第7話:廃教会の地下(第1編/全5編) 【視点:シバリア(大剣士)】
第7話:廃教会の地下(第1編/全5編) 【視点:シバリア(大剣士)】
【1】
「……ここが、東の『廃教会』の裏手ってわけだ」
朝靄が薄っすらと漂う交易都市ルクセンの東端。 俺は背中の大剣を低く構え直し、鬱蒼とした雑木林の隙間から見上げる古びた石造りの建造物を睨みつけた。
街の大通りの喧騒からは完全に孤立した、崩れかけた大聖堂。 かつて聖なる祈りが捧げられていたであろうその場所は、今や壁面を毒々しい黒蔦が覆い尽くし、窓ガラスは粉々に砕け、崩落した石壁の隙間から湿った不快な気配が溢れ出ていた。
「風が止まっていますね……。ここだけ、まるで世界から切り離されたみたいです」
隣に立つノエル様が、フードの隙間からハーフエルフの長耳を微かに震わせ、顔を曇らせた。 彼女の持つ高い魔力感応力が、この廃教会全体を包み込む「禍々しい魔気の残滓」を鋭く捉えているのだろう。
「ノエル様、下手に魔力を探るんじゃない。向こうの感応能力が高い場合、探知の波でこちらの侵入がバレる」
俺が低く警告すると、ノエル様は「はい……」と小さく頷き、胸元の聖印を強く握りしめた。
「ルシフェル、裏の水路口の格子は生きてるか?」
俺が視線を送ると、俺たちの少し先、崩れた石垣の影に身を潜めていたルシフェルが、無音でこちらへ振り向いた。
その立ち姿は相変わらずだ。 厚い布切れによって胴体へ固く縛り付けられた、手首の潰れた動かない右腕。 だが、彼の一歩一歩には一切の無駄がなく、朝露を含んだ腐葉土を踏みしめる足音すら立てていない。 脳裏に刻まれた新選組一番隊組長・沖田総司の記憶と、極限まで磨かれた体幹操作が、彼の全身を完璧な「気配遮断」の状態に保っていた。
「……格子は錆びついて破れている。地下水路から地下聖堂へと繋がる抜け道だ。警備の姿はない」
ルシフェルが前髪の隙間から冷ややかに応える。
昨夜、宿屋で語り合った作戦通り。 正面の重厚な大門ではなく、かつて聖堂の排水用に使われていた地下水路からの潜入。元盗賊としての俺の勘と読みが、完璧に当たった形だ。
【2】
「よし、乗り込むぞ。足元に気をつけな」
俺たちは姿勢を低く保ちながら、石垣の影を滑るように移動し、暗い地下水路の落とし口へと滑り込んだ。
ひんやりとした湿気と、足元を浸す冷たい水。 そして水路の奥から漂ってくるのは、ドブの臭いなどではない。焦げた鉄の匂いと、腐敗した薬品、そして大量の「血液」が混ざり合った、胸がムカムカするような悪臭だった。
「うっ……! この匂いは……」
ノエル様が思わず口元を口布で覆う。
「奴ら……本当にここで、怪しい試作薬の実験やキメラの錬成を行っていやがるな」
俺は大剣の柄を握る手に一層力を込めた。 盗賊時代にも様々な悪党を見てきたが、人間の尊厳を弄び、肉体を捏ね繰り回すような真似をする大魔族ネビロスの狂気には、腹の底から吐き気が差す。
水路を十数メートルほど進むと、苔むした石段が見えてきた。 その石段を登り切った先には、鉄製の重厚な観音開きの扉が固く閉ざされていた。
「扉の向こう……複数の気配があります」
ノエル様が囁く。
「人間のものではありません。濁った、歪な魔気の波……二つ、いえ、三つ……!」
「キメラか、あるいは薬で理性を奪われた実験体か」
ルシフェルが静かに左手の一刀——ボロ剣の柄へと指をかけた。 白銀の『天稟』の気配が、彼の身体から静かに立ち上り始める。
「シバリア。お前が扉を破れ。……開いた瞬間の先制は、俺が叩き込む」
「ハッ、言うじゃねえか! 行くぞッ!!」
俺は全身の筋肉を収縮させ、巨大な大剣の腹を扉の鍵部分へ向けて、爆風のような勢いで叩きつけた。
ガンッ!! ガシャァァンッ!!
爆音が地下通路に轟き、錆びついた鉄扉が悲鳴を上げて内側へと弾け飛んだ。
【3】
扉が吹き飛んだ先——そこに広がっていたのは、度し難い惨状だった。
かつて聖堂の地下保管庫であったろう広大な石造りの空間。 その中央には、不気味な紫色の液体を満たした巨大なガラス管がいくつも並び、床には鎖で繋がれた檻や、解剖台のような木製器具が乱雑に放置されていた。
「ギャオォォォォンッ!!」
扉の破壊音に応じるように、暗がりから咆哮が上がった。
現れたのは、三体の異様な異形——「キメラ(合成獣)」。 あるものは人間の上半身に巨大な狼の肉体と爪が縫い合わされ、あるものは二つの頭部を持つ巨大な蜘蛛のような姿をしている。 全身の継ぎ目から黄色い試作薬が垂れ落ち、赤く濁った眼球を血走らせて、侵入者である俺たちへと襲いかかってきた。
「死に損ないの合成獣どもが……ッ! ノエル様、俺の背中から離れるな!」
俺は大剣を横一文字に構え、躍り出ようとした。
だが——
——ス……ッ。
俺の横を、白銀の光芒と嵐のような風が擦り抜けた。
「……そこを退け」
低い呟きとともに前に出たのは、右腕を縛り付けた片腕の青年——ルシフェルだ。
彼の左足の一歩が、石畳の上を滑るように深く踏み込まれる。 昨日、グラットン・ボアとの戦いで覚醒させた『風の魔法』。 その旋風が大気中から吸い寄せられ、ルシフェルの左手に握られたボロ剣の刀身を、過熱したドリル状の白銀の気配へと変貌させていた。
「グガァァッ!?」
先頭の狼型キメラが、鋭い爪を振りかざして頭上から襲いかかる。 並の大剣なら正面から受け止めるしかない急襲。
だが、ルシフェルは顔色一つ変えなかった。 沖田総司の見切りが、キメラの肉体の継ぎ目——薬物によって壊死しかけた首元の隙間を完璧に捉える。
——『天稟・風閃・無明突き(ふうせん・むみょうづき)』。
ドスッ、ドスッ、ドスッ!!
空間を穿つ重厚な三連の衝撃音が、一瞬にして重なり合って響いた。
白銀の光と風の旋風を纏った一刀が、キメラの喉笛、胸腔、そして心臓を正確無比に穿ち抜く。 風の回転力がキメラの狂暴な肉体を内側から粉砕し、巨躯は悲鳴を上げる間もなくドサリと石畳へ叩きつけられた。
「な……一瞬でキメラを……!?」
俺が息を呑む暇すら与えず、ルシフェルはそのまま左足を軸にして身体をくるりと旋回させ、残る二体のキメラへと白銀の刃先を向けた。
廃教会の地下聖堂。 狂気の大魔族ネビロスの根城で、片腕の天才剣士の死線と奪還の刃が、ついに解き放たれようとしていた。
(第7話・第1編 完 / 第2編【視点:ルシフェル】へ続く)




