第7話:廃教会の地下(第3編/全5編) 【視点:ノエル(ハーフエルフの姫)】
第7話:廃教会の地下(第3編/全5編) 【視点:ノエル(ハーフエルフの姫)】
【1】
「う……っ……」
地下聖堂の奥へと進むにつれ、鼻を突く異臭はますます濃くなり、ノエルは思わず胸元の口布を強く押し当てました。
腐敗した薬品の刺激臭、焦げた鉄の匂い、そして何よりも大気そのものを汚染しているかのような、禍々しく重苦しい魔気の圧力。 ノエルがハーフエルフとして持つ高い魔力感応力は、この空間の至る所に染み付いた「絶望と苦悶の記憶」を過敏なまでに拾い上げてしまいます。
ここで行われていたのは、単なる魔物の飼育などではありません。 人間や捕らえた生き物を薬品で弄び、命の尊厳を根底から踏みにじる、悪魔の企みそのものでした。
(こんな恐ろしい場所で……ネビロスという魔族は……)
ノエルが身体を微かに震わせていると、前方を歩く背中がふいに立ち止まりました。 ルシフェルさんです。
「ノエル、無理をするな。……魔気の影響を受けているなら、後ろへ下がれ」
前髪の隙間から振り返る、冷ややかに澄んだ茶色の瞳。 その声は相変わらず素っ気なく聞こえましたが、ノエルには分かっていました。彼が不器用ながらも、ハーフエルフである自分の身体を真剣に気遣ってくれていることを。
「いいえ……大丈夫です、ルシフェルさん」
ノエルは胸元の聖印を握り締め、彼を真っ直ぐに見つめ返しました。
「私はハーフエルフとして、この旅に同行すると決めました。あなたの傷を癒やし、風の加護で支えることが私の役目です。……この程度の不快な魔気に、負けてはいられません」
「ふっ、頼もしいじゃねえか、ノエル様」
隣で巨大な大剣を肩に担いだシバリアが、豪快に口元を緩めました。
「見ろよルシフェル。ノエル様は見た目こそ華奢な姫様だが、腹の括り方はそこらの騎士サマよりずっと男前だぜ。あんたもあんまり心配しすぎると、モテすぎて困ることになるぞ?」
「……冗談を言っている場合か」
ルシフェルさんはそう呟きながらも、どこか月気まずそうに視線を前方の重厚な鉄格子へと戻しました。 その一瞬見せた人間らしい表情に、ノエルは胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じました。
【2】
「シバリア、ルシフェルさん……気をつけてください。この鉄格子の向こう……今までとは比べものにならないほど強大な魔気が潜んでいます」
ノエルが低い声で警告を発すると、シバリアの顔から軽薄さが消え、大剣を握る手に一層の力が込められました。
鉄格子の奥に広がっていたのは、廃教会のさらに深部に位置する「地下大聖堂」でした。 天井は高く、崩れかけた石柱の合間に、緑色や紫色の妖しい光を放つ魔導ランタンがいくつも吊り下げられています。 そして中央の広場には、無数のガラス管と奇怪な錬金術の器具が並び、その中心に立つ「一人の男」が静かにこちらを振り向きました。
紫色の豪奢な長袍を纏い、顔の半分を異形の金属仮面で覆った男。 その隙間から覗く細い瞳には、知性と狂気が歪に混ざり合った、怪しい光が宿っていました。
「ケケケッ……よくぞ辿り着いたねぇ、鼠ども。私の愛らしい試作品たちをあっさりと切り刻んでくれるとは、なかなかの見ものだったよ」
甲高い、耳障りな声が広間に響き渡ります。
大魔族ネビロス。 魔王軍の幹部であり、惨虐な実験で人間を弄ぶマッドサイエンティストその人が、優雅に両手を広げて立ち尽くしていました。
「特に……そこの片腕の青年。素晴らしいねぇ! 手首を粉砕された死に体でありながら、沖田とかいう異国の記憶を覚醒させ、さらには風の初級魔法『ラ・ラルド』まで剣技に融合させるとは! 奇跡的な『検体』だ!」
「……検体だと?」
ルシフェルさんの声が、氷点下へと叩き落ちました。
左手に握られたボロ剣の柄。そこから溢れ出る白銀の気配が、静かな殺意となって空気を震わせ始めます。
【3】
「そうとも! 君のその肉体と魂の変質は、私の試作薬『魔化促進剤』の最高の触媒になる!」
ネビロスは仮面の奥で歪んだ笑みを浮かべ、胸元から妖しい紫色の液体が入った薬品瓶を取り出しました。
「そして……そこのハーフエルフの小娘。人間の血とエルフの精霊力が高次元で混ざり合った君の肉体も素晴らしい。君たちの体を解剖し、継ぎ合わせれば……サルガタナス様をも超える最高のキメラが完成するのだからねぇケケケッ!!」
「サルガタナス……!」
その名がネビロスの口から放たれた瞬間。
ノエルの視界の横で、爆発的な風が吹き荒れました。
ルシフェルさんの前髪が激しく跳ね上がり、その瞳に宿ったのは、前前世の天才の死生観を超えた、凄惨なまでの「黒い執念」でした。
「リコリスをどこへやった……サルガタナスは今、どこにいる」
ルシフェルさんが静かに一歩を踏み出します。 その足元から立ち上る白銀の気配と風の旋風は、地下大聖堂の床を削り取るほどの圧力を放っていました。
「ケケッ! 知りたいかい? ならば私の新しいペットたちの胃袋の中で、じっくりと教えてあげようじゃないか!!」
ネビロスが薬品瓶を床に叩きつけると、紫色の煙が爆発的に広がり、大聖堂の暗がりから更なる異形の影が蠢き始めました。
「ルシフェルさん……! シバリア……!」
ノエルは胸の前で両手を固く合わせ、全魔力を集中させました。 大切な仲間たちを守り、理不尽な狂気を打ち砕くための決戦の火蓋が、いま静かに切り落とされようとしていました。
(第7話・第3編 完 / 第4編【混ざり合う視点】へ続く)




