EP 15
翌朝の相殺示談書と、ポポロ村の素晴らしき日常
「ごめんなさぁぁぁぁぁぁぁぁぁいッッッ!!!!」
午前七時。
村長公邸のダイニングルームに、大地を揺るがすほどの悲痛な絶叫が木霊した。
畳スペースの中央で、銀白色のショートボブを振り乱し、愛らしい純白の兎耳を床にペッタリと押し付けて直角の五体投地(土下座)を決めているのは、新村長キャルル・ムーンハートである。
パーカーの袖を涙と鼻水でびしょ濡れにし、タローマン特注の安全靴を脱いだ靴下履きの両足をプルプルと震わせていた。
「うぅ……っ、思い出した……! 全部思い出しちゃったよぉぉおおっ……! 私、マッハ1で隣国の病院に突っ込んでベッドを全部空っぽにして……三大国の砦を素手で粉砕して……『根性が足りない!』って兵隊さんたちを殴っては治し、治しては殴る無限ヤキ入れ地獄を開催しちゃったぁぁあッ!!」
両手で頭を抱え、床の上をゴロゴロとのたうち回る美少女村長。
満月が完全に沈み、朝日が昇ったことで、昨夜の天災級の暴走劇が鮮明な記憶となって彼女の羞恥心と良心をミンチにしていた。
「おしまいだぁ……! 村長として失格なのはもちろん、国家反逆罪と不法侵略と国際法違反のフルコンボで、明日には三大国合同の軍事法廷に引きずり出されて極刑になっちゃうよぉぉお! 悠人くん、私を縄で縛って憲兵隊に突き出してぇぇええっ!!」
情けなく泣き叫ぶキャルルの頭上へ、俺――村長公邸管理人にして自警団現場監督の佐藤悠人は、右手の手元にあった『ルナミス新聞特製ハリセン』を、音もなく振り下ろした。
――コチュンッ。
快音、ではない。
新聞紙の先端で、銀髪のつむじを優しく撫でるような、痛みのない軽い打撃。
「ふぇ……?」
キャルルがおずおずと顔を上げる。
涙で潤んだルビーの瞳が、エプロン姿で腕組みをする俺を見上げていた。
「……反省してるならいい。お前が自分の力に怯えて、民のために背負い込みすぎて暴発した結果だってことは、俺も村の連中も百も承知だ。首を差し出す暇があったら、顔を洗って席に着け。反省の続きは、飯を食ってからだ」
「悠人くん……! 怒ってないの……? 私を、見捨てたりしないの……?」
「怒るに決まってんだろ。次同じことやったら、向こう一ヶ月『ルナキン』の期間限定・苺パフェは完全禁止だからな」
「ひぃぃっ!? パフェ禁止は死んじゃうぅぅ! 絶対にもうしませんっ!!」
キャルルは涙を拭い、慌ててパイプ椅子へとよじ登った。
現金なウサギだ。だが、その瞳から絶望の影は綺麗に消え去っていた。
俺はため息混じりに笑みをこぼすと、厨房から湯気の立つお盆を運んできた。
「ほら、昨夜あれだけマナと体力を使い果たしたんだ。疲労困憊の五臓六腑を芯から修復する、佐藤悠人特製『満月明けの養生朝食膳』だ」
テーブルの上に並べられたのは、心安らぐ和の香気を放つ極上の朝餉だった。
中央に鎮座するのは、大鍋からよそったばかりの『肉椎茸とピラダイの極上つみれ汁』。
清流の川魚ピラダイの上品な白身を叩き、すりおろした生姜草と少量の味噌、そして微塵切りにした『たまんネギ』を練り込んだふわふわの特製つみれ。そこへ、分厚くスライスした怪奇食材『肉椎茸』を惜しみなく投入し、昆布と鰹節の合わせ出汁でじっくり煮込んである。
器の蓋を取った瞬間、キノコと魚介の芳醇なだしの香りと、生姜の爽やかな香気が立ち込め、胃壁を優しく刺激する。
ご飯は、炊きたてツヤツヤの『サンライス』。米麦草の粒が黄金色に輝いている。
おかずには、ドンガン特製の澄ましバターでふんわりと黄金色に焼き上げた『出汁巻き卵』、塩抜きした『人参マンドラ』のシャキシャキ浅漬け、そして香ばしく皮目を炙ったピラダイの塩焼きが一皿。
「わぁぁぁあっ……! すっごく……すっごくいい匂い……!」
