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第16話1編:呪毒の侵食と闘技場の

第16話1編:呪毒の侵食と闘技場の証


【ルシフェル視点】


「ガハッ……! ヒ、ヒィィ……ッ! 爪が……俺の……体をっ……!」


地下酒場『泥憑き亭』の冷たく汚れた石床の上で、かつて「流星拳」と呼ばれた男――リンが、全身を折り曲げて苦悶の悲鳴を上げていた。


変形した手首や首筋の皮膚孔から、不吉な漆黒の「爪痕」のような紋様が浮き上がり、まるで生き物のように蠢いている。過去のトラウマと、二年前の激戦で叩き込まれた残忍な毒が、俺たちの訪れによる激しい感情の高ぶりによって最悪の形で再発したのだ。


「リン! しっかりしろ!」


俺は膝をつき、激しく暴れるリンの身体を力任せに押さえた。 触れたリンの皮膚は、氷のように冷たく、同時に内側からドクドクと禍々しい魔気の脈動が伝わってくる。その脈動は、俺の左腕に眠る「魔王の半身」の影と、不気味に共鳴し合っていた。


「くっ……! ノエル、頼む!」


「はい……! 『ラ・ヒール』――っ!!」


ノエルの切実な叫びとともに、優しい緑色の治癒の光が湧き上がり、リンの胸元へと注ぎ込まれた。最下位回復魔法とはいえ、ノエルの持つハーフエルフとしての清らかな魔力は、これまでの旅で幾度も俺たちの傷を癒やしてきたものだ。


しかし――。


(な……なんだと……!?)


注ぎ込まれた光の粒子は、リンの体表に浮かぶ黒い爪痕に触れた瞬間、パチパチと嫌な音を立てて弾け飛び、霧散してしまった。


「そんな……!? 光が……弾かれる……!?」


ノエルが衝撃に目を見開き、両手を震わせた。


「おいおい、冗談だろ!? ノエルの『ラ・ヒール』が全く効かねえのかよ!?」 赤銅色の戦斧を構えたブラッドが、驚愕の声を上げて身を乗り出す。


「ただの負傷や病ではないな……」 シバリアが大剣の柄を固く握りしめ、険しい眼光でリンの惨状を見つめた。 「サルガタナスの『邪爪の呪毒』……。相手の肉体だけでなく、魔力回路そのものを腐敗させる悪質な魔性の毒だ。最下位の『ラ・ヒール』では、毒の侵食速度に到底追いつかん!」


「ヒィィ……熱い……冷たい……殺してくれ……誰か俺を……殺してくれぇぇっ!」


リンの口から血混じりの泡が吹きこぼれる。両拳の骨を砕かれ、心も折られ、今また残忍な呪毒に蝕まれる男の姿に、俺は歯を喰い千切らんばかりに噛み締めた。


(このままじゃ……死ぬ……! サルガタナスへの手がかりどころか、この男の命が尽きてしまう……!)


「おい、店主!」 俺はカウンターの奥で顔を青ざめさせている男へ向け、怒号を飛ばした。 「この街に、この呪毒を消せる治療師や薬はないのか!? いくら払ってもいい、教えてくれ!」


店主はやれやれと頭を抱え、煙草の紫煙を震える吐息とともに吐き出した。


「無駄だと言いたいが……一つだけ、手段がないわけじゃねえ」


「本当ですか!?」ノエルがすがるように店主を見つめる。


「ああ。だがなぁ、兄ちゃんたち……生半可な覚悟じゃ手に入らねえぞ。……この武闘都市バルカンの中央に聳え立つ『大血闘場』。あそこで明日から開催される『特別試練闘技大会』の優勝賞品だ」


「優勝賞品……?」俺は短く尋ねた。


「そうだ。『特級浄化の聖薬』……あるいは、バルカン最高峰の神官闘士による『特別施術権』だ。あらゆる魔毒や古傷を根こそぎ浄化する代物でな。だが、あれは世界中から集まった命知らずの殺人鬼や巨魁どもが、血みどろで奪い合う最悪の死地だぞ」


「特級浄化の聖薬か……!」


シバリアが重々しく頷く。 「確かにそれならば、サルガタナスの『邪爪の呪毒』とて撃ち払えるかもしれん。だが……今からエントリーして優勝するなど、並大抵のことではないぞ」


「へっ、上等じゃねえか!」 ブラッドが戦斧を担ぎ直し、八重歯を見せてニヤリと笑った。


「俺たちがその大会に出て、片っ端からマッチノリどもを叩き潰して優勝薬をぶんどればいいんだろ! ルシフェル、迷う必要なんてねえぜ!」


「……ああ」


俺は立ち上がり、腰の刀の柄を固く握りしめた。 左腕の「黒い影」が、俺の昂ぶる情熱に反応して微かに蠢く。だが、今の俺には恐怖よりも強い意志があった。


「俺が出場する。バルカン大闘技場にエントリーして、必ず『特級浄化の聖薬』を持ち帰る」


「ルシフェルさん……!」


「リンを救うため、そして……俺自身が左腕の影に頼らず、己の刃だけでどこまで戦えるか試すためにもな」


決意を固めた俺の横顔を、仲間たちがそれぞれの表情で見つめていた。


【ノエル視点】


(ルシフェルさん……なんて強い眼差し……)


