第9話:熱風の火山街と傲慢なる悪魔 第5編:鋭き一撃
第9話:熱風の火山街と傲慢なる悪魔
第5編:鋭き一撃
「そこまで言うなら……見せてやるよ。俺の剣技が、お前の言う『生ぬるいもの』かどうかをな」
俺の口から漏れた声は、自分でも驚くほど低く、静かだった。
灼熱の熱気が渦巻く火山街グランの中心で、周囲の喧騒がふっと遠のいていく。
ブラッドが放つ凄まじい炎の熱も、民家の崩れる音も、消火にあたるノエルの水の音も、すべてが背景の雑音へと退いていく感覚があった。
「……あ?」
屋根の上で大口を叩いていたブラッドの顔から、笑みがすっと消えた。
彼は不快そうに眉をひそめ、戦斧の柄を握る手に力を込める。俺の身体から立ち昇り始めた「気配」の変化を、悪魔としての本能で察知したのだろう。
「おい、ルシフェル!」
俺の横で大剣を構えていたシバリアが、低い声で制止するように呼びかけてくる。
「熱くなるな! あの悪魔は貴様を挑発して、その苛立ちに乗じて力任せの攻撃に誘い込もうとしている。単身で突っ込むのは危険だ!」
熱血漢でありながらも冷静に戦況を見極めるシバリアの判断は、騎士として極めて正しい。だが、今の俺の心は驚くほど静寂に包まれていた。怒りに任せて身を躍らせようとしているわけではない。
「大丈夫だ、シバリア。熱くなってなんかいない」
俺は刀の先をブラッドへ向けたまま、静かに言葉を返した。
「ただ……試してみたくなったんだ。俺が今まで積み上げてきた剣術が、悪魔の誇る暴力にどこまで通用するのかを」
「ルシフェル……」
シバリアは一瞬目を見張ったが、俺の横顔に宿る揺るぎない覚悟を感じ取ったのか、固く口を結んでそれ以上は制止しなかった。大剣を低く構え直し、俺の背後を完全にカバーする体勢を取ってくれる。信頼できる仲間の気配を感じながら、俺は深く息を吸い込んだ。
(余計な思考を捨てろ。左腕の闇に頼るな。ただ……踏み込め)
胸の奥で暴れようとする黒い衝動を、精神の最深部へ押し込める。
代わりに意識を集中させたのは、身体の軸、足裏にかかる体重、そして沖田総司の記憶から引き継いだ、極限の「踏み込み」と「呼吸」の合わせ方だ。
ブラッドが屋根の上で不敵に鼻を鳴らした。
「ハッ! 恰好つけやがって! なんだその眼差しは……気に入らねえ! 俺様の炎で、その澄ましたツラごと丸焼きにしてやるよぁ!」
ブラッドが両足で屋根を力任せに蹴破り、空中に跳躍した。
巨斧を頭上高く掲げ、全身の魔力を限界まで放流する。彼の背後に巨大な炎の翼のような爆炎が広がり、夜空を赤く染め上げた。
「死ねぇッ! 炎斧・爆連破!!」
空中で一回転しながら振り下ろされる、渾身の広範囲一撃。
高熱の炎が旋風となって地表へと叩きつけられ、俺たちの立ち位置全体を焼き尽くさんと迫る。直撃すれば命はないどころか、灰すら残らないほどの絶大な破壊力だ。
だが――俺の視界の中では、その迫り来る炎の嵐が、まるでスローモーションのように見えていた。
「無駄だ」
(踏み込み――第一足)
地を踏み締めた瞬間、足元の石畳が砕け散る。
シバリアの「ルシフェル!?」という焦りを含んだ叫び声すら置き去りにして、俺の身体は弾丸となって地表を滑った。
(第二足――そして、第三足)
ブラッドの放つ高熱の波紋を、刃一枚分の紙一重でかわし抜ける。
高熱が頬の皮膚を焼き、髪を焦がす感触すら意識の外へと追い出す。空気を切り裂く音すら追いつかない、極限の絶対速度。
「――なっ!?」
空中で戦斧を振り抜いた直後、ブラッドの表情が驚愕に染まった。
彼の視界から、俺の姿が完全に消失したのだ。
次の瞬間には、俺はブラッドの着地点――彼の懐の死角へと、すでに潜り込んでいた。
「バッ……バカな、どこに――」
「ここだ」
静かな呟きと共に、刀を振り抜く。
ガキィン!!
「ぐあぁッ!?」
ブラッドの喉元、皮膚が薄一枚切れるか切れないかの絶対の至近距離に、俺の刀の先端がピタリと突きつけられていた。
あまりの踏み込みの衝撃波に、ブラッドが纏っていた高熱の炎すら、一瞬で残らず吹き飛んでしまっていた。
地面に着地したブラッドは、勢いを殺しきれずに石畳の上を激しく転がった。
身の丈ほどもある赤銅色の戦斧が手からこぼれ落ち、カランカランと虚しい音を立てて転がっていく。
「がっ……は……っ!?」
ブラッドは冷たい石畳に背中を打ち付けながら、信じられないといった様子で自分の首元を手で押さえた。
薄く皮が一枚切れ、一筋の赤い血が滲み出ている。もし俺がほんのわずかに刃を深く進めていれば、彼の首は間違いなく胴体から切り離されていた。
さっきまでの生意気な余裕は完全に霧散していた。
赤髪の少年悪魔の顔は真っ青に引きつり、額からボタボタと冷や汗を流しながら、見下ろす俺の姿を恐怖と戦慄の目で見上げている。
「な……なんだ、今の速度……!? 目で追うことすら……できねえ……!?」
ブラッドの声が激しく震えていた。
俺は刀をゆっくりと引き、鞘へと納める姿勢を取った。金属音が小さく響き、刀身が静かに収まる。
「俺を片腕の半端者と呼ぶのは勝手だ」
俺は地面に倒れ伏すブラッドを見下ろし、冷徹な声で言い放った。
「だが、俺の仲間やこの街をこれ以上危険に晒すなら……次は加減しない。この刀でお前の首を叩き落とす」
夜風が吹き抜け、火災の煙をさらっていく。
圧倒的な力で街を荒らしていた傲慢な悪魔ブラッドは、ただ息を呑み、俺の瞳の奥にある底知れぬ凄みに気押されたまま、一言も返せずに地面にへたり込んでいた。