「ほら、冷めないうちに汁から啜れ」
「う、うんっ! いただきますっ!」
キャルルは両手を合わせ、震える手でお椀を持ち上げた。
フーフーと息を吹きかけ、澄んだ黄金色のスープを一口啜る。
「ずずっ……はふぅぅぅ……っ♡」
その瞬間、キャルルの全身の緊張がフニャリと解け落ちた。
白磁の肌にポッと赤みが差し、兎耳が幸せそうにとろりと垂れ下がる。
「んんん〜〜〜〜っっ……! し、染みるぅぅ……! お出汁がすっごく優しくて、生姜がほんのり利いてて……カチコチに凍りついてた胃袋が、じんわりポカポカ温まっていくよぉ……!」
続いて、お箸で大きなつみれを一口頬張る。
「はふっ……! 柔らかぁい……! お魚の旨味がジュワッと広がるのに、全然生臭くなくて……中に刻んだたまんネギのシャキシャキした甘みと、肉椎茸のジューシーなコクがぎゅっと詰まってる! ご飯! ご飯がすっごく進むよぉぉお!」
キャルルはどんぶりを抱え込み、ツヤツヤのサンライスをハフハフと口いっぱいに掻き込み始めた。
出汁巻き卵を箸で割れば、中から黄金色のだし汁がじゅわりと溢れ出す。
人参マンドラの浅漬けが軽快な音を立て、炙りピラダイの塩気が米の甘みを極限まで引き立てる。
昨夜の悪夢など忘れたかのように、キャルルは満面の笑みで夢中になって平らげていった。
――そこへ。
ガラリッ!
公邸の玄関引き戸が勢いよく開き、二つの影がリビングへと飛び込んできた。
「おいキャルル! 悠人! 朝っぱらから呑気に飯食うとる場合やないでぇ!!」
紫煙を激しく撒き散らしながら現れたのは、和装スーツ姿の猫獣人ニャングルだ。
その隣には、一点の乱れもない漆黒の燕尾服をまとった人狼執事リバロンが、涼やかな顔で従っている。
二人とも一睡もしていないはずだが、その手には厚さ三十センチはあろうかという膨大な書類の束が抱えられていた。
「ひゃぅっ!? ニ、ニャングルちゃん、リバロンさん!? やっぱり、やっぱり三大国から宣戦布告の最後通牒が届いたのぉぉお!?」
キャルルが茶碗を取り落としそうになって怯える。
だが、ニャングルはニヤリと口元を吊り上げ、パチンッ! と金の算盤を豪快に弾いた。
「アッフォか! 最後通牒どころか――『超・歴史的大勝・完全黒字確定』の決算報告書やぁぁああああっっ!!!!」
「……え?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするキャルルの前に、リバロンが一枚の羊皮紙を優雅に滑り込ませた。
そこには、達筆な文字でこう記されていた。
『三大国合同境界駐留軍、およびルナミス中央総合病院との【満月被害・包括的相互相殺示談書】』
「ご説明申し上げましょう、我が主キャルル様」
リバロンがモノクルをクイと押し上げ、完璧な執事スマイルを浮かべた。
「昨夜、貴女様が暴走して破壊した損害――境界砦の防壁損壊、凹んだ装甲車十台、病院のガラス扉損壊。これらを正規の土木・修繕見積もりで算出いたしますと、〆て金貨八百枚の損害賠償となります」
「は、八百枚……! 日本円で八千万円……! やっぱり破滅だよぉぉお!」
「しかし、です」
ニャングルがキセルを咥え直し、算盤の珠をカタカタカタッと目にも留まらぬ速さで弾いた。
「ウチとリバロンで、昨夜キャルルが施した『医療行為の適正対価』を、三大国の軍医および帝都医師会の正規点数表に基づいて逆算したったんや! 重傷兵百五十名の古傷・慢性疾患・不治の熱病の完全根治、および病院の末期患者全員の即時完治……! これを民間の奇跡魔法点数に換算すると――〆て金貨【五千枚(約五億円)】の大医療事業や!!」
「ご、五千枚……!?」
