第18話2編:都市の異変と蝕まれる人々
第18話2編:都市の異変と蝕まれる人々
【ルシフェル視点】
「死ねぇぇぇっ!!」
頭上から襲いかかる黒装束の刺客二人に対し、俺は迷うことなく踏み込んだ。
『ラ・ラルド』
最下位風魔法の粒子が、血の滲む俺の足元を包み込む。 リンから教わった『影を風で包む』極意。左腕の皮帯の裏側でドクドクと脈動する「魔王の半身」の黒い気配を、俺は力任せに拒絶するのではなく、自分の風の領域へと穏やかに流し込んでいた。
脳裏で揺れる、悪魔の不吉な旋律――。
〜♪ 〜♪♪ 紅い月が笑う頃 楽しい宴を始めましょ。 〜♪ 〜♪♪
(その程度の歌で、俺の足が止まると思うな……!)
擦れ違いざまの一閃。 沖田総司の絶対の踏み込みから繰り出された刀身が、二人の刺客が構えていた『邪爪』の柄を一瞬で断ち切り、その胸元を滑るように切り裂いた。
「ぐあぁぁっ!?」
悲鳴とともに二人の刺客が石畳へ転がり落ちる。だが、手応えは浅い。 奴らは斬られた瞬間に黒い霧へと身体を変化させ、即座に距離を取って路地裏の影へと溶け込んでいった。
「チッ……逃げ足だけは速い野郎どもだ!」
ブラッドが赤銅色の戦斧を豪快に振り抜き、迫っていた別の刺客を炎波『ラ・ルビ』で吹き飛ばしながら吐き捨てた。
しかし、状況は悪化の一途をたどっていた。 ガラハの掲げた手から解き放たれた「黒い霧」は、街の路地という路地へと濁流のように流れ込み、武闘都市バルカン全体を急速に呑み込んでいく。
「ウガァァァッ……! あ、足が……皮膚が腐り落ちるぅぅっ!」 「助けてくれ! 息が……息ができない……っ!」
大通り沿いの建物から、凄惨な悲鳴が次々と上がった。 頑丈な肉体を誇るバルカンの闘士たちや、一般の住民たちが、黒い霧に触れた瞬間にバタバタと床へ倒れ込み、苦悶に身をよじらせている。彼らの皮膚には、かつてリンを苛んでいたものと同じ、不吉な「黒い爪痕」の紋様が蠢くように浮かび上がっていた。
「な……なんて酷いことを……!」
ノエルが悲鳴を上げ、手にした治癒の杖を胸の前で強く抱きしめた。その優しい緑色の瞳からは、溢れんばかりの涙が零れ落ちている。
「街の人たちが……みんな、あの黒い毒気に蝕まれていきます……! このままでは、あと一時間も持ちません!」
「ククク……ハハハハハッ!」
破砕した酒場の屋根の上から、部隊長ガラハの冷酷な嘲笑が響き渡った。
「素晴らしい悲鳴だねぇ! 我が『邪爪部隊』特製の魔蝕霧は、ただの毒ではない。サルガタナス様の邪爪の魔力を直接気化させた、生命力そのものを腐死させる死の霧さ! 抗えば抗うほど、肉体も心もみじめに腐り落ちていくのだよ!」
ガラハは細い瞳を歪め、蛇のような舌で唇を舐め回した。
「さあ、どうするね? 黒髪の剣士ルシフェル。私と戦うかい? それとも、倒れていく惨めな人間どもを助けるために、その無駄な命を散らすかい!?」
「ガラハ……貴様ぁッ!!」 リンが歪んだ右拳を固く握り締め、激しい怒りに肩を震わせた。
「二年前と同じだ……! 戦う力のない者まで巻き込み、嘲笑いながら踏みにじる……! 絶対に許さん……ッ!」
「リン、落ち着け!」
俺は左手でリンの肩を強く制した。 左腕の皮帯の裏側で、黒い紋様が激しく波打っている。街全体に満ちる憎悪と悲痛の叫び、そしてガラハの放つ邪悪な魔気に反応し、脳裏の歌声が一際高く狂おしく跳ね上がろうとしていた。
〜♪ 〜♪♪ 道化がいないなら 人間を 酒がないなら 天使の血を 女がいないなら 女神を 〜♪ 〜♪♪
(鎮まれ……! 俺の風になれ……『ラ・ラルド』……!)
