EP 3
温室キャバクラ営業中!甘い果肉に溺れた親父たちとハリセンの鉄槌
鼻孔を刺すような甘ったるい蒸気と、ピンク色の燐光が視界を埋め尽くしていた。
泥沼農園が誇る全天候型大型ガラス温室――通称『A温室』の内部。
タローマン特注の耐魔高機能防音耳栓と活性炭三重構造の防毒マスクを装着し、突入した俺たちが見たものは、完全に農林水産行政の埒外へと暴走した狂乱の歓楽街だった。
「うおおおおおっ! クイーンちゃん! 俺だ、泥沼源蔵五十歳! 今日も一番高い特級液肥のボトルを持って会いに来たぞぉぉおおっ!!」
ネクタイをハチマキ代わりに巻いた農園主・泥沼源蔵(五十歳)が、パイプ椅子に座ってデレデレと相好を崩していた。
その膝の上には、成人の頭部ほどもあるエメラルドグリーンの球体。
美しい幾何学的な網目模様の隙間から妖しいピンク色の燐光を放ち、豊かな果肉をぷるんぷるんとスライムのように波打たせている『クイーンメロロン』の完全体である。
クイーンメロロンは緑色のツルを器用に二本伸ばし、源蔵の肩をトントンと優しく叩きながら、防音耳栓越しでも微かに骨髄へ直接響いてくるような極上の甘いソプラノボイスを紡ぎ出していた。
『……源蔵さん、今日も来てくれたのねぇ……♡ 待ってたわ……。奥様との冷たいお食事、辛かったでしょう……? いいのよ、あなたは悪くないわ……。全部忘れて、私の甘い果肉に溺れていいのよぉ……♡』
「うぐぅぅぅ……クイーンちゃん! 俺を本当に理解してくれるのはお前だけだぁぁあ! あんな冷めきった女房とは別れてきた! この広大な畑も農機具も全部売り払って、お前と二人で南の島へ逃避行するぞぉぉお!!」
『まあ、嬉しい……♡ 馬鹿な人……でも、愛してるわ……♡ さあ、あなたの持っている全財産で、最高ランクのリン酸カリウム肥料を私に注いでぇ……♡』
「注ぐ! 金貨百枚だろうが千枚だろうが、全財産注ぎ込んでやるぞぉぉおおおっっ!!」
「「「「うおおおおおおっ! 源蔵さんズリぃぞ!!」」」」
源蔵の背後では、収穫の手伝いに来たはずの近隣農家のおじさんたち十数名が、土下座の姿勢で列をなし、目を血走らせて叫んでいた。
「俺だって金貨五十枚分の堆肥をツケで卸したんだ! 次の指名は俺だァッ!」
「クイーンちゃんの果皮の網目を撫で回させろーっ!」
「女房に内緒で組んだトラクターのローン枠、全額液肥シャンパンタワーにぶち込んでやるぜぇぇえ!!」
温室の棚には、高級な魔導液肥のガラス瓶がシャンパンタワーのように積み上げられ、空になったボトルが足元に転がっている。
資本主義と植物のチャームフェロモンが最悪の悪魔合体を遂げた、地獄のキャバクラ農園。
男たちの理性は完全に溶解し、瞳の奥からはハイライトが消え去っていた。
「……う、うわぁ……。これ、冗談抜きで家庭崩壊どころか集落全体の金融恐慌案件だぞ……」
防毒マスクの隙間を押さえながら、俺――村長公邸管理人にして自警団現場監督の佐藤悠人は、寒気を覚えて呟いた。
だが、問題は敵の凶悪さだけではなかった。
我が陣営のポンコツ猛獣たちである。
「へ、へへっ……すっげぇいい匂い……。なあ悠人、ちょっとだけ……ちょっとだけ耳栓外していいか……? 俺様、広場でのテント生活で、最近誰からも『お疲れ様』なんて優しく言われたことねぇんだよ……」
イグニスが鼻の下を伸ばし、耳栓に指をかけようとする。
「俺も俺も〜! ミスリルソードを自慢したら、あの子『キャー♡ 強くて素敵〜♡』って褒めてくれそうじゃん! 同伴出勤の権利、ワンチャン宝くじより当たりじゃね?」
フェイトまでが金髪をかき上げ、鼻の穴を膨らませて温室の奥へフラフラと進み出ようとした。
――出た。
極度の承認欲求飢餓に陥った二十五歳男子の、秒速でのハニートラップ陥落。
俺は迷うことなく、右手に握りしめた『ルナミス新聞特製ハリセン』を、手首の超絶スナップで振り抜いた。
『常識人のハリセン(コンプライアンス・ブレイカー)』!!