「そうや! 壊した壁の代金なんぞ、命の治療費から差し引いたらお釣りが山のように出るんじゃ! リバロンが作成した相殺示談書を叩きつけたら、各国の司令官どもはぐうの音も出ずに即座にサインしたわ!」
リバロンが満足げに頷く。
「それだけではございません。昨夜、殴打と全回復の極限ループを味わって生存本能が完全にバグった各国の兵士たちから、『姐御の熱血指導に魂が震えました! 一生ついていきます!』という血判状と共に、感謝の貢物として高級魔導燃料百ドラム缶、上等な銘酒サケスキー五十樽、そして『防衛協力慰労金』として金貨二千枚がポポロ村へ無条件で寄贈されました」
「……生存本能のバグり方が、国境を越えて経済的利益を生み出してんじゃねえよ」
俺の冷静なツッコミが炸裂する。
殴られた兵士たちが信者化して貢物を送ってくるなど、どんなカルト宗教の誕生だ。
だが、ニャングルの大攻勢はこれだけで終わらなかった。
「さらに本番はここからやで悠人! 昨夜、お前らの連携でぶっ潰した『大山岳武装山賊連合』の残党どもや!」
「ああ、あの百五十人と総隊長ボルドか」
「あいつら全員、三大国から特A級の賞金首として指名手配されとった凶悪犯やったんや! 生け捕りにしたボルドたちの身柄を三大国の憲兵隊へ引き渡した懸賞金の総額――金貨三千枚! さらに、乗り捨てられた三十台の魔導装甲車と神格火器は、自警団の防衛装備として正規徴用した上で、余剰分をドンガン地下帝国へ密輸ルートで高値売却! 〆て金貨四千枚の純利益や!!」
ニャングルはバチンッ! と算盤の枠を叩き、満面の獰猛な笑みを浮かべて叫んだ。
「前村長ロップが持ち逃げした『暴行しない券』の滞納金と負債、全額一括完済!! その上で、ポポロ村の公金口座には――金貨【八千枚(約八億円)】の純黒字が残ったんやぁぁあああっっ!!!!」
「「「「う、うわぁぁぁぁぁぁぁああああっっっ!!!???」」」」
ダイニングルームが、揺れるほどの歓声に包まれた。
借金地獄、破滅寸前の限界集落。
前村長が高飛びして以来、ずっと村の首を絞め続けていた暗雲が、一夜にして吹き飛んだどころか、大陸屈指の富裕自治領へと大逆転を遂げたのだ!
「す、すごい……! 借金が……村の借金が全部なくなって……大黒字になっちゃったぁぁあ!」
キャルルが目を丸くし、それから感動のあまり再び大粒の涙をボロボロと零した。
「ふぅ……。悠人、お前がおらんかったらこの村は昨夜のうちに消し炭やったわ。ほんまにおおきにな」
ニャングルが珍しく素直に頭を下げ、キセルの煙をふわりと吐き出す。
「おやおや、お取り込み中失礼いたしますわ♡」
「ハ〜イみんなおはきゅら〜☆」
「あぁ……! 廊下に、人間の食べる文明の匂いが満ち満ちていますわぁぁあ!」
騒ぎを聞きつけた居候たちが、続々とリビングへなだれ込んできた。
小豆色ジャージの極貧人魚姫リーザは、昨夜の生配信の投げ銭の余波でファンから贈られたという「千円札」を大事そうに胸に抱きしめながら、つみれ汁の鍋へ光速スライディング土下座をかます。
「悠人様ぁぁあ! 今朝の私は五円玉ではありませんの! 紙幣を持つ女ですわ! どうかそのお汁の残りを恵んでくださいましぃ!」
「千円札握りしめて土下座する王女があるか。ほら、お前の分もあるから座れ」
「悠人、昨夜のゴーレム解体ショーの切り抜き、GodTube全宇宙急上昇ランキング一位独走中だよ〜☆ スパチャの取り分、村の口座にルナPayで振り込んどいたからね♡」
キュララがウインクを飛ばし、タブレットの画面を見せてくる。
そこには、天文学的な数字の投げ銭が刻まれていた。
「あらあら、村が大黒字になりましたのね♡ でしたらお祝いに、庭の石ころを純金に変えて、村人全員に配りましょうかしら?(※三日後に石に戻る)」
「やめろッッ!!!!」
――パァァンッ!