私は胸の前で強く両手を握りしめ、ルシフェルさんの凛とした横顔を見つめていました。


自分の左腕に「魔王の半身」という恐ろしい暗雲を抱え、激しい激痛と暴走の恐怖に苛まれながらも、ルシフェルさんは決して立ち止まろうとしません。苦しむリンさんのために、そして大切なリコリスさんを取り戻すために、自ら進んで修羅の道へ飛び込もうとしています。


「ノエル、リンの手当てを頼めるか?」 ルシフェルさんが優しく私を振り返りました。


「はい……! 私の『ラ・ヒール』では毒を完全に消すことはできませんが、ルシフェルさんが薬を持ち帰るまで、私の全魔力を注ぎ込んでリンさんの命を繋ぎ止めます!」


「頼む」 ルシフェルさんが小さく頷き、それからシバリアさんとブラッドくんを見回しました。


「シバリア、ブラッド。二人はノエルとリンの護衛を頼みたい。地下酒場とはいえ、ここは治安が悪い。俺が闘技場で戦っている間、敵の刺客やならず者が襲ってこないとも限らない」


「ふむ……」 シバリアさんは武骨な顎に手を当て、重厚な声を響かせました。


「確かに、ノエルが施術に集中している間は無防備になる。だがルシフェル、お前一人で大血闘場へ乗り込ませるのは危険すぎんか? 連戦となれば体力も消耗する。左腕の影が暴れ出した時、止める者がおらんぞ」


「大丈夫だ、シバリア」 ルシフェルさんは静かに己の左腕を見つめました。


「今回の闘技場では……俺はあの『黒い影』を一切使わない。沖田総司の絶対の踏み込みと、最下位風魔法『ラ・ラルド』……俺自身の純粋な剣技だけで勝ち抜いてみせる」


「な……ッ!?」 ブラッドくんが目を見張り、声を張り上げました。


「お前、本気かよルシフェル!? バルカンの闘技場に出てくる奴らは、人間離れした怪物ばかりなんだぞ! あの影の力を使わずに、素の剣技だけで優勝できると思ってんのか!?」


「できるさ。いや、やらなきゃ意味がないんだ」


ルシフェルさんの声には、揺るぎない絶対の確信が宿っていました。


「影の力に頼って勝ったところで、俺は影の奴隷になるだけだ。リンの心を動かし、サルガタナスを討つためには、俺自身の刃を研ぎ澄まさなきゃならない。……ブラッド、お前が言ったろ。『自分自身の強さで戦え』ってな」


「っ……! 俺の言葉を盾にしやがって……!」 ブラッドくんは悔しそうに歯を噛み鳴らし、ぷいっと横を向きました。


「知らねえからな! 途中で影を使わずにボコボコにされても、俺は助けに行かねえぞ! ……せいぜい、無様に負けないで優勝してきやがれ!」


「はは……善処するよ」


ルシフェルさんが微かに笑いました。その笑顔には、仲間への深い信頼が満ち溢れていました。


(ああ……ルシフェルさんは、もう一人ではありません)


私は心の中で祈りました。 かつては一人で傷つき、一人で影の恐怖に怯えていたルシフェルさん。でも今、彼の周囲には、背中を預けられる仲間たちがいます。


「う……あぁ……っ……」


床で苦しむリンさんが、うわ言のように小さく呻きました。 私はリンさんの頭元に膝をつき、両手に温かな光を宿らせました。


「『ラ・ヒール』……」


柔らかな緑色の光が、リンさんの傷ついたお身体を包み込みます。毒を消し去ることはできなくても、痛みを和らげ、命の灯火を繋ぎ止めることはできます。


「リンさん……聞こえますか?」 私はリンさんの耳元で優しく語りかけました。


「ルシフェルさんが……あなたのために、ご自分の命を懸けて闘技場へ向かいます。ご自分の影の恐怖と戦いながら、あなたの誇りを取り戻すために……。だからお願いです、諦めないでください……!」


リンさんの閉じた目蓋から、一筋の血混じりの涙が伝い落ちました。


ルシフェルさんは刀の柄に手を置き、力強い足取りで地下酒場の階段を上り始めました。


「行ってくる」


その背中は、どんな巨岩よりも頼もしく、美しく見えました。 武闘都市バルカン大血闘場――修羅の宴が、いま幕を開けようとしていたのです。


第16話1編はここで終わりです!

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