第10話:ツンデレ悪魔の事情 第3編:ノエルの優し
第10話:ツンデレ悪魔の事情
第3編:ノエルの優しさ
火山街グランの郊外――崩れかけた古い石造りの見張り塔の影。 熱風と煙が立ち込める薄暗い物陰で、ブラッドは激しい息を吐きながら壁に背を預けていた。
「ハァ……ハァ……くそっ……! なんだよあの黒髪の人間……! 意味分かんねえだろ、あの速さ……!」
ブラッドは悪魔の小ぶりな翼をぐったりと垂らし、地面に投げ出した自分の足を見つめて悪態をついた。 右腕と脇腹には、俺たちと遭遇する前に魔物や魔王軍の追手とやり合った際の生傷がいくつも刻まれている。さらに、俺の刀で薄く切られた首元の傷が、汗と熱気でじんじんと痛んだ。
「てめえの力にビビってるくせに……あんな真似できんのかよ……! けっ、胸糞悪い!」
ブラッドは懐から破れた布切れを取り出し、唾をペッと吐きつけて傷口を乱暴に拭おうとした。 だが、傷口に布が触れた瞬間、「いったぁぁぁッ!?」と大声を上げて涙目になり、その場でのたうち回った。
「痛えぇ……! なんだよこれ、めちゃくちゃ痛えぞくそっ! 悪魔の回復力はどうなってやがる……!」
一人で悶絶するブラッド。 その時、見張り塔の影から、ひょっこりと小さな人影が姿を現した。
「あの……ブラッドさん?」
「うわぁぁぁッ!? な、なんだお前はぁッ!?」
ブラッドは飛び上がるように跳ね起き、必死で戦斧を構えようとした。だが、傷口の激痛で「ぐはっ!」と盛大に咳き込み、そのまま膝から崩れ落ちる。
「だ、大丈夫ですか!? 無茶しちゃダメです!」
慌てて駆け寄ってきたのは、ノエルだった。 彼女は手に持っていた小さな救急箱と杖を地面に置くと、心配そうにブラッドの顔を覗き込んだ。
「て、てめえ……あの人間の仲間かよ! なんでここにいやがる!」
ブラッドは真っ赤な顔で威嚇するように牙を剥いたが、膝がガクガクと震えていて全く説得力がない。その背後の物陰から、俺とシバリアもゆっくりと歩み出た。
「探したぞ、暴れ馬のガキ悪魔。一人で静かに泣いているかと思えば、傷口に唾をつけて自滅していたとはな」
シバリアが腕を組み、呆れたように口元を歪めてニヤリと笑う。
「な、泣いてねえよゴツい女騎士! 誰が自滅だ、殺すぞ! ていうか、お前は男なのか女なのかハッキリしろ!」
「私は立派な男の騎士だ!『ゴツい女』とか言うな! ルシフェルの時といい、貴様は人の性別を何だと思っているんだ!」
「知るかよ! どっちでもゴツいのは変わりねえだろ!」
ギャーギャーと騒ぎ立てるシバリアとブラッド。 俺は思わず額を押さえてため息をついた。
「シバリア、喧嘩しに来たんじゃないんだから落ち着け……。ブラッド、お前を追いかけてきたのは攻撃するためじゃない。その怪我を治療するためだ」
「はぁ!? 治療だぁ!?」
ブラッドは露骨に警戒の色を強め、ジリジリと後ろへ後退った。
「ふざけんな! 人間に治療なんてされてたまるかよ! 毒でも盛る気だろ! 悪魔を騙して油断させて、後ろからサックリ殺すつもりなんだ! 俺は知ってんだぞ、人間が一番汚ねえ生き物だってことくらいなぁ!」
ブラッドの刺々しい言葉に、ノエルは悲しそうに眉をひそめた。だが、彼女は逃げようとするブラッドの前にすっと進み出ると、優しく微笑んで膝をついた。
「毒なんて盛りませんよ。ほら、動かないでくださいね」
ノエルは杖をそっと構え、静かに呪文を唱え始めた。
「――清らかなる恵みの水よ、傷つきし身体を優しく包み込め……『ヒール』」
ノエルの杖の先から、淡いエメラルドグリーンの光が溢れ出し、温かな水のヴェールとなってブラッドの身体を包み込んだ。
「うわっ……!? な、なんだこれ……!?」
ブラッドは身構えたが、全身を包み込む心地よい温もりに目を見張った。 右腕や脇腹の擦り傷がみるみるうちに塞がり、痛みが引いていく。俺が刀で付けた首元の薄い切り傷も、綺麗な肌へと戻っていった。
「す……げぇ……。痛みが……完全に消えた……?」
ブラッドは自分の腕や首元を何度もさすり、信じられないという顔でノエルを見つめた。
「どうですか? もう痛くありませんか?」
ノエルはホッとしたように胸を撫でおろし、柔らかく微笑んだ。
「な、なんで……なんで俺を助けるんだよ……」
ブラッドは首を傾げ、戸惑いと警戒が混ざり合った複雑な表情でノエルを睨みつけた。
「俺はお前たちの街で暴れたんだぞ!? 敵だぞ!? 悪魔なんだぞ!? なのに……なんでそんな優しくすんだよ……! 意味分かんねえよ!」
ブラッドの声には、単なる怒りではなく、誰かから優しくされた経験が一切ない者が抱く「困惑」が満ちていた。 ノエルはその真っ赤な髪の少年悪魔の瞳を、逸らすことなくじっと見つめ返した。




