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第17話1編:聖薬の光と静かな夜の対話

第17話1編:聖薬の光と静かな夜の対話


【ルシフェル視点】


武闘都市バルカンの大血闘場を包んでいた喧騒が嘘のように、夜の静寂が街を包み込んでいた。


宿屋の一室。ランプの仄かな灯りが、壁の木目を淡く浮かび上がらせている。 部屋の中央にあるベッドでは、かつて「流星拳」と恐れられた男――リンが、静かに上体起こしていた。


「……ふぅ……。身体が、軽いな。あの忌々しい『邪爪の呪毒』が……本当に消え失せている……」


リンは、包帯が巻かれた己の手首や首筋をゆっくりと撫でた。 昼間まで彼の肉体を内側から苛み、黒い爪痕となって蠢いていた禍々しい毒の気配は、跡形もなく霧散していた。


「ノエル、手応えはどうだ?」


俺が尋ねると、リンの傍らで杖を抱えていたノエルが、ホッと胸を撫で下ろしながら優しく微笑んだ。


「はい、ルシフェルさん! 『特級浄化の聖薬』の輝く光と、私の『ラ・ヒール』の合わせ技で、体内の濁った魔力を完全に綺麗にできました! もう呪毒が暴発する心配はありません!」


「助かったよ、ノエル」


リンは照れくさそうに頭をかき、それから真剣な眼差しでノエルを見つめた。


「ありがとうな、小娘……いや、ノエル。お前が俺の命を繋ぎ止めてくれなきゃ、俺はあの地下酒場の泥底で、毒に苦しみながら野良犬みたいに死んでいくところだった」


「そんな……お礼だなんて! 私は、ルシフェルさんが命がけで手に入れてくださった聖薬を届けただけです!」


「へっ、気にするなってのオッサン」


腕を組み、部屋の壁に寄りかかっていたブラッドが八重歯を見せてニヤリと笑った。


「ノエルは筋金入りのお人好しだからな。それより、動けるようになったならさっさとルシフェルに感謝しな。あいつ、影の力を使わずにあの巨漢どもをぶちのめしたせいで、全身傷だらけなんだからよ」


「ブラッド、余計なことを言うな」 俺が苦笑すると、ベッドの脇に立っていたシバリアが重々しく頷いた。


「いや、ブラッドの言う通りだぞルシフェル。お前の勝ち得た『特級浄化の聖薬』でリン殿が救われたのだ。誇って良い」


「そうだな……。ルシフェル、本当にお前には何とお礼を言っていいか分からん」


リンはベッドからゆっくりと脚を下ろし、素足で床を踏みしめた。 そして、まっすぐに俺の前へと歩み寄り、深々と頭を下げた。


「俺のために……命を懸けてくれて、ありがとう」


「頭を上げてくれ、リン」 俺は静かに首を振った。


「俺は、自分のために戦ったんだ。お前を救うことで、俺自身が『仲間と共に戦う』という意味を確かめたかった。……それに、俺たちはサルガタナスを討つという共通の目的があるはずだ」


リンは顔を上げ、歪んで骨の曲がった己の両拳をじっと見つめた。その瞳には、昼間までの自暴自棄な濁りは一切なく、どこまでも澄んだ決意の光が宿っていた。


「……なぁ、ルシフェル。少し二人で話せないか? 夜風を浴びながら……男同士でな」


リンの言葉に、シバリアとブラッドは顔を見合わせ、察したように小さく笑った。


「よし、俺たちは下の食堂で夜食でも調達してくるとしよう。ノエル、行くぞ」


「あ、はい! ルシフェルさん、リンさん、あまり夜更かししないでくださいね?」


三人が部屋を出ていき、静かなドアの閉まる音が響いた。


【ルシフェル視点】


宿屋の屋上に出ると、冷たさを帯んだ夜風が俺たちの頬を撫でた。 見下ろせば、武闘都市バルカンの無数の明かりが、まるで地上に落ちた星屑のように怪しく輝いている。


リンは手すりに背を預け、夜空に浮かぶ赤い月を見上げながら、ぽつりと呟いた。


「二年前……俺がサルガタナスに敗れた時、俺の心は一瞬で砕け散ったんだ」


「……邪爪の恐怖にか?」


「ああ」 リンは自嘲気味に笑い、歪んだ右拳を握りしめた。


「奴らの『邪爪』は凄惨だった。俺の目の前で、仲間たちの肉体が紙切れみたいに引き裂かれ、血の海が広がっていった。俺は激怒し、流星の如き拳を叩き込もうとしたが……届かなかった。両拳の骨を一本ずつ叩き潰された時、俺の頭の中に響いたのは、絶望の叫びだけだった」


