第16話5編:死闘の果ての勝利と共鳴
第16話5編:死闘の果ての勝利と共鳴
【ルシフェル視点】
大血闘場の砂羽を包む空気は、もはや歓声というより、狂気に近い熱狂の地鳴りへと変わっていた。
全身の筋肉が断裂しそうなほどの悲鳴を上げている。 幾度もの連戦、泥と血に塗れた身体。そして何より、俺の頭蓋の奥で鳴り響き、脳髄を掻き乱す不吉な歌声――。
〜♪ 〜♪♪ 僕は君 君は僕 光があるなら闇もある 闇があるなら光もある バランスが保たれていないと 全て クズレル 〜♪ 〜♪♪ 紅い月が笑う頃 楽しい宴を始めましょ。 狂った宴を始めましょ。 道化がいないなら 人間を 酒がないなら 天使の血を 女がいないなら 女神を 芸が面白くないのならば 捨て去ってしまえばいい 酒が美味くないのならば 全てを壊してしまえばいい 高潔な女神は その光を奪い去ってしまえばいい 踊れ 騒げ 歌え 狂え。 狂気に身を任せれば やがて 静かに 消エテユク… 〜♪ 〜♪♪
(黙れ……! 俺の頭の中で……狂った歌を唄うな……っ!)
左腕を固く縛り上げた皮帯が、内側からの脈動でメリメリと音を立てる。 『魔王の半身』の影が、絶望と誘惑を込めた旋律で俺を狂わせようとしていた。左目の視界は漆黒に染まりかけ、黒い霧が手首から滲み出そうになる。
この影の力を解き放てば、楽になれる。 目の前に立ちはだかる最後の敵など、一瞬で肉片に変えて、リコリスのもとへ駆け出せる――そう脳裏で悪魔が囁く。
「……拒絶、だ」
俺は歯を食いしばり、血混じりの唾を砂地に吐き捨てた。 右手の刀を強く握り直し、自傷に近い力で左腕の関節を締め上げる。激痛が全身を駆け抜け、悪魔の歌声を強引に抑え込んだ。
「ハッ! 格好ばかりつけやがって、青くさい剣士が!」
目の前に聳え立つのは、本戦最終試合の相手――バルカン屈指の怪力を誇る「剛拳の巨魁」だった。 身の丈三メートルに迫る巨躯、両腕に装着された黒鉄の巨大な鉄甲。男が踏み出すたびに、闘技場の地盤がグラグラと大きく揺れる。
「満身創痍の体で、その黒い怪しい腕の力も使わねえだと? 俺様を舐めるのも大概にしろ! その細い身体ごと、粉々に叩き潰してやるぇぇっ!」
剛拳の巨魁が、大地を砕く勢いで猛進してくる。 鉄甲から放たれる風圧だけで、俺の皮膚が引き裂かれそうだった。
回避は不可能。直撃を受ければ、間違いなく肉体が骨ごと粉砕される。
「ルシフェル―――ッ!!」
客席の最前列から、ブラッドの叫びが届いた。
「負けたら許さねえぞ! お前の人の足で……お前の刀で……あのデカブツを叩き伏せてみせろぁぁぁっ!!」
「ルシフェルさん! 私たちがついています!」ノエルの祈るような叫び。
「誇りを……示せぇぇぇっ!!」シバリアの重厚な咆哮。
そして――。
「負けるな……! 己の風で……穿てぇぇぇっ!!」
包帯で固められた身体を起こし、手すりを掴んで叫ぶリンの姿が視界の端に映った。死んでいたはずの彼の瞳に、かつての『流星拳』の強烈な灼熱が宿っている。
(ああ……聞こえているさ、みんな……!)
俺は深く、重く息を吸い込んだ。 左腕の「黒い影」が悔しそうに暴れ狂うが、俺の意識はどこまでも澄み渡っていく。
沖田総司の絶対の踏み込み――。 摩擦をゼロにし、空間を滑る疾風。
『ラ・ラルド』――!!
最下位風魔法の澄んだ粒子が、血の滲む俺の足元を包み込む。 黒い影の魔気など一欠片もない。純粋に研ぎ澄まされた、俺自身の人間の風。
「死ねぇぇぇっ!」
巨魁の黒鉄の鉄甲が、俺の頭上から振り下ろされた。 地面が爆発するように砕け、大量の砂煙が舞い上がる。
だが――俺の刃は、すでにその間合いを通り抜けていた。
「なに……ッ!?」
巨魁が目を見開いた瞬間、俺は敵の巨大な鉄甲の懐、無防備な胸元へと滑り込んでいた。
(行け……俺の風……俺の刀――ッ!!)
『風の三段突き』――!!
一突き目――超高速の突刺が、巨魁の右腕の黒鉄甲の継ぎ目を正確に穿ち、硬鉄を粉砕する! 二突き目――滑る足取りからの連撃が、左腕の鉄甲を叩き折り、武器としての機能を完全に打ち砕く! そして三突き目――踏み込みの全威力を乗せた最速の一閃が、巨魁の分厚い胸甲を貫き、背後へと風の衝撃波となって突き抜けた!
ドガァァァァァンッ!!
