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第8話:捕われの少女と魔王の冷眼 第3編:焦燥の旅路

第8話:捕われの少女と魔王の冷眼


第3編:焦燥の旅路


【ルシフェル視点】


薄暗い林道を貫く、乾燥した泥の道をひたすら東へと歩みを進める。 視界の端で揺れる樹木の影すら、今の俺には障壁にしか見えない。右胸に強く縛り付けた右腕の断端――布越しに感じる鈍い痺れと疼きが、一歩踏み出すごとに苛立ちを煽っていた。


「ルシフェル、少し歩調が速すぎるわ。焦る気持ちはわかるけれど、身体に毒よ」


後ろから追いついてきたノエルが、心配そうに俺の左顔を覗き込んできた。ハーフエルフ特有の透き通るような青い瞳に、俺の引きつった表情が映り込んでいる。


「……大丈夫だ。休んでいる暇はない。ネビロスの口から『幻影の城塞』の名が出た以上、一刻も早く東の火山地帯を抜けて『黒竜の山脈』へ到達しなきゃならない」


「だからって、不眠不休で歩き続けたら山脈を越える前に倒れちゃうわ! ネビロスの地下聖堂を出てから、あなたほとんど水を口にしただけで横になっていないのよ?」


ノエルが立ちふさがるように前に出た。彼女の可憐な眉が悲しげに寄せられる。


「頼むから、ノエル。退いてくれ」


俺の声は自分でも驚くほど冷たく、乾いていた。 ネビロスを打ち砕き、リコリスが魔王軍幹部サルガタナスによって魔界の拠点へ連れ去られたという確証を得た。その瞬間から、俺の頭の中からは「休息」という概念が完全に吹き飛んでいた。


右腕を握り潰されたあの日の炎。リコリスの泣き叫ぶ声。そして、手首を失った血みどろの激痛の中で俺の魂に刻み込まれた、前世の剣士――沖田総司の冷徹な見切りと死生観。


それらが交差するたび、胸の奥底でドロリとした熱い塊が蠢く。 「早く行け」「全てを斬り捨てろ」「奪い返せ」と、脳髄を直接揺さぶるような謎の衝動。


「おいおい、小僧。姉ちゃんの言う通りにしておけって」


後ろから大股で歩いてきたシバリアが、呆れたように巨大な大剣の柄を肩に担ぎ直した。豪快なヒゲを蓄えた元盗賊の巨躯が、俺とノエルの間に滑り込む。


「焦って命を落としたら元も子もねえ。リコリスってお嬢さんを助け出す前に、お前自身が擦り切れて死んじまうぞ」


「……シバリアまで」


「俺たちは仲間になったんだろ? お前の無茶につき合う覚悟はあるが、自滅するのに付き合う趣味はねえよ。それに、次の目的地である『火山街グラン』へ行くには、この先の険しい山道を越えなきゃならねえ。体力を削ったまま登れるような生易しい山じゃねえんだ」


シバリアの言葉は正論だった。元盗賊としての修羅場をくぐってきた男の言葉には、重みがある。 俺は固く拳を握りしめ、視線を足元に落とした。左手で握りしめた銘のない白鞘の刀――前世の記憶と共に俺の手に馴染んだその柄の感触だけが、かすかに俺の理性を繋ぎ止めている。


「……すまない。二人の言う通りだ」


深く息を吐き出し、立ち止まる。 ノエルがホッとしたように胸を撫でおろし、腰のポーチから薬草の入った革袋を取り出した。


【ノエル視点】


路肩の倒木に腰掛けたルシフェルへ、水筒と干し肉を手渡す。 一口、二口と機械的に咀嚼する彼の横顔を見つめながら、私は胸を締め付けられるような痛みを覚えていた。


(ルシフェル……どうしてそんなに思い詰めた目をするの……?)


ネビロスの地下聖堂を壊滅させた時の彼の強さは、紛れもなく神業だった。片腕でありながら、前世の記憶だという「左一刀流」と、風魔法を纏わせた刺突『風閃』でキメラを切り裂き、狂気の魔族ネビロスを叩きのめした。


けれど、今の彼からは、ただの「リコリスちゃんを救いたい」という強い意志以上の、異質な何かが滲み出ている。


傷口の手当てをするため、彼の右肩の衣類を少し肌から肌脱がせた時だった。


「っ……!?」


私は息を呑んだ。 右腕の手首から先を失い、固く縛り付けられた切断面の周囲。そこから胸元にかけて、以前の手当ての時にはなかった黒い糸のような筋が、皮膚の静脈に沿ってかすかに浮き上がっていたのだ。


「どうかしたか、ノエル?」


「あ……ううん、なんでもないわ。傷口が少し熱を持っているから、消毒と治療魔法をかけるわね」


私は動揺を隠し、必死に微笑みを作った。 『ル・ヒール』の温かな緑の光を掌に宿し、彼の右肩へ当てる。光が肌に染み込んでいく間も、その黒い筋は消えることなく、まるで意志を持っているかのように微かに脈動していた。


(これは……回復魔法の光を弾いている? ううん、魔法そのものを内側から侵食しているような……)


ハーフエルフとして生まれた私は、幼い頃から人並み外れた魔力感応力を持っていた。だからこそ感じ取れてしまう。ルシフェルの体内で膨らみつつある魔力が、純粋な風の精霊の力とは異質な、冷たくて不気味な「闇」を帯び始めていることに。


「……ありがとう、ノエル。少し楽になった」


ルシフェルが静かに立ち上がり、刀の鞘を帯に刺し直す。 その瞳はまっすぐ東の空を見つめていた。その横顔には、かつて村で穏やかに笑っていたという青年の面影は薄く、どこか修羅の道を行く剣士の凄みが漂っている。


「行こう。火山街グランへ」


「……ええ」


私はルシフェルの背中を見つめながら、固く胸の前で手を組んだ。 彼がリコリスちゃんを取り戻すためなら、どんな地獄へでも付き合うと決めた。でも、もしもこの旅の途中で、ルシフェル自身が何か恐ろしいものに変貌してしまいそうになったら――その時は、私が絶対に彼を引き止めなければならない。


冷たい風が林道を吹き抜け、私たちの衣類を揺らした。 遠く東の地平線には、激しい煙を吐き出す赤黒い火山群のシルエットが、不吉な影のように立ち塞がっていた

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