ルナがポケットから取り出した石ころへ、俺のハリセンが電光石火で炸裂する。
「ふぇみゅっ!?♡」
「せっかくニャングルが完璧な正規の黒字スキームを組んだんだ! 朝からハイパーインフレの導火線に火をつけるな!」
さらに、詰所での報告を終えた自警団の面々も公邸へやってきた。
手取り十四万のテント暮らし竜人イグニスは「悠人ぉ! 飯食わせてくれぇ!」と大皿の出汁巻き卵にむしゃぶりつき、フェイトは「昨夜のコイン縦立ちは俺の剣技の真骨頂だったよな!」とイキり散らして俺にハリセンで後頭部を小突かれ、マンミアは「自警団の防空予算が三倍になったぞ……!」と感涙に咽び泣いている。
賑やかで、騒がしくて、どこまでも温かい、ポポロ村の朝。
ふと、横を見ると――キャルルがじっと、俺の横顔を見つめていた。
その純白の長い兎耳が、ピクピクとアンテナのように揺れ、俺の左胸――心臓の鼓動へと向けられている。
「……ん? なんだよキャルル。まだ飯が足りないのか?」
「ううん……違うよ、悠人くん」
キャルルはふわりと微笑んだ。
そのルビーの瞳には、ヤンデレの狂気ではなく、澄み切った心からの深い愛と信頼の光が宿っていた。
「悠人くんの心音……すっごく穏やかで、あったかい波形を描いてる。……やっぱり私、悠人くんがいないと生きていけないよ。村長としても、一人の女の子としても……ずっと、ずっと私のそばにいてね♡」
キャルルはそう言って、俺の腰へぎゅっと抱きついてきた。
小動物のような温もりと、甘い人参の香りが胸元を満たす。
だが――その小さな手が、パーカーのポケットから『特製人参柄GPSハンカチ』を抜き出し、俺のズボンのポケットへ器用にねじ込もうとしているのを、俺は見逃さなかった。
「……おいキャルル」
「えへへ、体臭の定期補充だよ♡」
「感動的な空気の裏でドサクサに紛れてGPSを再装填するなぁッッ!!!!」
――パァァァァァァァァンッッッ!!!!
「ふみゃああっ!?」
快音がダイニングルームに響き渡り、キャルルが頭を押さえて涙目でへたり込んだ。
それを見ていたリビングの全員――ニャングルも、リバロンも、マンミアも、イグニスも、フェイトも、居候たちも、一斉にドッと腹を抱えて大爆笑した。
前村長の高飛びから始まった、魔境ポポロ村の大混乱。
狂った算盤と、神話級の猛獣たちと、常識人管理人のハリセン無双。
すべての負債を叩き伏せ、ポポロ村の財政と治安は、いまや大陸一の盤石さを誇っていた。
だが、俺の危機管理室長としての業務に、終わりの文字はない。
怪奇農作物の収穫祭、近隣アパートの混沌、そして未だ見ぬ新たなトラブルたちが、手ぐすねを引いて待っているのだから。
「よし! 全員食い終わったら、食器を片付けて午前の持ち場につけ! サボった奴は全員ハリセンでお仕置きだぞ!!」
エプロンをキュッと締め直す俺の声に、満面の笑顔の返事が重なった。
世界で一番危険で、世界で一番温かいポポロ村の日常は、ここからさらなる大躍進の幕を開けるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




