第13話3編:狂気に誘われる刃
第13話3編:狂気に誘われる刃
地面を蹴る衝撃と同時に、俺の視界は疾走する景色すら追いつかないほど加速した。
「行っけえええええっ!」
ブラッドが吠える。彼の掲げた巨大な赤銅色の戦斧から、滾るような高熱の炎が噴き出し、渦を巻きながら刃全体を灼熱の紅に染め上げていく。
最下位炎魔法『ラ・ルビ』を起点としながらも、彼の持つ魔力の極限まで高められたその炎は、大気を歪め、足元の岩肌すら瞬時に焦がしていた。
俺もまた、刀を低く構え、絶対の踏み込みとともに足元へと風を集める。
『ラ・ラルド』――
風を纏い、地面との摩擦をゼロにして滑走する。本来ならば、これでブラッドの炎と俺の風が綺麗に噛み合い、互いの威力を何倍にも増幅させる最高密度の合体技『炎風・無明突き』が完成するはずだった。
だが――何かが狂っていた。
(ぐ……ああああっ!?)
走る俺の左腕が、まるで沸騰した油を流し込まれたかのように暴れ出した。
抑え込もうとすればするほど、血管を突き破らんばかりに「黒い影」が這い上がり、俺の手首から刃へとドス黒いオーラとなって滲み出していく。
「ルシフェル……!? お前の風、色がおかしいぞ!?」
隣を並走するブラッドが悲鳴に近い声を上げた。
彼の放つ灼熱の赤い炎に、俺の刀から放たれた漆黒の風が絡みつく。炎と風が組み合わさるはずの領域が、黒い影によって喰らい尽くされ、どろどろとした禍々しい紫黒の火柱へと変貌していく。
「抑えろ! その黒い魔力を混ぜるな! 技が崩壊するぞ!」
「くっ……くあ……あ……っ!」
ブラッドの怒号が遠く聞こえる。
俺の意識はすでに、己の肉体から半分ほど剥離しかけていた。脳裏で冷酷な声が嘲笑う。『無力な人間め。力を望みながら、恐怖に怯えてその力を拒むか。すべてを我に委ねろ。そうすれば眼前の敵も、リコリスを奪った者どもも、すべて滅ぼしてやる』。
(黙れ……! 俺の身体だ……! 俺の……刃だ……!)
歯を喰い千切らんばかりに噛み締め、視界を赤と黒の斑点に染めながら、俺は前に立ちはだかる敵指揮官へと踏み込んだ。
巨漢の魔族は、自分へ迫る紫黒の火柱を見て、異形の顔を恐怖で歪ませていた。
「な、なんという禍々しい気だ……! お前たち、一体何を――」
「黙って焼き尽くされろおッ!」
ブラッドが戦斧を振り下ろす。それに合わせ、俺は漆黒の風を纏った刀で、寸分の狂いもない絶対の一撃――突進の威力を全て一点に集中させた刺突を繰り出した。
『炎風・無明突き』――!!
刹那、爆風が山道を揺るがした。
本来の鮮やかな炎と風の激動ではなく、あらゆる光を吸い込むような暗黒の爆炎が弾け飛ぶ。爆音とともに巨漢の魔族の巨体が打ち上げられ、叫び声すら上げる間もなく肉体を苛烈な衝撃と熱が打ち砕いていく。
「グアアアアアアアアッ!?」
凄まじい風圧と熱波が周囲の伏兵たちを吹き飛ばし、断崖の岩肌が大きく崩落した。
敵の残党は指揮官を一撃で叩き潰された絶望と、その破壊の異質さに気圧され、蜘蛛の子を散らすように山奥へと逃げ惑い始める。
「ひ、ひぃぃっ! 化け物だ……化け物が出たぞぉっ!」
「引き上げろ! 奴らは悪魔よりタチが悪い!」
敵の気配が遠ざかっていく。勝利だった。間違いなく、奇襲を退けたのだ。
しかし、俺たちの間に勝利の歓喜など一切存在しなかった。
「ハァ……ハァ……っ!」
技を打ち放った反動で、ブラッドがその場に膝をついた。赤銅色の戦斧がカランと音を立てて岩場に転がる。彼の肩は激しく上下し、広げた掌は熱で酷く爛れていた。
「くそっ……なんなんだよ、今の技は……! 俺の炎が……お前の黒い影に飲み込まれそうになったぞ……!」
ブラッドが青ざめた顔で俺を見上げる。
その視線の先――俺は、立っているのがやっとだった。
左腕の黒い影は収まるどころか、より一層牙を剥いていた。黒いオーラが肩から首元まで駆け上がり、俺の左半身を包み込んでいく。左目の視界は完全に漆黒に染まり、焦点が定まらない。
(止まらない……影が……俺の意識を食い破ろうとして――)
「ルシフェルさん!」
後方からノエルが駆け寄ってくる。その顔は蒼白で、手にした杖の先から必死に『ラ・ヒール』の温かな光を放とうとしていた。
「ダメです、光が……治癒魔法が弾き返される……!? ルシフェルさん、しっかりしてください!」
「寄るな……ノエル……っ!」
俺は必死の思いでノエルから距離を取るために後退った。
だが、その足取りは覚束ず、地面の突起に足をとられて大きく体勢を崩した。
「ルシフェル!」
シバリアが手を伸ばして受け止めようとする。だが、俺の体から溢れ出る黒い風が衝撃波となって吹き荒れ、頼れる騎士であるシバリアの巨体すら一歩退かせた。
「なっ……この力は……!」
シバリアが息を呑み、大剣の柄に固く手をかけた。仲間を庇うためか、あるいは暴走しかけた俺を抑え込むためか。その瞳に焦りと葛藤が渦巻いている。
俺の左腕が、ギチギチと嫌な音を立てて自重を無視して持ち上がった。
指先が鍵爪のように歪み、目の前にいるブラッドやシバリア、ノエルの方向へと向けられる。俺の意志ではない。左腕に宿る「魔王の半身」が、弱った俺の隙を突き、目の前の生者を殺戮せんとしていた。
(やめろ……やめてくれ……! あいつらは仲間だ……! 俺の仲間なんだ……!)
心の中でどれほど叫んでも、身体のコントロールが奪われていく。
漆黒に染まった左目が、恐怖に怯えるブラッドの姿を捕らえた。
「おい……ルシフェル……嘘だろ……?」
ブラッドの声が震えている。
彼は見たのだ。俺の左腕が明確な意図をもって自分へ向けられ、その掌孔から殺気を孕んだ黒い魔力の波が練り上げられていく様を。
「俺を……殺す気か……?」
「逃げろ……ブラッド……! シバリア……ノエルを連れて……早く逃げろぉぉぉっ!!」
俺は最後の理力を振り絞り、咆哮した。
限界を迎えた俺の意識は、底なしの暗闇へと急速に沈んでいった。