「――童貞の寂しさをウリ科の植物で埋めようとするな! 公務中の職務怠慢および風紀紊乱未遂だ耳栓を押し込めッッ!!!!」
――パパァァァァァンッッッ!!!!
「あぎゃぶへっ!?」
「ふぎゃうんっ!?」
乾いた快音が二連撃で炸裂し、イグニスとフェイトの脳天を寸分の狂いもなく直撃した。
概念必中のハリセン打撃により、二人の脳内に侵入しかけていた微弱なピンク色のフェロモンが一瞬で粉々に吹き飛ぶ。
「はっ!? お、俺様は何を……!? メロン相手に手取り十四万の残り全額を貢ぐところだったぁぁあ!?」
「あぶねぇ……! ミスリルアーマーを質屋に入れて液肥を買う未来が見えたぜ……!」
二人が青ざめて後退る横で、今度はカチャリと重厚な撃鉄の音が響いた。
「……許せん」
白銀の胸当てを着けたケンタウロス族のリーダー・マンミアが、四本の蹄を踏み鳴らして前に進み出ていた。
左腕に装着された超特大シールドパイルバンカー『アグニ』から、シューシューと危険な超高圧蒸気が噴出している。
その切れ長の青い瞳には、燃え盛る怒りと――血涙が滲んでいた。
「許せん……断じて許せんぞ……! 生まれてから四半世紀! 今年で二十五歳、恋人いない歴二十五年……! 私が誰一人として殿方に甘い言葉を囁かれたことがないというのに……! なぜ、なぜただのツル性植物ごときが、何十人もの男たちを侍らせて貢がせているのだぁぁあああっ!!」
「マンミア、お前は処女の怨念で重火器を起動するな!!」
「風紀の乱れは村の破滅! 泥沼農園の温室ごと、私の処女性の悲憤を込めたアグニの杭でミンチに粉砕してくれるわッ!!」
「待て待て待て! 器物損壊で農園を吹き飛ばしたら、村の税収と賠償金で今度こそお前の給料が吹き飛ぶぞ!」
俺がマンミアの腰帯を必死に引っ張って制止した、その時だった。
ドォォォォォンッ――!!!!
温室の連結通路を挟んだ向かい側――『B温室』の強化ガラス扉が、内側からの凄まじい衝撃波によって吹き飛ばされた。
煙と共に飛び出してきたのは、エプロン姿の熟年女性――泥沼源蔵の妻、泥沼恵(四十五歳)である。
その手には、泥沼家の定期預金通帳と、タローマンの業務用一輪車が握られていた。
一輪車の上には、山積みにされた金貨の袋と、最高級アミノ酸液肥の特大ポリタンクが十基。
「どきなさぁぁぁいッ! 私のプリンスちゃんのシャンパンタワーの時間よぉぉおおッ!!」
「恵……!? てめぇ、家の金庫からへそくりを持ち出しやがったな!」
パイプ椅子の源蔵が跳ね起きる。
「何よ源蔵! あんたこそ、農業用トラクターの買い替え資金を全部その緑の女狐に貢ぎ込んでるじゃないの! あんたみたいな加齢臭のする生米配給男なんてこっちから願い下げよ! 私はプリンスちゃんの『ナンバーワン姫』になるんだから邪魔しないでぇッ!!」
B温室の奥から、涼しげで甘美なイケメンボイスが響き渡ってきた。
『……恵ちゃん、今日も僕のために頑張ってくれたんだね……♡ 嬉しいよ。君の注いでくれるアミノ酸が、僕の果肉を一番甘くしてくれるんだ……。今夜は僕だけのナンバーワンとして、ラストソングを歌わせてくれるよね……?♡』
「キャァァァッ♡ プリンスちゃん! いくらでも注ぐわ! 土地の権利書も持ってきたからねぇぇええっ!!」
「「「「家庭崩壊のスピードが音速を超えてるぅぅぅうううッッ!?!?!?!?!?」」」」
自警団全員の絶叫が温室に木霊した。
夫はキャバクラメロンと南の島へ逃避行宣言、妻はホストメロンのナンバーワン争いに土地の権利書を全ツッパ。
もはや修羅場という言葉すら生ぬるい、完全なる狂乱の破滅スパイラルだ。
――だが、事態はさらに最悪の『終着駅』へと突入しようとしていた。
