EP 2
仮面夫婦のメロロンキャバクラと、耳栓必須の狂乱ピンクハウス
「……おいおいおい、話の治安が急激に昼ドラと歓楽街の闇に舵を切りすぎだろ」
自警団詰所の前、泥まみれで倒れ込んだ泥沼農園の従業員を見下ろしながら、俺――佐藤悠人はこめかみを強く揉みほぐした。
南の空を覆うショッキングピンクの霧は、初夏の爽やかな風に乗ってじわじわと広がり、鼻をかすめるだけで脳のシナプスがトロリと溶けそうになる危険な甘い香りを放っている。
「悠人くん、泥沼さんの農園って……村で一番大きな果樹園と温室を持ってる名門農家さんだよね……?」
キャルルが兎耳をピクピクと警戒させ、俺の袖をギュッと掴んできた。
「ああ。泥沼源蔵(五十歳)と、妻の恵(四十五歳)。農業法人を経営してて世帯年収は一千五百万円。昔は村一番のおしどり夫婦で、手作りの肉椎茸ハンバーグを仲良く分け合うような家庭だったらしいが……」
「それが……全部崩壊したんですぅぅぅっ!!」
従業員の青年が、地面に突っ伏して涙ながらに叫んだ。
「半年前、旦那さんが一攫千金を狙って、禁断の精神汚染果実『メロロン』の温室栽培に手を出したのが全ての始まりでした! 最初は小さな『ベビーメロロン』だったんです! 片言で『おみず……すき』『ありがとう……パパ』『さみしかった……』なんて庇護欲をくすぐる言葉を喋る程度だったのに……!」
「うわぁ、赤ん坊ムーブで親心をハックしてくるタイプの寄生植物か」
「それが完熟期に入った途端、化けの皮を剥ぎ取りやがりまして! 旦那が担当するA温室の『クイーンメロロン』どもは、果肉をぽよんぽよんと揺らしながら『お疲れ様、今日も頑張ってるわね♡』『あなたは悪くないわ、全部忘れて甘えていいのよ♡』『あんな女房より、あなたのお水が一番好き……♡』って、完全に極上のキャバクラ営業を仕掛けてきたんです!」
「農家の親父をピンポイントで仕留める殺傷力の高い営業トークだなオイ!!」
俺のツッコミに従業員が激しく頷く。
「旦那は完全に骨抜きにされて、夜な夜な高級液肥のシャンパンボトルを抱えて温室に通い詰め! 一方、奥さんが担当するB温室の『プリンスメロロン』どもは、涼しげなイケメンボイスと甘い囁きで奥さんの承認欲求をメッタ刺し! 『僕のナンバーワンになってくれるよね?』と囁かれて、奥さんはへそくり数百万円を高ランク液体肥料に全額ぶち込みました!」
「夫婦そろって温室のウリ科植物に貢ぎ倒してんじゃねえよ!!」
「食卓も完全に地獄絵図でした! 手料理が消え、スーパー『タローマート』の半額シール惣菜になり、先月からは夫婦互いへの関心を完全喪失して、台所には『カチカチの生米と水道水』しか配給されなくなりました!」
「生米と水道水!? もはや家庭内兵糧攻めじゃねえか!」
「なのに! 離婚すると村からの農業経営安定化補助金(年間数百万円)が打ち切られるからって、外に出ると満面の営業スマイルで腕を組む『仮面夫婦』を演じてるんです! そして今朝、ついにメロロンたちが限界突破の超完熟フェロモンを大気中に放出! 収穫の手伝いに来た近隣の農家のおじさん達まで全員キャバクラ温室に監禁されて、『指名料払うぞー!』『女房とは別れてメロンと駆け落ちする!』って狂乱状態で畑から帰ってこないんですぅぅぅ!!」
「「「「………………」」」」
詰所の前に、底知れぬ静寂が訪れた。
あまりの救いようのないドロ沼愛憎劇に、居合わせた全員の脳の処理回路が焼き切れかけている。
そんな中――ふわりと甘く危険な百合の香りと共に、優雅に進み出てきたのは、歩く天災ハイエルフ令嬢のルナ・シンフォニアだった。
白銀の長髪を揺らし、エメラルドグリーンの瞳を細めて、聖母のように淑やかに微笑む。
「あらあら……皆様、家庭崩壊とお金のトラブルでお困りですのね♡」
「……おいルナ、その台詞のあとに続く言葉を俺は知ってるぞ」
「ふふ、ご安心くださいまし悠人さん♡ 旦那様と奥様、そして温室に監禁されているおじ様たち全員の『片方の腎臓』を私が丁寧に摘出いたしましょう♡ それを世界樹の闇ルートへ売却すれば、補助金など比較にならない数億円の示談金が手に入りますわ! もちろん、摘出後は私の秘伝再生魔法ですぐに新品同様にして差し上げますので、実質ノーリスクで全員が富豪になれますわよね♡」
シャララ……と袖口から滑り出たのは、太陽の光を浴びてキラリと輝く新品の医療用外科メス。
満面の笑みで臓器売買クリニックの開業を目論む天然サイコパス。
俺は迷うことなく、右手に握りしめた『ルナミス新聞特製ハリセン』を、手首の超絶スナップで振り抜いた。
『常識人のハリセン(コンプライアンス・ブレイカー)』!!
