第16話2編:熱狂の血闘場
第16話2編:熱狂の血闘場へ
【ルシフェル視点】
頭上から降り注ぐのは、耳を刺すような歓声と、泥を投げつけんばかりの粗野な罵声の嵐だった。
『大血闘場』――。 武闘都市バルカンの中心に鎮座するその巨大コロシアムは、直径百メートルを超す巨大な円形砂場を、すり鉢状の膨大な観客席が取り囲んでいた。空は高く吹き抜けているというのに、充満しているのは鉄と血、そして欲望に飢えた人間たちの汗の匂いだった。
「ひゃっはぁー! 今日も死体が見られるぞ!」 「殺せ! 生かして帰すな!」 「新顔のヒョロ男だ! 一分でひき肉になりやがれ!」
円形闘技場の石壁の陰で、俺は静かに呼吸を整えていた。 周囲には、同じく予選を戦うために集まった怪異な闘士たちがひしめき合っている。身の丈を超える巨大な鉄槌を担ぐ重装甲の巨漢、研ぎ澄まされた双剣をニヤニヤと舐める痩せた暗殺者、身の丈二メートルを超える異国の拳闘士。
誰もが殺気を隠そうともせず、俺という「カモ」を喰らうべくギラギラとした視線を送っていた。
「……賑やかだな」
俺の隣で、赤銅色の戦斧を肩に担いだブラッドが鼻を鳴らした。
「へっ、人間の野蛮さもここまできたら大したものだぜ。おい、ルシフェル。本当に俺たちの助けはいらないんだな? 予選は入り乱れての無制限バトルロイヤルだぞ。背中を狙われたら一発で終わりだ」
「ああ、言葉通りだ」
俺は腰の刀の柄にそっと右手を添えた。 左腕は、肘から下を頑丈な革のサポーターと帯で固く巻き上げている。 ノエルの治癒魔法と俺自身の意志で抑え込んではいるが、この熱気と殺気に反応し、皮膚の下で「黒い影」が蠢いているのが分かった。いつでも俺の肉体を食い破り、暴力的な魔力を解放したがっている。
(静まれ……お前の力など、借りるつもりはない)
心の中で冷たく念じる。 左腕の「魔王の半身」に頼れば、こんな予選など一瞬で吹き飛ばせるだろう。だが、それでは何の意味もないのだ。俺自身の剣技、己の人の足による踏み込みで勝たねば、俺は影の奴隷へと落ちぶれる。
「ルシフェル、無理は禁物だぞ」 重厚な胸甲を鳴らしながら、シバリアが俺の肩に頼もしい手を置いた。
「お前が予選の舞台に立っている間、俺とブラッドは観客席の最前列から周囲を警戒する。ノエルは地下酒場でリンの治療に専念しているが、お前の勝利を信じているはずだ。お前自身の戦いを貫け」
「感謝する、シバリア」
「おい、ルシフェル!」 ブラッドがフンと横を向きながら、ボソッと小さく呟いた。
「影を使わずに、その刀一本で勝ち抜いてみせろ。もし怪しい影をチラつかせたら……俺が客席から『ラ・ルビ』で丸焦げにしてやるからな!」
「ふっ……お手柔らかに頼むよ」
俺が苦笑した瞬間、闘技場の中央で巨大な銅鑼の音が響き渡った。
ゴォォォォン―――ッ!!
「野郎ども、お待ちかねの『特級浄化の聖薬』を賭けた特別試練、予選第一ブロックの開幕だぁぁぁっ! 生き残れるのはたった一人! ルール無用、相手の息の根を止めてでも最後に立っていた者が本戦へと進む! 命を惜しむな、血を撒き散らせぇぇっ!」
実況のダミ声が魔法で増幅され、闘技場全体に爆音で響き渡る。 それと同時に、俺たちの前を遮っていた巨大な黒鉄の柵が、重い音を立てて引き上げられた。
「行くぞぉぉぉっ!!」 「死ねぇぇぇっ!!」
数十人の猛者たちが、一斉に砂煙を巻き上げて中央広場へと雪崩れ込んでいく。
「さて……見せてやるさ」
俺はゆっくりと歩み出た。 砂を踏みしめる音。風の匂い。自分の足の裏から伝わる大地の確かな感触。 沖田総司の絶対の踏み込み――間合いを一気に詰め、音もなく刃を走らせるための無の境地。
足元に、最下位風魔法の魔力を滑らせる。
『ラ・ラルド』
足裏と砂地の間の摩擦が、ゼロになる。 俺の体が、重力を忘れたかのように、すうっと前へと滑り出した。
【シバリア視点】
「おいオッサン、あいつ……最初から風を足元に集めてやがるぜ」
観客席の最前列、手すりに身を乗り出したブラッドが、驚きと興奮の混ざった声を上げた。
「ああ……」俺は身を乗り出し、広大な砂場の中央へと注視した。「ルシフェルは迷いを捨てたな。左腕の影を完全に封印し、己の風と刀だけで戦う覚悟だ」