膝の上のクイーンメロロンが、ぽよんぽよんと激しく果肉を波打たせ、エメラルドグリーンの表皮からピキピキと細やかな亀裂を走らせ始めたのだ。
完熟の極限。
メロロンという魔性植物が迎える、真の捕食フェーズである。
『……源蔵さん♡ もう、我慢できないわ……♡ 私の果肉が、あなたを求めて熟れ切ってしまったの……♡』
「ク、クイーンちゃん……!?」
『さあ……あなたのその手で、包丁を私の頭に突き立てて……私の甘い果肉を、一滴残らず食べてちょうだい……♡ あなたの胃袋の中で、私たちは永遠に一つになるのよぉ……♡』
「食べる! 食うぞ! お前を食って、俺の血肉にするぅぅう!!」
源蔵が作業台から、ギラリと光る収穫用大型果物ナイフを狂乱の目で握りしめた。
『ふふ……嬉しい……♡ そしてね……あなたが私の果肉を全部食べ終えたら……お腹の中から私の『種』を一つだけ取り出して、南の島の土に植えてね……♡ そうすれば……一年後、また新しく実った私と、永遠に愛し合えるわ……♡ 妻から全てを奪って、私と一緒に破滅へ堕ちてぇ……♡』
「うおおおおおっ! メロロオオオオオンッッ!! 愛してるぞぉぉおおおっっ!!」
源蔵が涙をボロボロと流しながら、包丁をメロンへと突き立てようと振りかざした。
――出た。
メロロンの最終形態、愛する男の人生と家庭を完全に喰らい尽くし、自身の輪廻の苗床にする『究極の不倫心中劇』である!
放置すれば、源蔵はメロンを食べたショックで精神崩壊し、妻の恵はホストメロンに全財産を吸い尽くされて農園は消滅、ポポロ村の重要農業法人は今夜中に倒産する!
「……やれやれ。他人の家庭の痴情のもつれを、まさか異世界のビニールハウスで処理する羽目になるとはな」
俺は深くため息を吐き出すと、防毒マスクの紐をキュッと締め直した。
前世の危機管理室長時代、泥沼不倫スキャンダルで記者会見を炎上させかけた大物タレントの会見場へ割って入った日の記憶が、冷徹に蘇る。
「キャルル! 退路を塞げ!」
「うんっ! 任せて悠人くん!」
キャルルがタローマン特注の安全靴を踏み鳴らし、マッハのステップで温室の出口を瞬時に封鎖した。
両手には超硬質ミスリル製のダブルトンファー。
逃走ルートは完全にゼロ!
俺は疾風の如く踏み込み、包丁を振り下ろそうとしていた五十歳の親父と、妖しく微笑む魔性メロンの間合いへと、単身で割って入った!
右手の手元にあった『ルナミス新聞』を細長く丸め、布ガムテープでガチガチに補強した我が魂の相棒が、限界突破の常識の言霊を帯びて唸りを上げる!
発動するは、理不尽と狂気を粉砕する唯一無二の絶対制圧術式――!
『常識人のハリセン(コンプライアンス・ブレイカー)』!!
まず一閃! 狂乱して包丁を振り上げていた泥沼源蔵の手首へ、下からの鋭利な切り上げツッコミ!
「――配偶者居住権侵害、婚姻関係破綻の不法行為、および凶器準備結託未遂だ! 五十歳にもなってウリ科の植物と心中しようとするな目を覚ませこの不倫オヤジッッ!!!!」
――パァァァァァァァァンッッッ!!!!
「あぎゃぶっ!?」
手から包丁がポロリとこぼれ落ち、源蔵の脳天に乾いた快音が直撃した。
さらに俺は、そのままの手首の超絶スナップで、源蔵の膝の上でぷるぷる揺れていたクイーンメロロンの天頂部のヘタ目掛けて、フルスイングでハリセンを一閃した!
「そしてメロロン! お前は農家の純朴なオジサンの承認欲求をハックして無限課金心中劇を仕掛けるな! 特定商取引法違反、詐欺罪、および植物防疫法違反だそのフェロモンを引っ込めろッッ!!!!」
――ドパァァァァァァァァンッッッ!!!!
「きゃうんっ!?♡」
温室のガラスをビリビリと震わせる、本日最大にして最高の澄み切った快音が炸裂した。
概念必中のハリセン打撃!
