛らしく、元が王女なだけあって絵になる美貌だ。
だが――次の瞬間、その口から飛び出したのは、あまりにも図々しいクズの発言だった。
「悠人様! 私、決めましたわ! 今日から貴方を、私の『筆頭公式パトロン兼専属プロデューサー』に任命して差し上げます!」
「……は?」
「毎朝、今のフレンチトーストと温かいスープを作ってくだされば、特別に私のファンクラブ『シーラン親衛隊』の永久VIP名誉会員の権利を差し上げますわ! 本来なら月額お布施十万円のコースですが、悠人様なら特別に毎日のご飯で相殺して差し上げてもよろしくてよ! さあ、契約書を交わしましょう!」
リーザは胸を張り、ドヤ顔で懐から丸まった紙ナプキンを取り出そうとした。
その横で――。
スゥーーーッ……。
ダイニングルームの気温が、目に見えて氷点下へと急降下した。
上座に座るキャルルから、すべての光が消失している。
「……ねぇ、リーザちゃん?」
「な、なんですのキャルルさん?」
「悠人くんの胃袋と身辺の管理は……村長である私の『公務』だよ……? それを、勝手にパトロン契約して囲い込もうとするなんて……」
カチャリ。
キャルルが腰のホルスターから、超硬質ミスリル製のダブルトンファーを引き抜いた。
その兎耳が、怒りのあまりバチバチと静電気を帯びている。
「村の公務員に対する贈賄誘導罪、および私に対する重大な宣戦布告だね……? その生臭い魚のヒレ、安全靴の踵落としで綺麗におろしてあげようか……?」
「ひ、ひぃぃっ!? じょ、冗談ですわ! ただのビジネス提案ですのに、なんで即座に暗殺モードに入りますのぉ!?」
阿鼻叫喚の修羅場へと突入しかけた食卓。
俺は深く、本日最大のため息を吐き出すと――テーブルの上の『ルナミス新聞』を細長く丸め、布ガムテープで固定した特製ハリセンを右手へと握り込んだ。
発動するは、我が固有スキル『常識人のハリセン(コンプライアンス・ブレイカー)』!!
「――飯を食わせてもらって即座にタカリの営業をかけるな! 特定商取引法および無許可寄付金募集違反だこの寄生魚ッッ!!」
――パァァァァァァァンッッッ!!!!
「ふぎゃああああっ!?」
快音が轟き、リーザの脳天に乾いたツッコミが炸裂する。
さらに俺は、そのままの手首のスナップで、トンファーを構えていた美少女村長の後頭部へとハリセンを振り抜いた。
「そしてキャルル! 朝食のテーブルで同居人を叩き潰そうとするな! 傷害予備罪および銃刀法違反だ目を覚ませッッ!!」
――パパァァァァァンッッッ!!!!
「あやふぅっ!?」
二連撃の快音がダイニングルームに響き渡る。
リーザのタカリ根性と、キャルルの禍々しいヤンデレオーラが、概念必中のハリセンによって同時に綺麗さっぱり吹き飛んだ。
「あうぅ……頭がジンジンしますわぁ……」
「うぅ……悠人くんのバカぁ、叩かなくてもいいのにぃ……」
二人はそれぞれの頭を押さえ、涙目で俺を睨みつけてくる。
やれやれ、叩かれた被害者面をするんじゃない。
「文句があるなら皿を洗ってから言え。あとリーザ、そのポケットの『ふ〜ん石』は村のゴミ集積所に隔離投棄してこい」
「は、はぁい……」
「キュララも配信の切り抜きばっかり見てないで残さず食え。ルナもスムージーだけで腹が膨れると思うな、卵くらい食え」
「ふふ、悠人さんは本当に口うるさいお母様のようですわね♡」
「誰がおかんや」
騒がしい食卓に、ようやく日常の緩やかな空気が戻ってくる。
皿を片付けるリーザの背中は、フレンチトーストのおかげか先ほどよりほんの少しだけ生気が漲っていた。
……まあ、明日の朝にはまた「お腹が空きましたわぁ!」と床を這いずり回っているのだろうが。
俺はエプロンを外し、やれやれと首を鳴らしながら窓の外を見上げた。
今日もまた、ポポロ村の長く騒がしい一日が始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