「ガハッ……!? な、なんだ……この……圧倒的な……風はぁぁぁっ!?」
巨魁の巨体が崩れ落ち、闘技場の砂地に激しい衝撃音が轟いた。 巨大な鉄甲が粉々に砕け散り、男は泡を吹いて完全に意識を失った。
沈黙。
一瞬の静寂ののち、大血闘場全体を揺らす、地鳴りのような大歓声が爆発した。
『勝者――そして優勝者、ルシフェルぅぅぅっ!! 黒髪の剣士、魔性の力に一切頼らず、純粋な風と三段突きだけでバルカン頂点へ君臨したぁぁぁっ!!』
「ハァ……ハァ……ハァ……っ!」
俺は刀をゆっくりと鞘へと納めた。 左腕の皮帯の下で、黒い影は悔しそうに不気味な疼きを収め、頭裏の狂った歌声も潮が引くように消え去っていく。俺たちの意志と絆が、影の誘惑を完全に打ち破ったのだ。
審判の神官から差し出されたのは、輝く羊皮紙の書状と、美しい瑠璃色の瓶――『特級浄化の聖薬』と『特別施術権の証』だった。
「取ったぞ……ノエル、シバリア、ブラッド……リン……!」
俺はボロボロの身体を支えながら、勝ち誇るようにその瓶を高く掲げた。
【ノエル視点】
「ルシフェルさん……! 勝った……勝ったのですね……!」
私は嬉し涙で視界を濡らしながら、胸の前で強く手を合わせました。 手すりの向こう、砂場の中央でボロ布のようになりながらも、誇り高く立ち続けるルシフェルさん。その姿は、どんな言葉よりも美しく、神聖に見えました。
「ハッ……! ざまあみやがれ、バケモノの影め! 俺たちのリーダーを舐めるなよ!」 ブラッドくんが客席の手すりを叩き、真っ赤な顔で嬉しそうに笑っています。
「見事だ……見事というほかない!」 シバリアさんも頼もしい笑みを浮かべ、胸甲を強く叩きました。
そして――私の隣で、信じられない光景が起きていました。
「あ……あぁ……」
全身を激痛と『邪爪の呪毒』で苛まれ、ノエルさんの『ラ・ヒール』で辛うじているはずのリンさんが……。 誰の肩を借りることもなく、己の足で、しっかりと大地を踏みしめて立ち上がっていたのです。
「リンさん……! 立ってはダメです、まだお身体が……!」
私が慌てて支えようと手を伸ばすと、リンさんは静かにかぶりを振りました。 その両拳は、骨が砕かれ歪んだままでした。手首の黒い爪痕も消えてはいません。 ですが――その「瞳」は違いました。
死んでいたはずの双眸に、かつてバルカンを揺るがした『流星拳』の灼熱の灯火が、力強く、激しく燃え上がっていたのです。
「いいんだ、小娘……。俺の足は……俺の心は……もう折れてなんかない……!」
リンは掠れた声でハッキリと言い切ると、一歩、また一歩と、自分の足で階段を踏みしめ、闘技場の砂場へと下り始めました。
「おい、オッサン! どこ行くんだよ!?」 ブラッドくんが驚いて声をかけます。
「決まっているだろ、悪魔の小僧……」 リンは振り向きもせず、力強い背中で答えました。
「あいつの……ルシフェルのもとへ行くんだ。……俺の本当の覚悟を、伝えにな」
【ルシフェル視点】
大歓声が渦巻く砂地の中央で、俺は立ち尽くしていた。 足の踏み込みの限界、全身の激痛。だが、達成感と温かな心地よさが全身を包み込んでいた。
ザッ、ザッ、と泥を踏みしめる足音が近づいてくる。
見上げると、客席の階段を下りてきたリンが、俺の数歩手前で足を止めていた。 包帯で固められた身体、痛々しく曲がった両拳。だが、その顔にはもう、あの地下酒場で見た廃人の面影はどこにもなかった。
「……リン」
「見事だったぞ、ルシフェル」
リンの低い声が、静かに響いた。
「お前は……自分の中の化け物の歌にも負けず、激痛にも屈せず、己の人間の刃だけで勝利を掴み取った。……俺の死んでいた心を、叩き直してくれたよ」
リンはゆっくりと膝を折り、俺の前に屈み込んだ。 変形した右手を、不器用そうに俺へ向けて突き出してくる。
「流星拳の鈴……ここに復活だ。お前たちの力にならせてくれ」
「リン……!」
俺は固く握りしめた右手を伸ばし、リンの歪んだ手をしっかりと握り返した。
「ああ……よろしく頼む、リン!」
二人の男の固い握手。 かつてサルガタナスに全てを打ち砕かれた男と、魔王の影を宿し自傷してまで前へ進む男。二人の「半身」を抱えた男たちの魂が、ここに完全に共鳴したのだ。
「へっ、格好つけちゃってさ!」 観客席から駆け下りてきたブラッドが、呆れ顔で八重歯を見せて笑った。
「ルシフェル! 薬をリンに渡してやれ! 早くその呪毒を消し去って、サルガタナスのクソ野郎をぶちのめす準備をしようぜ!」
「了解だ、ブラッド!」
「ルシフェルさん、すぐにお手伝いします!」 ノエルが駆けてきて、優しく『特級浄化の聖薬』を受け取った。
「頼もしい仲間たちだな、ルシフェル」 シバリアが大剣を担ぎ直し、頼もしく頷く。
雨上がりの澄み渡る空の下、武闘都市バルカンで掴み取った完全なる勝利と、新たな絆。 俺たちの胸には、サルガタナス率いる魔王軍を打ち破り、奪われたリコリスを取り戻すための揺るぎない希望の光が宿っていた。
修羅の宴を乗り越えた4人――いや、リンを加えた仲間たちの物語は、決戦の地『黒鉄の要塞』へと向けて、激動の第17話へと進んでいくのだった。
第16話5編はここで終わりです!




