第8話:捕われの少女と魔王の冷眼 第5編:黒い影の芽生え
第8話:捕われの少女と魔王の冷眼
第5編:黒い影の芽生え
【ルシフェル視点】
頭を割るような激痛が去った後の山道は、不気味なほどに静まり返っていた。 硫黄の混じる熱い風が吹き抜けるたび、乾燥した赤土が舞い上がり、喉の奥をザラつかせる。
先ほどノエルとシバリアに見せた無様な姿。そして、脳裏に直接響いた魔王ルシファーの声。 あの冷酷でどこか愉悦に満ちた声の残響が、未だに耳の奥にへばりついて離れない。
(俺の中に……ルシファーの影がいる……?)
左手を固く握りしめる。 手袋越しに感じる革の触感の奥で、脈打つ動脈とは明らかに異なる「別の鼓動」が微かに暴れていた。 前世の天才剣士・沖田総司の記憶が目覚めた時、俺は己の身に宿る剣技と見切りを、リコリスを取り戻すための神授の力だと信じた。だが、その純粋なはずの力に、いつの間にか濁った黒い闇が混ざり込んでいる。
「ルシフェル、お水……少しだけでも飲んで」
並んで歩くノエルが、小さな声で革の水筒を差し出してきた。 彼女の表情は優しく包み込むようだったが、その目の奥には隠しきれない不安の色が残っている。先ほど俺が彼女の手首を強く掴んでしまった時の赤みが、袖口からちらりと覗いていた。
「……ありがとう、ノエル。それと……さっきはすまなかった。怪我はなかったか?」
「ううん、全然平気よ。私の方こそ、急に触ったりしてごめんなさい」
ノエルは首を振って健気に微笑んで見せた。 だが、俺は知っている。彼女が持つハーフエルフ特有の優れた魔力感応力なら、俺の身体の内部で何が起きているのか、俺以上に敏感に察知しているはずだ。それなのに彼女は、俺を怖がらせまいと、責めまいと必死に平静を装っている。
(俺のせいで……仲間を怯えさせている)
胸が苦しくなる。 右腕を失い、村を焼かれ、リコリスを奪われたあの絶望の日。一人で死んでいくはずだった俺を救い、共に旅に出てくれたノエルとシバリア。二人を巻き込むわけにはいかない。しかし、リコリスを救い出すためには、この危険な力を使わざるを得ないという矛盾。
「おい、二人とも。見えてきたぞ」
前方を歩いていたシバリアが立ち止まり、手で街道の先を指し示した。
荒涼とした山道の尾根を抜けた先、すり鉢状の巨大なカルデラ盆地に広がっていたのは、赤黒い岩肌と絶え間なく立ち上る黒煙に包まれた異様な街――「火山街グラン」だった。
【ノエル視点】
眼下に広がる火山街グランを見下ろしながら、私はそっと胸に手を当てた。
(熱気が……すごい……)
街を取り囲む巨大な岩壁の隙間から、まるで生き物のように赤く蠢く溶岩の流れが見える。大気の質そのものが重く、熱を孕んでいて、息を吸い込むだけで肺が焼けるような錯覚を覚えた。
けれど、私にとって何より重苦しかったのは、目の前の街から漂う空気ではなく、お隣に立つルシフェルの気配だった。
ルシフェルの左腕に宿る「黒い影」。 先ほど彼の手当てをした時に見た、静脈に沿って浮かび上がる黒い筋は、回復魔法『ル・ヒール』の光を明確に拒絶していた。あれは単なる傷や呪いではない。ルシフェルの身体そのものが、外からの温かな精霊の力を弾き、内部から湧き出す冷たく凶悪な魔力に染まりつつある証拠だった。
(魔王ルシファー……。あんな恐ろしい名前の存在が、ルシフェルの中に宿っているなんて……)
もしも、ルシフェルがリコリスちゃんを取り戻す前に、その黒い闇に呑み込まれてしまったら? もしも、前世の記憶や剣技だけじゃなく、彼の心までもが「別のアナタ」に塗り替えられてしまったら?
恐怖で足がすくみそうになる。 でも、私は自分に言い聞かせた。ハーフエルフとして生まれ、人間からもエルフからも忌み嫌われて孤立していた私を、ルシフェルは一目見て「仲間」として受け入れてくれた。彼の優しさと覚悟に救われたのは、私の方なのだ。
「ルシフェル」
私は意を決して、彼の服の袖をそっと引っ張った。
「なにか、私にできることがあったら……どんなことでも言ってね。私はあなたの力になりたいの。あなたの身体がどんなに変わろうと、私は絶対にあなたを諦めないから」
ルシフェルは驚いたように目を見開き、それから少しだけ表情を和らげた。
「……ああ。頼りにしているよ、ノエル」
その微笑みには、かつて彼が持っていたはずの素朴な青年らしさが微かに残っていた。私はその表情を見て、胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。まだ大丈夫。ルシフェルの心は、まだ壊れきってはいない。
【シバリア視点】
「へっ……言うようになったじゃねえか、ノエルヌの嬢ちゃん」
二人のやり取りを背中で聞きながら、俺は苦笑交じりに大剣のベルトを締め直した。
若い二人だ。重すぎる運命を背負わされ、必死に前を向こうとしている。元盗賊の世捨て人だった俺が、こんな真面目な旅に加わることになるとは思ってもみなかったが……一度背中を預けると決めた以上、見捨てるわけにはいかねえ。
だが、俺の戦術眼と勘が警鐘を鳴らし続けているのも事実だった。
(火山街グランか……噂通り、魔王軍の手が伸びてやがるな)
街の入り口付近を見下ろすと、黒い鎧を纏った魔物の見張りや、下級の悪魔どもが闊歩しているのが見えた。街全体が魔王軍の支配下にあるか、あるいは何らかの異変に晒されているのは間違いねえ。
そして何より――街の内部から、ルシフェルの中に宿る闇とはまた質の違う、荒々しく燃え上がるような「異質な魔力」が立ち上っている。
「小僧、ノエル。街に入る前に気を引き締めろ」
俺は二人に振り向き、表情を削ぎ落として言った。
「グランの街は、普通の交易都市ルクセンとはワケが違う。溶岩と鉱脈の街だが、今は魔王軍の残党やならず者どもが巣食う無法地帯だ。……それに、何かが起きている」
「ああ、分かっている」
ルシフェルが頷き、左手で静かに刀の柄に触れた。 その目の奥で、一瞬だけ漆黒の光が明滅するのを俺は見逃さなかった。ルシフェルの内に眠る「黒い影」は、戦闘や危機を前にするたび、より一層その存在感を強めていく。
「リコリスを救うため、そしてサルガタナスへ辿り着くために……どんな障害があろうと突破する」
静かな、しかし確実な殺意を孕んだルシフェルの言葉。
こうして、右腕を失いし片腕の英雄ルシフェルと、彼を支えるノエル、シバリアの3人は、過酷な灼熱の地「火山街グラン」へと足を踏み入れるのだった。
己の内に潜む狂気の影と、この街で待ち受ける「新たな出会い」の予感に包まれながら――第2章の物語が、本格的に動き出す。