「――夫婦喧嘩の仲裁にメスを持って参入するな! 医師法違反、臓器売買禁止法違反、および重大な狂気事案だその刃物をしまえッッ!!!!」
――パァァァァァァァァンッッッ!!!!
「ふぇみゅっ!?♡」
快音が青空に響き渡り、ルナの手からメスがポロリと落下した。
概念必中のハリセンによって不穏なオーラを霧散させられたルナは、両手で頭を押さえて「あうぅ……」と涙目で項垂れる。
「うぅ……悠人さん、痛くはありませんけれど、とても理不尽ですわ……。私、名案だと思いましたのに……」
「人の内臓を担保にした離婚調停スキームのどこが名案だ! 一生封印しとけ!」
俺が一喝した横から、今度はけたたましい電子音が鳴り響いた。
「ハ〜イみんな緊急特番だよ〜☆」
純白の翼をパタパタさせ、最新鋭の魔導タブレットを掲げて飛び跳ねてきたのは、月収二億円の拝金天使キュララだ。
その瞳は、巨額の再生数とスパチャの匂いを嗅ぎつけてギラギラと黄金色に輝いている。
「聞いたよ悠人! 『メロンに狂って家庭崩壊した農家のオヤジたち』でしょ!? これ絶対GodTube全宇宙トレンド一位獲れるじゃん! 題して【潜入生配信! 完熟キャバクラメロンに人生を捧げた男たちの断末魔www】☆ さっそくドローンカメラ十機飛ばして、温室の中を突撃取材しちゃお〜っと!」
「待てコラ手羽先! 他人の生々しい家庭崩壊と痴情のもつれを全世界へデジタルタトゥー化しようとするな! 名誉毀損およびプライバシー侵害で村が訴訟まみれになるだろ!」
「そうですわ! 許せませんわぁぁああっ!!」
ドサァッ! とみかん箱を放り出し、薄汚れた小豆色の芋ジャージ姿で飛び出してきたのは、人魚姫リーザだった。
その顔は、嫉妬と飢餓の怨念で般若のように歪んでいる。
「私という正真正銘の深海王女アイドルが、毎日みかん箱の上で泥水を啜りながら歌っても、五円玉が一枚しか集まりませんのに……! ただのウリ科の植物が、色目を使って数千万円の液体肥料をボトルキープだとぉぉおおっ!? 許せない! 絶対に許せませんわ! 今すぐ私の『お賽銭箱型掃除機』で、そのメロンどもが吸い上げた富を全額因果の彼方へ吸い尽くして、ただの干しメロンにしてやりますわぁぁああッ!!」
「お前の動機は百パーセント私怨と八つ当たりじゃねえか!!」
俺のツッコミが炸裂する。
臓器売買、不法侵入ヤラセ生配信、そして極貧アイドルの私怨テロ。
毎度のことながら、この公邸の居候どもは放っておくと秒単位でコンプライアンスの地平線を踏み越えていく。
「アッフォかぁぁぁああああっっ!!!!」
紫煙を突風のように撒き散らしながら、和装スーツ姿の猫獣人ニャングルが、金算盤をカタカタカタッと爆音で鳴らして割って入ってきた。
その猫耳は怒りのあまりピンと真横に張られ、琥珀色の瞳を吊り上げている。
「ええか、悠人! 泥沼農園はポポロ村の年間農産物出荷額の約十五パーセントを叩き出す、超優良法人なんやぞ! あそこが不倫メロンのせいで倒産して補助金打ち切りになってみぃ! ゴルドスマイル銀行の運転資金貸付枠が焦げ付いて、村の税収が金貨数百枚パーになるんじゃボケェッ!!」
「生々しい損害額を突きつけるな! ……まあ、放置すりゃ村の経済が死ぬのは明白だな」
俺が腕組みをしてため息をつくと、背後からガチャリと重厚な金属音が響いた。
「……風紀の乱れだ」
白銀の胸当てを着けたケンタウロス族のリーダー・マンミアが、四本の蹄を踏み鳴らしながら前に進み出る。
左腕の特注シールドパイルバンカー『アグニ』の銃口から、シューシューと危険な超高圧蒸気が漏れ出していた。
その青い瞳には、神聖なる怒りと――隠しきれない私怨の炎がメラメラと燃え盛っている。
「植物が生意気にも男を誑かし、女を惑わし、健全なる婚姻関係を破綻せしめるとは言語道断! 生まれてから四半世紀、二十五年もの間、誰一人として男に言い寄られたことのない私の前で、キャバクラごっこに現を抜かすなど万死に値するッ!! 自警団リーダーとして、泥沼農園の全温室をアグニの杭で根こそぎ更地に解体してくれるわぁぁあッ!!」
「マンミア、お前は二十五歳未婚の私怨を公共の捜査に混ぜるな!!」
「へへっ、でもよぉ団長、キャバクラ営業するメロンってちょっと気になるぜぇ……。俺様、最近テント生活で誰からも優しくされてねぇから、『お疲れ様♡』って言われてみたいかも……」
「俺も俺も〜! ミスリルソード見せびらかしたら、メロンちゃんが『すごーい♡』って褒めてくれねぇかなぁ〜」
鼻の下を伸ばすイグニスとフェイトの頭上へ、俺のハリセンが電光石火の二連撃で叩き込まれた。
――パパァァンッッッ!!!!