闘技場の中央では、すでに凄惨な殺戮劇が始まっていた。 鉄槌が頭骨を砕き、斧が肉を裂く。血飛沫が舞い上がり、歓声が狂気を帯びて加速していく。その混沌とした殺伐の真っ只中へ、ルシフェルはたった一人、滑るように踏み込んでいった。
「ひゃっはぁーっ! まずはその綺麗な顔を潰してやるぜぇっ!」
ルシフェルの正面から、身の丈二メートルを超す重装甲の巨漢闘士が立ちふさがった。全身を厚い鉄板の鎧で固め、人間ほどもある巨大な両手剣を振りかざしている。
「死ねぇぇっ!」
轟音とともに、巨大な両手剣がルシフェルの頭上から振り下ろされた。 砂が爆発するように舞い上がり、並の剣士なら盾ごと叩き潰される一撃。
だが――ルシフェルの姿は、すでにそこにはなかった。
「なっ……消失した……!?」 巨漢闘士が目を見開いた、まさにその瞬間。
『ラ・ラルド』の摩擦ゼロの滑走。沖田総司の踏み込みが魅せる、空間を飛び越えるかの如き超高速の移動。 巨漢の背後、わずか一歩の間合いに、ルシフェルの影が音もなく出現していた。
「速――」
「斬」
ルシフェルの口から漏れたのは、静かな一言だった。 カチン、と刀が鞘から滑り出る小さな金属音。
次の瞬間、巨漢闘士の分厚い鉄胸甲に、縦一筋の綺麗な線が走った。 一瞬の遅れののち、鉄板が紙のように真っ二つに裂け、巨漢の身体が崩れ落ちる。刀身に血の一滴すらついていない。あまりの速度ゆえに、斬られたことすら刃が通り抜けた後で肉体が理解したのだ。
「な……なんだと……!?」 「一撃か……!? あの重装甲を、ただの刀で……!?」
周囲で潰し合っていた闘士たちが、信じられないものを見たように動きを止めた。観客席の罵声が、一瞬だけぴたりと止まる。
「次だ」
ルシフェルは振り向きもせず、滑るように次の標的へと移動した。
「く、来るな! 『双蛇の牙』を受けろッ!」 ニヤニヤと笑っていた双剣使いの男が、顔を青ざめさせて毒塗りの刃を交差させ、目にも留まらぬ速さで斬りかかってくる。
だが、ルシフェルの前ではその連撃すら止まって見えるかのように遅かった。
す、と首をわずかに傾けて最初の突きをかわし、滑る足取りで相手の懐へ潜り込む。
「『ラ・ラルド』」
風の加速。 突き出された刀身が、三つの光の点となって同時に弾けた。沖田総司の三段突き。 一突き目が相手の胸当てを穿ち、二突き目が双剣の柄を叩き折り、三突き目が喉元寸前でピタリと止まる。
「ひっ……! ま、まいりましたぁぁっ!」 双剣使いが武器を捨て、ガタガタと震えて崩れ落ちた。
「おいおい……マジかよ……」 観客席でブラッドが呆然と呟いた。
「あいつ……影の力なんて一欠片も使ってねえぞ。ただの『ラ・ラルド』と、己の脚と腕の振りだけで……怪者どもを子供扱いしてやがる……!」
「そうだ」俺は胸を張り、頼もしい笑みを浮かべた。 「あれこそが、ルシフェルという剣士の真骨頂。闇の力などなくとも、あいつの刃は誰よりも鋭く、誰よりも気高いのだ」
闘技場の中央で、数十人の闘士たちが次々と倒れ、あるいは恐怖に駆られて降参の声を上げていく。 ルシフェルの動く軌跡には、ただ一筋の心地よい風が吹き抜けるだけだった。
「す……すげええええええっ!!」 「なんだあの黒髪の剣士は!? 風みたいに滑って、一瞬で敵を倒しやがったぞ!!」 「魔法剣士か!? いや、ただの風魔法であの速度を出してやがるのか!?」
最初の一瞬の静寂が嘘のように、闘技場全体が裂けんばかりの狂乱した大歓声に包まれた。
『勝ち残り――ルシフェル!!』
実況の叫び声が響き渡る中、ルシフェルは静かに刀を鞘へと納めた。 汗一つかいていない完璧な勝利。
だが、俺は見逃さなかった。 刀を納めたルシフェルの左腕が、皮帯の上からギチギチと嫌な音を立てて微かに痙攣しているのを。
(ルシフェル……肉体の疲労ではなく、感情の昂ぶりによって『影』が刺激されているか……)
予選はまだ始まったばかりだ。 死闘を重ねるにつれ、ルシフェル自身の意志と、左腕に眠る「魔王の半身」とのせめぎ合いは、より苛烈なものになっていくのだろう。
俺とブラッドは顔を見合わせ、引き締まった表情で頷き合った。 この親友の背中を、決して死なせはしないと誓いながら。
第16話2編はここで終わりです!




