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第5話:初めての魔法(第3編/全5編) 【視点:ルシフェル

第5話:初めての魔法(第3編/全5編) 【視点:ルシフェル】


【1】


「これが……魔法か」


左手のボロ剣を引き抜き、息を整えながら、ルシフェルは己の掌を静かに見つめた。


巨獣グラットン・ボアの巨躯が、足元の泥の上で動かなくなり、やがて黒い霧となって空気中へと霧散していく。 並の鉄鋼すら容易く跳ね返す岩石の甲殻。その僅かな隙間へと吸い込まれるように走り、内側から肉体を破壊した白銀の一閃。 それは、これまで繰り出してきた沖田総司の「無明突き」とは明らかに異なる感覚だった。


刃筋の軌道、足の踏み込み、身体の軸の旋回——そこまでは、前世の天才が遺した身体操作の記憶そのものだ。 しかし、その一瞬の突きに、ルシフェルの体内に眠る魔力と、大気中に満ちる大自然の「風」が呼応し、刃の先端へドリル状の旋風となって収束した。


『力で刃を振るうな。理と風に乗せよ』


脳裏で、浅葱色の羽織を纏った沖田総司が、満足げに薄く微笑んだ気がした。


「すごい……すごいです、ルシフェルさん!」


駆け寄ってきたノエルが、瞳を輝かせながらルシフェルの左手を覗き込んだ。


「いまの、間違いなく風の初級魔法『ラ・ラルド』の芽吹きです! あなたの内に眠る膨大な魔力と、強い執念が、大気に漂う風の精霊を惹きつけたのです!」


「風の初級魔法……『ラ・ラルド』か」


「ええ! あなたの放つ『無明突き』の最速の貫通力に、風の旋風が加わったのですよ。本来なら片手での突きでは通らないはずの硬い皮膚や甲殻も、あの風の回転が削り砕いてしまったのです!」


ノエルの興奮気味な声を聞きながら、ルシフェルは己の胸元に固く縛り付けられた右腕へと視線を落とした。 手首を握り潰された凄惨な激痛。動かない死んだ肉塊。 右腕を失ったことで、自分は両手で刀を構え、力任せに振るう選択肢を永遠に奪われた。


だが——だからこそ。 片手ゆえの最速の踏み込みと見切り、そして白銀の刃に纏わせる風の魔法。 理不尽な絶望によって突き落とされたからこそ到達できた新たな翼が、確かにこの左手に宿り始めていた。


【2】


「へっ……大したもんだぜ、本当にな」


後ろから歩み寄ってきたシバリアが、背中の大剣を担ぎ直しながら、感心したように首を振った。


「下級魔族や人間どころか、あんな巨大な変異種の魔物まで一撃で沈めちまうとはな。あんたのその『左手の一刀』と風の芽吹きがありゃ、サルガタナスのような化け物相手でも、爪を届かせるチャンスが生まれるかもしれん」


「……まだ、遠い」


ルシフェルは冷ややかに首を振った。


「あの村で向かい合ったサルガタナスの威圧感……奴の放つ圧倒的な魔気と、金色の瞳の奥にあった底知れない暴力は、こんな魔獣の比ではなかった。いまの俺の一閃では、奴の喉笛をかすめることすらできずに返り討ちにあう」


ルシフェルはボロ剣を静かに鞘へと納めた。 カチン、と金属音が響き、白銀の輝きと風の気配が刀身の中に潜んでいく。


「もっと鋭く……もっと疾く。風の精度を上げ、沖田の見切りを極限まで研ぎ澄まさなければ、リコリスを取り戻すことなどできない」


その言葉に宿る、どこまでもストイックで惨烈なまでの覚悟。 ノエルとシバリアは一瞬息を呑み、それから互いに顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。


「相変わらず、自分に厳しすぎるお兄さんだぜ。……だが、そういう奴だからこそ、俺たちも背中を預け甲斐があるってもんだ」


シバリアが豪快に笑い、ルシフェルの前方を指差した。


「見ろよ、ルシフェル。あの草原の向こうだ」


【3】


シバリアの指差す先—— 黄金色の草原を通り抜けた先には、天を突くようにそびえ立つ雄大な「黒竜の山脈」の断崖絶壁と、その山裾に広がる巨大な建造物の群れが見え始めていた。


高い石造りの城壁に囲まれた、活気あふれる街の遠景。


「あそこが……『黒竜の山脈』の麓にある交易都市ですね」


ノエルが澄んだ瞳を細め、静かに呟いた。


「魔界への入口である山脈を越えるため、世界中から冒険者や商人が集まる拠点です。あそこに行けば、サルガタナスたちの足取りや、山脈の深部へ向かうための情報、そして旅の物資が手に入るはずです」


「交易都市、か……」


ルシフェルは前髪の隙間から、遠く佇む都市の影を見つめた。


村を焼き払われ、右腕を握り潰され、最愛のリコリスを奪われたあの惨劇の夜から、休むことなく泥を這い続けてきた。 沖田総司の記憶の覚醒、ノエルとシバリアとの出会い、盗賊団との死闘、そして『風の魔法』の芽吹き。 一つひとつの死線を乗り越えるたび、片腕の青年は「ただの村人」から「理不尽を切り裂く剣士」へと着実に変貌を遂げていた。


「いくぞ」


ルシフェルは短く応えると、風を切り、交易都市へと続く一本道を踏み出した。


左手に握られた一振りのボロ剣。 胸に縛り付けられた冷たい右腕。 そして、前世の天才が遺した記憶と、新たに宿った風の翼。


連れ去られた少女を取り戻すための旅路は、いま、最初の目的地である交易都市へと力強く歩みを進めていくのだった。


(第5話・第3編 完 / 第4編【混ざり合う視点】へ続く)

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