俺は血の滲むような思いで呼吸を整え、悪魔の旋律を自分の風の踏み込みの拍子として強引に組み込んだ。 視界の端が漆黒に染まりかけるのを、ギリギリの克己心で押し留める。
(ガラハの狙いは、俺たちを焦らせ、この場で足止めしたまま街ごと全滅させることだ……!)
「シバリア! ノエル!」俺は叫んだ。
「はいっ!」 「うむ!」
二人が即座に俺の前へと歩み出た。
「街の惨状を見過ごすわけにはいかない」俺は二人をまっすぐに見つめ返した。 「ノエル、お前の広範囲治癒魔法で、この街を覆う黒い霧を浄化してくれ。シバリア、お前の鉄壁の盾でノエルを護衛し、倒れた住民たちを安全な地下街へ避難させてほしい」
「ルシフェルさん……!」ノエルが息を呑む。「でも、それでは……!」
「分かっている」 ブラッドが戦斧を肩に担ぎ直し、不敵な八重歯を見せて割り込んだ。
「ガラハの首を討ち取るのは、俺とルシフェル、それに流星拳のオッサンの三人で十分だってことだ! ノエル、お前はシバリアのオッサンと一緒に、自分のやるべき仕事をやり遂げな!」
「ブラッドくん……」
シバリアが重厚な大盾を地面にドシンと叩きつけ、金属音を響かせた。
「引き受けたぞ、ルシフェル! ノエルの髪の毛一本傷つけさせん! 街の者たちの避難と浄化は、このシバリアに任せておけ!」
「頼む、シバリア!」
俺たちのやり取りを見て、屋上のガラハがくつくつと下衆な笑いを漏らした。
「愚かな……。パーティを二手に分けるだと? ただでさえ多勢に無勢だというのに、自ら戦力を削るとはねぇ! 刺客ども、あの女と騎士を逃がすな! 爪の餌食にしておやり!」
「「「オォォォォッ!!」」」
周囲の建物や影から、十数人の邪爪の刺客が一斉に跳び出し、ノエルとシバリアへ向かって殺到した。
「させるかぁぁぁっ!!」
立ち塞がったのは、リンだった。
「な……なにっ!?」
両拳を包帯でガチガチに固められたリンが、素足で力強く石畳を蹴り上げ、風のような身のこなしで刺客たちの前に割り込んだのだ。 拳は使えない。だが、かつて『流星拳』としてバルカンの頂点に立った男の、常人離れした脚技と体さばきが冴え渡る。
「フッ……ハッ!!」
刺客たちの放つ『邪爪』の軌道を、紙一重の踏み込みで見切り、旋風のような回し蹴りで刺客たちの顎を的確に跳ね上げる!
ドガァンッ! ボガァンッ!
「グハッ!?」 「な……拳が使えないはずの男が、なぜこれほどの脚技を……!?」
吹き飛ばされる刺客たち。 リンは鋭い眼光を崩さず、息を荒くしながら叫んだ。
「シバリア! ノエル! 今のうちに行けぇぇっ! ここは俺たちが食い止める!」
「リン殿……感謝する!」
シバリアが大盾を前面に構え、ノエルを庇うようにして走り出した。
「ノエル、行くぞ! 俺の背中から離れるな!」
「はい! ルシフェルさん、ブラッドくん、リンさん……絶対に無事でいてくださいね!!」
ノエルは振り返り、祈るような叫びを残して、シバリアとともに大通りの中央……黒い霧が最も濃く渦巻く広場へと向かって駆け抜けていった。
「ちっ……逃がしたか」 ガラハが不機嫌そうに細い瞳を細めた。だが、すぐにその顔には冷酷な愉悦が戻ってくる。
「まあいいさ。あんな小娘と老騎士など、後でいくらでも殺せる。……さあ、邪魔者は去った。残された哀れな三人よ、我が『邪爪部隊』の真の恐怖を味わうといい!」
ガラハが爪を鳴らした瞬間、路地裏の暗闇から、さらに数十人の黒装束の刺客たちが蠢くように現れた。 バルカンの街を覆う黒い霧の中、ルシフェル、ブラッド、リンの三人対、サルガタナス率いる『邪爪部隊』主力精鋭との、二手に分かれた死闘が、本格的に始まろうとしていた。