「あぎゃぶっ!?」
「ふぎゃっ!?」
「男どもが揃いも揃って植物に鼻の下を伸ばすなドアホッッ!! お前らみたいなチョロい童貞が真っ先に食い物にされるんだよ!!」
怒号を響かせ、俺は全員を見据えた。
元・危機管理ディレクターとして、この手の「現場の集団催眠・認知の歪みトラブル」は嫌というほど処理してきた。
相手は物理攻撃を仕掛けてくる魔獣ではない。人間の孤独と承認欲求を巧みに突く、悪魔の精神汚染兵器だ。
「泥沼農園の突入作戦を敢行する! 全員、耳をかっぽじって聞け! メロロンのチャーム能力は『甘いフェロモンの吸入』と『耳元での甘言』の二重構造だ。――したがって、これを物理的に完全遮断する!」
俺はエプロンのポケットから、ホームセンター『タローマン』で大量に買い込んできた業務用資材を放り出した。
「タローマン特注・耐魔高機能防音耳栓! そして活性炭三重構造の防毒マスクだ! これを全員、隙間なく装着しろ! 一言でもメロロンの声を聞いたら、その時点で即座にキャバクラの太客に成り下がると思えッ!!」
「「「「了解ッッ!!!!」」」」
自警団の面々とヒロインたちが、一斉に耳栓をねじ込み、厳重な黒マスクを装着した。
音と匂いを完全にシャットアウトした、異様な完全武装集団の完成だ。
「よし、泥沼農園へ急行する! 家庭の平和と村の財政を取り戻すぞ!!」
十分後。ポポロ村の南端、広大な敷地を誇る泥沼農園。
そこは、文字通り『狂乱の歓楽街』と化していた。
視界を埋め尽くす濃厚なショッキングピンクのフェロモン霧。
巨大なガラス温室の扉は力任せに開け放たれ、中からは妖艶な熱気と、狂気に満ちたオヤジたちの歓声が地響きのように漏れ出していた。
「うおおおおおっ! クイーンちゃん! 俺、今月の米麦草の売上全額持って追納しに来たぞーっ!!」
「おいコラ、俺が先にボトルキープした特級液肥に触るな! クイーンちゃんは俺の指名だァッ!!」
温室の入り口には、村の農家のおじさんたちが十数名、土下座の姿勢で列をなし、手には金貨や高級肥料の袋を握りしめている。
その瞳は虚ろで、口元からはだらしなく涎が垂れ流されていた。
俺たちが耳栓とマスクの隙間を押さえながら温室へ踏み込むと――中央の特設ベンチに、異様な光景が広がっていた。
作業着を着崩し、ネクタイを頭に巻いた農園主・泥沼源蔵(五十歳)が、パイプ椅子に座ってデレデレと相好を崩していた。
その膝の上には――成人の頭部ほどもある、艶やかなエメラルドグリーンの球体。
美しい網目模様の隙間からピンク色の燐光を放ち、豊かな果肉をぷるんぷるんと揺らしながら、ツルを手のように伸ばして源蔵の肩をトントンと叩いている――『クイーンメロロン』の完全体である。
マスク越しでも微かに漏れ聞こえる、脳を痺れさせるような極上の甘いソプラノボイス。
『……源蔵さん、今日も来てくれたのねぇ……♡ 待ってたわ……。奥様との冷たいお食事、辛かったでしょう……? いいのよ、あなたは悪くないわ……。全部忘れて、私の甘い果肉に溺れていいのよぉ……♡』
「うぐぅぅぅ……クイーンちゃん! 俺を分かってくれるのはお前だけだぁぁあ! 女房とは別れてきた! この畑を売って、お前と二人で南の島へ駆け落ちするぞぉぉお!!」
『まあ、嬉しい……♡ 馬鹿な人……でも、愛してるわ……♡ さあ、あなたの持っている全財産で、最高ランクのリン酸カリウム肥料を私に注いでぇ……♡』
「注ぐ! いくらでも注ぐぞぉぉおおおっっ!!」
「オッサン目を覚ませぇぇぇえええッッ!!!!」
俺の魂の絶叫と共に、新聞ハリセンのグリップがギチリと軋んだ。
植物に全財産を貢ぎ、家庭を捨ててメロンと南の島へ逃避行しようとする五十歳の哀しい暴走。
ポポロ村のコンプライアンス室長として、この狂った不倫劇を放置することなど絶対にあり得ない。
常識人のハリセンが、魔性のメロン畑を叩き直すための戦いが、今ここに幕を開けた。
読んでいただきありがとうございます。
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