第6話:盗賊団の奇襲(第3編/全5編) 【視点:ノエル(ハーフエルフの姫)】
第6話:盗賊団の奇襲(第3編/全5編) 【視点:ノエル(ハーフエルフの姫)】
【1】
「ひ……ヒィッ……!?」
『銀の風亭』の店内に、引きつった悲鳴と静寂が同時に広がりました。
あまりにも一瞬の出来事でした。 袖口から毒ナイフを投げつけた盗賊の男。ノエルが息を呑み、シバリアが突き飛ばそうとしたそのコンマ数秒の間、ルシフェルさんは顔をわずか数ミリ傾けただけでナイフをかわしたのです。 そして、刀を抜くことすらなく、白銀の気配と『風の魔法』を纏わせたボロ剣の柄頭で、男のみぞおちを音もなく打ち砕いていました。
吹き飛ばされた男はテーブルを巻き込んで倒れ、泡を吹いて動かなくなっています。
「ルシフェルさん……!」
ノエルは胸元で固く手を合わせ、息を呑みました。
今朝、右腕の手首を握り潰され、傷口に薬草を塗り直したばかりの体です。 その動かない右腕を胸元に縛り付けたまま、彼は一切の力みもなく、静かに立ち尽くしていました。
前髪の隙間から覗く、冷ややかな茶色の瞳。 そこにあったのは、敵を倒した高揚感などではありません。 幕末の異国で散っていった天才剣士・沖田総司の凄惨な死生観と、「ネビロス」という魔王軍の幹部の名を聞いたことで燃え上がった、氷のように研ぎ澄まされた執念でした。
「ネビロスはどこにいる」
ルシフェルさんの低い声が、酒場の暖かな空気を凍りつかせます。
「吐かなければ……お前たちの腕も、右腕と同じように叩き折る」
「ひ、ヒィィィッ!! 化け物……化け物だァッ!!」
残された二人組の盗賊——背の高い男とナックルダスターの巨漢は、膝をガタガタと震わせ、恐怖のあまり後退りしました。 彼らにとってみれば、山道で自分たちの頭領を屠った「片腕の鬼神」が、目の前で再びその神業を見せつけたのです。戦意など最初から残っていませんでした。
【2】
「待ちな、ドブネズミども」
それまで大剣を手に身構えていたシバリアが、ズシリと一歩踏み出しました。 その巨体から立ち上る本物の殺気が、逃げ出そうとした二人組の退路を完全に塞ぎます。
「ルシフェルの問い聞こえなかったか? ネビロスという上級魔族が、この街のどこで何を企んでやがる。……正直に吐かなきゃ、俺の大剣でお前らの両足を叩き折るぞ」
「は、話しやす! 話しやすから命だけはぁっ!」
ナックルダスターの巨漢が、その場に崩れ落ちるように膝をつき、必死に頭を擦りつけました。
「ネビロス様……いや、あの狂った魔族は、この街の東側にある『廃教会』の地下にアジトを構えてるんです! 街の闇ギルドや無法者どもを集めて、怪しい試作薬の実験や、人間の買い取りを行ってて……!」
「試作薬の実験……?」
ノエルは胸元に手を当て、不吉な胸騒ぎに眉をひそめました。
「え、ええ! 人間や魔物を捕まえては、気味の悪い毒薬や睡眠薬を投与して、キメラ(合成獣)を作る実験をしてるって噂です! 俺たちはネビロス様から『片腕で風を使う珍しい剣士と、ハーフエルフの小娘を連れてくれば大金を払う』と言われて……!」
男の言葉を聞いた瞬間、ノエルの背筋に冷たい悪寒が駆け抜けました。
理不尽な実験。人間の尊厳を奪い、命を弄ぶ悪魔の企み。 村を焼き、リコリスさんを奪ったサルガタナスと同じ、魔王軍の残虐な暴力の影が、この交易都市ルクセンのすぐ足元にまで迫っていたのです。
「……東の廃教会か」
ルシフェルさんが静かに呟きました。 左手に握られたボロ剣の柄から、かすかに白銀の気配が揺らめきます。
「ルシフェルさん、待ってください!」
ノエルは思わず彼の前に立ち塞がりました。
「今すぐ向かう気ですか!? あなたのお体は、まだ休息が必要です! 右腕の激痛も、回復魔法の応急処置で抑えているだけに過ぎないのですよ!」
【3】
「ノエル様のおっしゃる通りだぜ、ルシフェル」
シバリアも大剣を肩に担ぎ直し、重々しく頷きました。
「相手はネビロス……上級魔族で、どんな怪しい薬や罠を仕掛けているか分からない奴だ。こんな街中の騒ぎの直後に乗り込んじゃ、向こうの思うツボだぞ。まずは一晩しっかり体を休め、準備を整えてから叩き潰すのが筋だ」
二人の言葉を受け、ルシフェルさんは一瞬だけ固く口を結びました。
脳裏に渦巻くのは、奪われたリコリスさんへの想いと、前世の天才・沖田総司の「好機を逃すな」という教え。 ですが、ノエルの真摯な眼光と、シバリアの頼もしい言葉を前に、彼はゆっくりと深呼吸をしました。
「……分かった。今夜はここで体力を戻す」
ルシフェルさんが静かに剣から手を離すと、店内に充満していた氷のような威圧感が、すっと和らぎました。
「ひぃぃっ、助かったぁっ!」
盗賊の男たちは命からがら逃げ出し、気を失った仲間を引っ張って、蜘蛛の子を散らすように酒場から逃げ出していきました。
「ふう……騒がせてすまなかったな、店主さん」
シバリアがカウンターの店主に金貨をもう一枚放り投げると、震えていた店主は慌ててそれを拾い上げ、「い、いえ! 部屋へどうぞ!」と案内を始めました。
ノエルは安堵の息を吐きながら、ルシフェルさんの顔を見上げました。
「ルシフェルさん……明日は、私たちも一緒に行きます。ネビロスという魔族の企みを打ち砕き、リコリスさんへの手がかりを掴みましょう」
「……ああ」
ルシフェルさんは短く応え、左手でボロ剣の鞘を確かめました。
廃教会に潜む魔王軍の影、そして迫り来るネビロスの狂気。 交易都市での束の間の休息の裏で、三人の前に新たなる試練の死線が静かに刻まれようとしていました。
(第6話・第3編 完 / 第4編【混ざり合う視点】へ続く)




