EP 11
こたつ部屋の芋ジャージ女神と、リボ払い6万8千円の悲鳴
嵐が去った週末の午後。
村長公邸の居間には、初夏の心地よい風が吹き抜けていた。
キャルルは自警団の演習へ、居候の三人(リーザ、ルナ、キュララ)はタローマートの週末セールと配信の打ち合わせに出払っており、邸内には久しぶりに静謐な時間が流れている。
そんな穏やかなリビングの畳スペースの中央に、場違いにも鎮座している家具が一つ。
――赤と白のチェック柄の上掛け布団を被せた、木製の一人用『こたつ』である。
前世の日本で愛用されていた冬の風物詩。
なぜこんなものが初夏の異世界の村長公邸にあるのかといえば、俺をこの世界へ雑に放り込んだ元凶が「こたつがないと生命維持に関わる」と喚いて、空間ごと無理やり設置していったからだ。
俺――佐藤悠人は、緑茶を淹れて一息つこうと湯飲みを手に取った。
だが、安らぎの瞬間は、わずか一秒で無慈悲に粉砕される。
――ピキィィィィンッッ!!
突如、こたつの天板の真上の空間に、ガラスにヒビが入るような鋭い亀裂が走った。
まばゆい神聖な燐光がパチパチと弾け、時空の裂け目から、ドサリと何かの質量が落下してくる。
「ぶへぇっ!? いったぁぁぁああっ!!」
畳の上に無様に顔面からダイブしたのは、上下ともに小豆色の芋ジャージを着込んだ一人の少女――いや、自称・女神だった。
ジャージの膝のあたりは擦り切れて毛玉だらけ。背中には白マジックで『るちあな』と平仮名で書かれている。
ボサボサの金髪を畳に擦り付け、手足をジタバタと悶えさせているのは、このアナスタシア世界の担当神にして、GOD大宇宙管理局所属の第3種惑星創造神格公務員、ルチアナ(自称永遠の十七歳)その人であった。
「……おい、ダメ神」
「うわぁぁぁん! 悠人ぉぉぉおおっ!! 生姜焼き! 今すぐタレがギットギトに絡んだ豚の生姜焼きを食わせてぇぇええっ!!」
ルチアナは跳ね起きるなり、こたつの布団を跳ね上げて俺の足元へと縋り付いてきた。
その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃ、目は充血し、瞳の奥には破滅寸前の光がギラギラと渦巻いている。
「誰が生姜焼きだ、ノックくらいしろ! 週末だからって平然と下界の公邸に不法侵入してくるな!」
「不法侵入じゃないもん! 有休! 有給休暇を正規に申請して消化しに来ただけだもん! それより悠人、聞いてよぉぉおお! 私、もう終わり! 来週にはマグローザ漁船に乗せられちゃうぅぅうう!!」
ルチアナは情けなく絶叫しながら、ジャージのポケットから薄型の魔導端末――『エンジェルすまーとふぉん』を引っ張り出し、画面を俺の目の前へ突きつけてきた。
そこに表示されていたのは、大宇宙管理局法務部および天界クレジットカード連合からの、血のように真っ赤な明朝体で記された最終通告画面だった。
『【至急・最終督促】ルチアナ神格口座様。ショッピングリボ払いご利用残高:限界枠超過。今月25日の最低お支払い元利金:【68,000神Pt(金貨68枚/約68,000円)】。引き落とし不能の場合、規約第9条に基づき、即刻ヴァルキュリア法廷執行班(ドナドナ班)による身柄拘束および強制労働(深海マグローザ漁船への送致)へ移行いたします』
「………………」
「悠人ぉ……見てこの数字……。毎月毎月、払っても払っても元金が1ミリも減らないの……! なんでリボ払いって、残高が増え続ける悪魔の呪縛魔法なのぉぉおおっ!?」
「リボ払いの仕組みを理解せずに限度額いっぱいまで切ったお前の脳みそが悪魔なんだよ!!」
俺の魂のツッコミが居間に木霊した。
世界を創造し、星の理を統べるはずの神が、月々六万八千円のリボ払いに追われて下界の管理人に泣きつく。
情けなさすぎて、もはや天変地異の規模で頭痛が痛い。
「だいたい、何に使ったらこんな枠を飛ばすんだよ! お前、普段ジャージ着てみかん食ってビール飲んでるだけだろうが!」
「ち、違うもん! これは必要不可欠な『魂の投資』なの! 地球の推し……私の光、朝倉月人君(二十歳)の福岡ドームツアー全公演通しチケット代と、祭壇用・保存用・布教用の限定版アルバム百枚セットの代金だもん!!」
ルチアナは鼻をすすり、スマホの待ち受け画面に設定された黒髪の美少年アイドル――朝倉月人の写真を拝むように胸元へ抱きしめた。
「月人君の新曲『月曜日の社畜』、地球の総合音楽チャートで連続一位を獲ったんだよ!? 『満員電車は嫌だ〜♪』って魂の叫びを聴いたら、同じ社畜神として買わずにいられるわけないじゃん! そのあと魔皇国のラスティアと福岡の中洲の屋台で豚骨ラーメン食ってハイボール煽ってたら、いつの間にかクレカの上限がパァンッて吹き飛んでたのぉぉおおっ!!」
「ただの計画性のない散財オタクの末路じゃねえか!!」
怒りのあまり、俺の右手は自然とエプロンのポケットへ滑り込んでいた。
握りしめるのは、今朝の『ルナミス新聞』を細長く丸め、布ガムテープでガチガチに補強した我が相棒!
