第6話:盗賊団の奇襲(第2編/全5編) 【視点:ルシフェル】
第6話:盗賊団の奇襲(第2編/全5編) 【視点:ルシフェル】
【1】
「……酒の味が不味くなる面拝みさせんじゃねえよ」
シバリアの低く腹に響く声が、店内の暖かな空気を一瞬で凍りつかせた。 テーブルの向かいで、ノエルが息を呑み、回復魔法を唱えかけていた手をそっと引っ込める。
ルシフェルは左手に持っていた木製のスプーンを静かに皿の縁へ置いた。 右腕は、いまノエルが手際よく薬草を塗り終え、清潔な布で胸元へ縛り直し終えたばかりだ。まだ手首の砕けた骨が熱を持ち、ジクジクと神経の奥を苛んでいる。
ゆっくりと顔を上げると、そこには三人組の男たちが下劣な嗤いを浮かべて立っていた。 ボロの革鎧の胸元に刻まれた「黒い蛇」の紋章。 昼間、山道で叩き潰した盗賊団『黒蛇の牙』の残党。
(……生き残りが、街へ逃げ込んで手配を行っていたか)
ルシフェルは前髪の隙間から、男たちの立ち位置と筋肉の動きを冷ややかに観察していた。
先頭に立つ背の高い男は、腰の短剣に手をかけている。 右側の小柄な男は、袖口の中に暗器——毒を塗った針か投擲ナイフを潜ませている手つき。 左側の巨漢は、両拳に鉄製のナックルダスターを装着し、いつでもテーブルごと押し潰せるよう前傾姿勢をとっていた。
立ち回り、間合いの詰め方。 どれをとっても、下級魔族のような暴力の塊というよりは、路地裏で背後から人を刺し慣れている「毒蛇」の立ち振る舞いだった。
「ヘッ……逃げ切れると思ったかよ、シバリアぁ」
先頭の背の高い男が、ペッと床に唾を吐き捨てた。
「山道でダグラス頭領たちを血祭りにあげてくれたそうだな。おかげで俺たち残党は路頭に迷うところだったぜ。だが……ハハッ! この街の裏仕切りである『ネビロス様』の直属の幹部に連絡をつけたらよ、『そのハーフエルフと片腕のガキを連れてくれば、組の再建資金を出してやる』とお仰られたんだ!」
「ネビロス……?」
シバリアの眉が激しく跳ね上がった。
ネビロス。魔王軍の幹部であり、惨虐な実験や薬物の投与で人間を弄ぶマッドサイエンティストと噂される上級魔族の名だ。
「そうさ! あのネビロス様が、お前のその『片腕で風を纏う珍しい検体』と、ハーフエルフの『高潔な実験体』に興味津々でなぁ! おとなしく連れて行かれりゃ、命だけは助けてやるぜぇ!」
【2】
(ネビロス……魔王軍の幹部か)
その名を聞いた瞬間、ルシフェルの胸の深底で脈動していた「黒い熱」が、冷たく研ぎ澄まされた。
村を焼き、リコリスを奪ったサルガタナスと同じ、魔王軍の幹部。 リコリスの居場所へと繋がる手がかりが、こんな街の路地裏で向こうから転がり込んできたのだ。
ルシフェルは足元に立てかけてあった「古びた鉄の剣」の柄へと、左手の指先をそっと添えた。
白銀の『天稟』の気配と、先ほど芽生えさせた『風の魔法』が、ルシフェルの思考と同調して刀身の奥底で静かに息づき始める。
「ルシフェル、手出しするな」
シバリアが身を乗り出し、ルシフェルを制するように巨体で前に立った。 彼の手にはすでに、重厚な大剣が握られている。
「こいつらは俺の過去の吐き溜めだ。店の中で大立ち回りやられたらノエル様に危険が及ぶ……俺が外へ叩き出す」
「待て、シバリア」
ルシフェルは低い声で制した。
「奴らの狙いは俺とノエルだ。……そして、ネビロスという魔族の名を出した。生かして吐かせる必要がある」
「なっ……!?」
シバリアが驚愕して振り返る間もなく。
右側に立っていた小柄な男が、袖口から投擲ナイフを滑り出させ、ルシフェルの首元へ向けて目にも留まらぬ速度で放った。
「死ねや、片手野郎ォッ!!」
シャッ、と空気を切り裂く金属音。 毒が塗られた鋭利な刃が、一直線にルシフェルの頸動脈を狙って飛来する。
店内の冒険者たちが悲鳴を上げ、ノエルが顔を蒼白にするコンマ一秒の瞬間。
——ス……ッ。
ルシフェルの視界の中で、世界の流れる時間が緩やかに減速した。
【3】
脳蓋の奥底に刻まれた、沖田総司の凄惨な記憶。 刺客が放つ暗器や毒針を、病に冒された肉体で幾度となく見切ってきた死線の経験。
(軌道、直線。速度、素人同然)
ルシフェルは顔を数ミリ傾けただけで、飛来したナイフの刃先を紙一重でかわした。 ナイフはルシフェルの頬の髪一筋を掠め、背後の木柱へと深々と突き刺さる。
「なっ……避けた……!?」
ナイフを放った男が絶句した瞬間には。
ルシフェルの左足の一歩が、木製の床を音もなく滑っていた。 体重の移動、腰の回転、そして左半身を前に滑らせる「左一刀流」の極限の踏み込み。
左手に握られたボロ剣が、鞘から僅か数センチだけ滑り出る。
——『天稟・鞘打ち(さやうち)』。
ドゴッ!!
「ガッ……!?!?」
一瞬の出来事だった。 刃を抜くまでもなく、白銀の気配と風の旋風を纏わせたボロ剣の「鯉口」と「柄頭」が、ナイフを投げた男のみぞおちへと正確無比に叩き込まれた。
風の衝撃波が男の体内を駆け巡り、男は目を見開いたまま吐血し、店内を数メートル吹き飛んでテーブルごと粉砕した。
「ひ……ヒィッ!?」
残された背の高い男とナックルダスターの巨漢が、恐怖で引きつった声を上げた。
ルシフェルは柄から手を離さず、冷ややかに二人を見下ろした。 前髪の隙間から覗く茶色の瞳には、前世の天才剣士が宿した「殺戮の冷徹さ」と、仲間を守るための静かな怒りが同居していた。
「ネビロスはどこにいる」
ルシフェルは低い声で問いかけた。
「吐かなければ……お前たちの腕も、右腕と同じように叩き折る」
片腕の青年が放つ絶大な殺気が、酒場全体を氷点下へと叩き落としていた。
(第6話・第2編 完 / 第3編【視点:ノエル】へ続く)