殺傷力はゼロ。だが、相手のチャームスキル、狂乱フェロモン、理性を狂わせる因果律を強制遮断する絶対の言霊の鉄槌!
ハリセンの快音が轟いた瞬間――クイーンメロロンの全身を覆っていたショッキングピンクの燐光が、パリンッとガラスのように粉々に砕け散った。
立ち込めていた甘いフェロモンの霧が一瞬にして霧散し、温室の空気が爽やかな初夏の朝の澄んだ空気へと引き戻されていく。
そして――膝の上のメロンを見つめていた源蔵の瞳から、濁ったピンク色の光が消え去り、澄み切った正気の光がパッと戻ってきた。
「はっ……!? あ、あれぇ……!? わ、儂は……儂は一体何を……!?」
「気がついたか、源蔵さん」
「ゆ、悠人さん……自警団の皆さん!? な、なんで儂はビニールハウスの真ん中で包丁握りしめて、メロンを抱っこしとるんじゃ……!?」
「お前がメロンと駆け落ちして南の島で心中しようとしてたからだよッッ!!!!」
俺のツッコミが温室に響き渡る。
源蔵は周囲を見回した。
足元には山積みにされた特級液肥の空き瓶、握りしめていた収穫用包丁、そして向かいの温室の入り口で、通帳と一輪車を抱きしめたまま呆然と立ち尽くしている妻・恵の姿。
「め、恵……!? お前、その通帳は……」
「げ、源蔵さん……!? 私……私、ホストのメロンに土地の権利書を……」
互いの姿を見つめ合った泥沼夫妻の顔面が、みるみるうちに真っ青を通り越して真っ赤へと染まり上がった。
正気に戻ったことで、自分たちがしでかした半年間の愚行――仮面夫婦の冷戦、タローマートの見切り品惣菜、台所に配給されたカチカチの生米と水道水、そしてメロンへの巨額貢ぎ込みが、津波のような羞恥心となって二人の脳髄を直撃したのだ。
「「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっっ!!!!」」
二人は同時に頭を抱え、温室の土の上に直角の土下座で突っ伏した。
「す、すいませんでしたぁぁぁああっ!!」
「私たちがバカでした! メロンの甘い囁きに目が眩んで、夫婦の絆も財産も全部ドブに捨てるところでしたぁぁあ!!」
泣き叫びながら地面を叩く泥沼夫妻。
後ろに控えていた近隣農家のおじさんたちも、チャームが解けて「うわあああ! 俺のトラクターのローンがぁ!」と頭を抱えて卒倒している。
「ふぅ……やれやれ。とりあえず最悪の心中と倒産は防げたな」
俺はハリセンの形を整え、ポケットへと戻した。
だが、横からツンツンと服の裾を引っ張られた。
見ると、キャルルが膝の上のクイーンメロロンを指差して、小首を傾げていた。
「ねぇ、悠人くん……このメロロンちゃん、どうするの……? チャームの霧は消えたけど、すっごく完熟してて、放っておいたら傷んじゃうよ……?」
見下ろすと、ハリセンでツッコミを叩き込まれたクイーンメロロンは、悪意あるキャバクラの邪気が完全に抜け落ち、ただの『奇跡的なまでに熟れ切った超特級の極甘メロン』として、甘美な果汁をプツプツと滲ませていた。
さらにB温室のプリンスメロロンたちも、ホストのメッキが剥がれ、芳醇なマナの香りを漂わせている。
「……ふん。食材に罪はないからな」
俺はエプロンの紐をキュッと締め直すと、土下座している泥沼夫妻を見下ろした。
「源蔵さん、恵さん。立ちなさい。反省の弁を述べるのは、冷え切った胃袋を温め直してからだ」
「え……? ゆ、悠人さん……?」
「半年間、まともな飯も食わずに生米と水道水でいがみ合ってたんだろ。腹が減って血糖値が下がってるから、植物の甘言なんかに引っかかるんだよ」
俺は腕まくりをし、完熟したクイーンメロロンとプリンスメロロンを抱え上げた。
「泥沼農園の台所を借りるぞ。元・危機管理ディレクターの賄い料理で、お前たち夫婦の狂った食卓と、この魔性メロンの美味さを――完璧に『成仏』させてやる」
常識人管理人のフライパンと包丁が、冷え切った仮面夫婦の絆を再生するための、次なる奇跡を紡ごうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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