発動するは、宇宙の神すら例外なく叩き直す絶対権能――!
『常識人のハリセン(コンプライアンス・ブレイカー)』!!
「――神格公務員の職責を放棄し、自己管理能力の欠如による放漫財政で下界へ不法投棄のように泣きつくな! 公務員倫理規定違反および多重債務者更生法違反だ目を覚ませこのダメ神ッッ!!!!」
――パァァァァァァァァンッッッ!!!!
公邸の畳を揺るがすほどの、痛烈かつ澄み切った乾いた快音が炸裂した。
概念必中のハリセンが、ジャージ姿の女神の脳天を寸分の狂いもなく直撃する。
「ふぎゃぴぃぃっ!?」
神格障壁など紙屑同然。相手の理不尽な暴走と甘えを根底から強制キャンセルする言霊の一撃!
ルチアナのこめかみから、プシューと湯気のような雑念が噴き出し、その瞳からパニックの狂気が綺麗に消え去った。
「あうぅっ……!? い、痛くないのに、公務員としての自尊心が音を立てて粉砕された気分……!」
「自尊心があるなら最初からこんな恥晒しの借金を抱えるな! まったく……」
俺は深くため息を吐き、ハリセンをこたつの隅に置いた。
だが、ここでこいつを飢え死にさせたり、本当にマグローザ漁船にドナドナ連行されて担当神が不在になれば、このポポロ村の自治権すら吹き飛びかねない。
元・危機管理ディレクターとして、厄介な身内の不祥事は「胃袋を掴んで手懐けつつ、情報を吐かせる」のが定石だ。
「……チッ。手足を洗ってこたつに正座してろ。飯を作ってやる」
「ほ、ほんとう!? 生姜焼き!? 豚の脂と生姜のタレがギトギトのやつ!?」
「ああ。ただし、食い終わったら神界の裏事情をきっちり洗いざらい話してもらうからな」
「話す話す! オリンのハゲ頭の秘密からカグヤの裏垢のパスワードまで全部売るからぁぁあ!」
ルチアナは光の速さでこたつの中へ滑り込み、テーブルを両手で叩いて待機姿勢に入った。
公邸のキッチン。
俺は腕まくりをし、手早く包丁を握った。
メインの食材は、ポポロ山麓の清流で育った上質なシープピッグの豚肩ロース肉。
赤身と脂身のバランスが絶妙で、肉質がきめ細かく柔らかい特級品だ。
これを五ミリほどの厚切りにスライスし、筋切りをしてから軽く小麦粉をまぶす。こうすることで旨味を閉じ込め、タレの絡みを爆発的に良くするのだ。
合わせ調味料を手早く調合する。
ポポロ特産のピリッと辛みの利いた新鮮な『生姜草』をたっぷりとすりおろし、収穫時にエロ本の妄想を取り上げて賢者モードに入った純白の『たまんネギ』のすりおろしを合わせる。
そこに濃口の醤油草のタレ、煮切ったみりん草のシロップ、そして世界樹の『百花マナ蜜』を隠し味にほんのひと匙加える。
鉄のフライパンを強火でカンカンに熱し、ドンガン特製のラードを溶かす。
煙がフッと立ち上った瞬間、豚肉を豪快に投入!
