第12話:絆の芽生えと仮の協定 第5編:忍び寄る影
第12話:絆の芽生えと仮の協定
第5編:忍び寄る影
火山街グランの夜は、宴の賑やかな歓声と焚火の爆ぜる音に包まれていた。
住人たちが奏でる素朴な楽器の音色や、シバリアがドワーフたちとジョッキを交わす豪快な笑い声。ノエルが子供たちに囲まれて楽しそうに話している姿や、料理のおかわりを巡って住民と照れくさそうに押し問答をしているブラッドの姿が、広場の中心で温かく輝いている。
(いい夜だ……)
俺は広場の喧騒から離れ、一人静かに街の外れにある崩れかけた石造りの展望台へと歩を進めていた。
夜風が吹き抜け、火災の煙をさらっていく。見下ろす街の灯りは温かく、平和を取り戻した火山街の姿が広がっていた。仲間の輪にブラッドが加わり、パーティとしての戦力も整った。サルガタナスへの手がかりを掴み、リコリスを取り戻すための旅は、着実に前へ進んでいるはずだった。
だが――胸の奥にへばりつく嫌な違和感が、どうしても拭えなかった。
(あいつの言っていたこと……)
脳裏に蘇るのは、ブラッドが俺に放ったあの警告だ。
『お前の背後に、巨大な黒い影がへばりついてやがる。ただの魔力じゃねえ……お前の内側から漏れ出てんだ』
俺は静かに自身の左手を見つめた。
手袋越しに伝わる左腕の感触。表面上は静まり返っているように見えるが、皮下一枚隔てた奥底で、何かが冷たく脈動しているような気がしてならなかった。
(俺は……本当に大丈夫なのか?)
沖田総司から引き継いだ神速の剣技。そして、異世界で得た風の魔力。
それとは別に、戦闘で極限まで追い詰められた時や、強い破壊衝動に駆られた時に顔を出す「黒い影」。
リコリスを救うためなら、どんな力でも使うと誓った。だが、もしその力を使い続けた先に待っているのが、自分自身を失い、怪物に変貌してしまう未来だとしたら――。
ドクン。
「――っ!?」
突如、胸の奥で重く冷たい鼓動が跳ねた。
「が……あッ……!?」
劇痛。心臓を氷の刃で刺されたような冷酷な激痛が走り、俺は展望台の手すりに激しく倒れ込んだ。
視界が急速に濁っていく。
暗闇の中、どろりとした漆黒の魔力が体内の深部から溢れ出し、左腕を通して全身の血管を駆け巡り始めた。
「くっ……あぁぁッ……! また……また来やがったのか……!」
俺は歯を食いしばり、右手で激しく痙攣する左腕を必死に押さえつけた。
だが、今回の暴走はこれまでと違っていた。抑え込もうとすればするほど、黒い魔力は狂暴に跳ね上がり、俺の意識を根底から塗りつぶそうと押し寄せてくる。
視界の端が黒く染まり、耳元で邪悪な囁きが聞こえるような錯覚。
『破壊しろ』
『全てを焼き尽くせ』
『お前は人間の剣士などではない』
「だまれ……黙れぇッ!!」
俺は膝をつき、石畳に額を擦り付けるようにして叫んだ。
正気を保つために必死で耐えるが、瞳の奥が徐々に怪しい漆黒の光を帯びていくのを自分でも自覚していた。理性が引き千切られそうになる絶望的な恐怖。俺の手が、勝手に鞘の中の刀の柄へ伸びかける。
「――おい」
冷気を含んだ幼い声が、闇の狭間から聞こえた。
「な……にやってんだ、お前……」
俺が血走った目を見開いて顔を上げると、そこには展望台の階段を登ってきたブラッドが立っていた。
広場の宴の賑わいから離れて俺を追ってきたのだろう。ブラッドの手には、さっきまで食っていた肉串の木切れが握られていたが、それが指先から力無くぽろりとこぼれ落ちた。
ブラッドの真紅の瞳が、恐怖と戦慄で限界まで見開かれている。
「な……んだよそれ……。冗談だろ……」
ブラッドの視線の先――そこには、俺の背後から立ち昇る、夜の闇よりもなお深い漆黒の邪気があった。
俺の左腕から溢れ出た不吉な影が、巨大な悪魔の幻影のように俺の背後に蠢き、街全体を見下ろすように冷たく蠢いていたのだ。
そして、ブラッドの眼前にいる俺の瞳――その左右の瞳孔は、人間の輝きを失い、完全に禍々しい漆黒の魔力によって染まりかけていた。
「ブラッ……ド……」
俺はかすれた声で彼の名を呼ぼうとしたが、口から出たのは自分のものではないような、低く濁った恐ろしい声だった。
「お前……本当に呑まれかけてんじゃねえか……!」
ブラッドは震える手で腰の戦斧の柄に手を伸ばし、激しい戦慄を漂わせながら俺を見つめていた。
宴の遠い喧騒が響く中、火山街グランの静かな高台で、俺の内に眠る『魔王の影』が静かに、だが確実に覚醒の兆しを見せ始めていた。