リンの肩が、微かに震える。


「俺は……自分を誤魔化していたんだ。『相手は化け物だから勝てるわけがない』『生き残っただけでも儲けものだ』ってな。そう思い込まなきゃ、仲間を死なせて自分だけ生き残った罪悪感に押し潰されそうだったからだ」


「リン……」


「だが、昼間の大血闘場で、お前の戦いを見て理解した」 リンの視線が、俺の左腕へと向けられた。


「お前は……『魔王の半身』なんて恐ろしい呪いを背負いながら、脳裏で狂った歌が鳴り響く中で、泥を舐めてでも前へ進んでいた。影の力を使えば一瞬で勝てる誘惑に晒されながら、自傷してまで己の人間の刃を貫いた」


リンの瞳が、俺をまっすぐに見つめ返す。


「俺に足りなかったのは……拳の強さじゃねえ。何があっても絶対に折れない『心』……仲間を想い、大切なものを取り戻すための『執念』だったんだ」


「俺も……そんな格好いいものじゃないさ」


俺は苦笑し、腰の刀の柄にそっと手を添えた。


「俺だって、毎日恐怖に震えている。この左腕の影が暴走したらどうしよう、仲間を俺の手で斬り裂いてしまったらどうしようと……夜も眠れないことがある」


俺は夜風に吹かれながら、胸の奥に閉じ込めていた素直な感情を吐き出した。


「奪われたリコリスを取り戻したい。その焦燥感から『悪魔にでもなってやる』と叫んだこともあった。……だが、そんな俺を全力で怒り、引き戻してくれたのが、ブラッドであり、シバリアであり、ノエルだったんだ」


「仲間、か……」


「ああ。一人だったら、俺はとっくにあの影の歌に呑み込まれ、本物の化け物になっていただろう」


俺は左腕の皮帯を見つめた。 今も静かに脈動する黒い紋様。だが、そこにはもう以前のような底なしの絶望はなかった。


♪〜僕の光、君の闇……〜♪


脳裏で微かに、悪魔の歌の一節が虚しく揺れて消えていく。


「俺は、この影を拒絶し続ける。リコリスを救い出し、仲間と共に最後まで『人間』として戦い抜く。……それが俺の決意だ」


俺の言葉を聞いたリンは、一瞬驚いたように目を見開き、それから天を仰いでハハハと豪快に笑った。


「……最高だな、ルシフェル! お前は本当に……青くさくて、バカで、最高に眩しい男だ!」


リンは笑い声を収めると、己の曲がった右手(・・)を俺の前へと突き出した。


「俺の壊れた拳は、もう以前のようには動かん。だが……俺が培ってきた闘士としての『経験』と『技の極意』は、まだこの魂に残っている」


「リン……?」


「サルガタナスを討つための秘策、そしてお前のその風魔法と踏み込みをさらなる高みへ引き上げる方法……俺の全てをお前に叩き込んでやる。俺の仲間たちの無念を、お前の刃に乗せて奴らに叩きつけてくれ!」


リンの言葉には、一切の迷いも、トラウマの影も存在しなかった。 かつて心を折られた「流星拳」の男と、魔王の影を宿し苦しむ黒髪の剣士。 二人の「半身」を抱えた男たちの魂が、バルカンの赤い月の下で、完全に一つに溶け合っていた。


「頼む、リン! 俺に……お前の全てを教えてくれ!」


俺は力強く、リンの突き出された手を握り返した。


静かな夜風が吹き抜け、俺たちの髪を揺らす。 サルガタナス率いる魔王軍との決戦へ向けて、新たな師弟であり、強固な絆で結ばれた戦友としての物語が、いま静かに動き出そうとしていた。


第17話1編はここで終わりです!

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