――ジュワァァァァァァァッッッ!!!!
心地よい爆音と共に、豚肉の香ばしい脂の匂いが台所いっぱいに立ち込める。
強火でサッと両面に焼き目をつけ、余分な脂をペーパーで素早く拭き取る。
そして――黄金比率の生姜タレを一気に回し入れる!
――バチバチバチッッ!! ジュワァァアアンッ!!
焦がし醤油とすりおろし生姜のツンとした爽快な香気、そしてたまんネギの濃厚な甘い香りが、熱風となってリビングへと吹き荒れた。
タレが豚肉の衣にトロリと絡みつき、照り輝く極上の飴色へと染まっていく。
大皿の端に、氷水で締めた極細の千切りキャベツを山盛りにし、その横へ肉汁滴るアツアツの生姜焼きを豪快に重ね盛る。
フライパンに残った濃厚なタレを、キャベツの裾野まで惜しみなくトロリと回しかけた。
さらに、ドンガン地下帝国から仕入れた度数四十度の蒸留酒『イモッカ』を、氷をたっぷり詰めたジョッキに注ぎ、冷えた強炭酸水と絞りたての柑橘果汁で割る。
シュワシュワと泡立つ『特製イモッカ・ソーダ』の完成だ。
「ほら、お待たせ。佐藤悠人特製、『極上豚肩ロースの生姜焼き定食』だ」
ドンッ、とこたつの上に膳を並べた。
炊きたてのツヤツヤした『サンライス』の大盛りご飯、たまんネギと豆腐の熱々の味噌汁、そして黄金色に照り輝く生姜焼き。
「う、うわぁぁぁあっ……!! 生姜焼きぃぃぃいいっ!!」
ルチアナの瞳から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ちた。
割り箸を震える手で割り、タレをたっぷりと纏った分厚い豚肉を一切れ、口の中へ豪快に放り込む。
「はふっ……んがっ……! あ、熱っ……んまァァァァァイッッ!!!!」
ルチアナがこたつを両手でバンバンと叩きながら悶絶した。
「お肉が……歯がいらないくらい柔らかいのに、脂身がすっごくジューシーで甘いっ! 生姜のキレッキレの辛味と、たまんネギのまろやかな甘みがタレに溶け込んでて……あぁっ、ご飯! ご飯が暴走するぅぅう!!」
ルチアナはどんぶりを鷲掴みにし、生姜焼きをバウンドさせたサンライスを、まるでバキュームカーのように掻き込み始めた。
タレの染みたご飯の旨さは、もはや宇宙の真理だ。
さらに、タレが染み込んだシャキシャキの千切りキャベツを頬張り、キンキンに冷えたイモッカ・ソーダをジョッキごと喉へ流し込む。
――ゴクッ! ゴクッ! ゴクッ! プハァァァァッッ!!
「くぅぅぅぅぅううううっっ!! 生き返るぅぅぅううっ!! 濃い味の豚肉と生姜タレのあとに、このシュワッシュワの炭酸ソーダが五臓六腑を駆け抜けていくぅ……! 最高! 悠人、アンタ神だよ! 私より全然神様やってるよぉぉお!!」
わずか五分足らずで、大盛りご飯二杯と大皿の生姜焼き、そして味噌汁が綺麗さっぱり胃袋へと消滅した。
空になった食器を前に、ルチアナは芋ジャージのお腹をぽんぽんと叩き、こたつに上半身を沈めて成仏したような顔で息を吐いた。
「ふぅ……美味しかった……。これで今月もなんとか生きていけるわ……」
「満足したなら約束通り、情報を吐いてもらおうか」
俺は腕組みをして、こたつで丸くなるダメ神を見下ろした。
「お前のリボ払いの件は、ニャングルに相談して『ゴルド商会の天界救済低利ローン』へ一本化するスキームを組んでやる。利息は半分以下になるし、マグローザ漁船は回避できるはずだ」
「ホントにぃ!? 悠人、愛してるぅぅう!」
「抱きつくな鬱陶しい。……で、本題だ。神界で何が起きてる? 最近、ポポロ村の周囲の空気が妙にきな臭いんだよ」
俺の問いに、ルチアナはふっと表情を曇らせた。
先ほどまでの自堕落な態度は消え、その瞳に「第3種惑星創造公務員」としての冷ややかな現実主義の光が宿る。
「……やっぱり、悠人には気取られてたか」
ルチアナはこたつから起き上がり、安タバコに火をつけようとして「公邸内禁煙だ」と俺に止められ、代わりに爪楊枝をくわえた。
「炎上神ワイズ……って男神の名前、覚えてる?」
「ああ。大宇宙管理局の新進気鋭で、GodTubeのアルゴリズムをハックして数字を稼ぎまくってる倫理崩壊の成金神だろ」
「そう、そのクソガキよ。あいつね、最近うちのアナスタシア世界……特に、このポポロ村に執着し始めてるの」
ルチアナは眉間に深いシワを寄せ、スマホの画面を操作して空間へ立体ホログラムを投影した。
そこには、ポポロ村の地形データと、村を取り囲む三大国の国境線、そして近隣の険しい山岳地帯が赤く点滅していた。
「ポポロ村は今、三大国の緩衝地帯でありながら、キャルルの人望と悠人の内政、それにキュララの配信のおかげで、GodTube上でも異様な注目を集めてるでしょ? それが、ワイズの気に食わないのよ。あいつは『平穏なスローライフ』や『美味しい飯』で数字を取られるのが大嫌いなの」
「あいつの信条は『悲劇と炎上による大衆扇動』だったな」
「そう。ワイズが狙ってるのは――【ポポロ村の完全崩壊と、キャルルたちの虐殺ざまぁシナリオ】よ」
背筋を冷たいものが撫で下ろした。
ルチアナは爪楊枝をペッと吐き捨て、冷徹に言葉を続ける。
「前村長ロップが高飛びして、村の治安維持用の積立金を全額持ち逃げしたでしょ? そのせいで、近隣の山岳地帯を牛耳る超巨大武装山賊連合への『暴行しない券(強盗サブスク)』の更新が滞ってる」
「ああ、第1話からずっと燻ってる村の最大負債だ」
「ワイズはね、その山賊連合の幹部連中に、裏から神格マナと最新式の魔導重火器を横流ししてる。さらに因果律を弄って、『ポポロ村を焼き討ちして見せしめにすれば、三大国の軍は動かない』って偽情報を吹き込んで、村への総攻撃をけしかけてるのよ」
「マッチポンプのヤラセ侵略劇か」
俺は吐き捨てるように呟いた。
前世のテレビ業界でも、数字欲しさに過激なヤラセを仕掛けて現場を破滅させる三流ディレクターを何人も見てきた。
やり口の卑劣さが、まったく同じだ。
「山賊たちに村を徹底的に蹂躙させ、絶望に叫ぶキャルルたちの姿をGodTubeで全世界へ生配信して莫大なスパチャとPVを稼ぐ。それがワイズの描いた『炎上シナリオ』よ。……決行日は、極めて近いわ。早ければ、今夜か明晩にも山賊の先遣部隊が村へ突入してくる」
「……上等だ」
俺はエプロンの紐をキュッと締め直し、不敵に口元を吊り上げた。
危機管理ディレクターの血が、静かに沸き立つのを感じる。
「相手が神だろうが山賊だろうが、俺の担当現場で勝手な絵コンテを描かれてたまるかよ。コンプライアンス違反のヤラセ演出は、ハリセンで根こそぎ叩き潰してやるまでだ」
「ふふっ、頼もしいねぇ、悠人は! じゃあ防衛の指揮、全部任せたから! 私はこたつでみかん食いながら応援してるね〜☆」
ルチアナは満面の笑みでこたつの奥へと潜り込み、ゴロリと横になってスマホのソシャゲを起動した。
――緊張感ゼロ。
俺は迷いなく、テーブルの上の新聞ハリセンを右手へと握り込んだ。
「――飯を食って重大機密を喋ったら即座に現場放棄して寝転がるな! 地方自治法に基づく防衛協力義務違反だ働けこのニート神ッッ!!!!」
――パァァァァァァァァンッッッ!!!!
「あぎゃうんっ!? なんで最後にもう一発叩くのぉぉおおっ!?」
乾いた快音が、静かな公邸のリビングいっぱいに木霊した。
外の空気が、じわりと夕暮れの朱色に染まり始めている。
強盗サブスクの取り立て、山賊連合の夜襲、そして背後に潜む炎上神の影。
ポポロ村を揺るがす最大の危機が、すぐそこまで足音を忍ばせて迫っていた。
読んでいただきありがとうございます。
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