第5話:初めての魔法(第2編/全5編) 【視点:シバリア(大剣士)】
第5話:初めての魔法(第2編/全5編) 【視点:シバリア(大剣士)】
【1】
「グオォォォォォォンッ!!」
地響きとともに放たれた咆哮が、俺の鼓膜を狂ったように揺さぶった。
目の前にそびえ立つのは、岩石のごとき漆黒の甲殻を全身に纏った巨大魔獣——『グラットン・ボア』。 その巨躯は、俺の身長の倍以上はある。何層にも重なり合った岩の鎧は並の鉄剣など簡単に弾き返し、頭部から突き出た二本の太い角は、大木すら一撃で粉砕する破壊力を秘めていた。
「チッ……! こいつはただの野生の魔物じゃねえ、魔界の魔気を吸って凶暴化した変異種だぞ!」
俺は身構え、背中の大剣を両手で深く握り直した。 元盗賊として数々の魔物と刃を交えてきたが、あのレベルの甲殻を持つ相手を正面から斬り伏せるには、大剣の質量と全腕力を叩き込む覚悟がいる。
「ノエル様、ルシフェル! 俺が正面から角を受け止める! お前たちは側面に回れ——」
そう叫び、前に踏み出そうとした俺の視界を、風を切るような一筋の影が擦り抜けた。
「……待て、シバリア」
制止の声とともに俺の前に躍り出たのは、右腕を胴体に固く括り付けた青年——ルシフェルだった。
「おい、ルシフェル!? 何考えてんだ、引っ込んでろ! 下級魔族や人間とはワケが違う、あんな岩の塊みたいな甲殻にボロ剣を突っ込んだら、一発で刃が粉砕されるぞ!!」
俺の絶叫を、ルシフェルは意にも介さなかった。 彼の立ち姿には動揺も恐怖も一切ない。左半身を深く前に滑らせ、右側の死角を消した「左一刀流」の極限の構え。
だが、いつもと違っていた。
(な……なんだ、あの気配は……!?)
俺は思わず目を見開いた。 ルシフェルの全身から立ち上っているのは、あの下級魔族や盗賊を瞬殺した時の、氷のように冷徹な白銀の気配だけではなかった。
彼の周囲の空気が、不自然に波打っている。 微かな風の旋風がルシフェルの足元から巻き起こり、彼が左手に握るボロ剣の刀身へと吸い寄せられるように集まっていた。
「風が……ルシフェルさんの周りに集まっている……!?」
後ろでノエル様が驚愕の声を上げる。 ハーフエルフとしての高い感応力を持つノエル様が気づいたということは、間違いねえ。 ルシフェルの体内に眠る膨大な魔力と、リコリスを取り戻すという狂おしいほどの執念が、大気に漂う風の精霊と初めて共鳴を始めていたのだ。
【2】
「グオオオオッ!!」
こちらの殺気に反応したグラットン・ボアが、前足で激しく地を蹴り上げた。 大量の土砂が舞い散り、数トンの質量を持つ岩の巨躯が、目にも留まらぬ速度で一直線に突進してくる。
地煙を巻き上げながら迫る二本の巨角。かすめるだけでも命はない。
「ルシフェルッ!!」
俺が大剣を構えて飛び出そうとしたコンマ数秒の瞬間。
ルシフェルの視界の中で、世界から音が完全に途絶えた。
(突進の軌道、一直線。……甲殻の継ぎ目、首元から胸腔へと抜ける一点)
ルシフェルの前髪の隙間から覗く茶色の瞳が、冷酷なまでに敵の生命の芯を捉える。 脳裏に刻まれた沖田総司の死生観と、天才の見切り。 どれほど巨大な敵であろうと、どれほど硬固な甲殻を纏っていようと、刃筋の通る「隙間」は必ず存在する。
(右腕がないなら、踏み込みの推進力を倍に増幅させる。……風に乗せろ)
ルシフェルは左足の一歩を、滑るように地へと踏み込んだ。
その瞬間、彼の足元から激しい風の旋風が爆発的に吹き荒れた。 大気中の風の素養が、彼の覚悟に呼応して『風の芽吹き』となって解き放たれたのだ。
ズ……ッ!!
風の推進力を得たルシフェルの身体が、物理的な速度を超えて前方に「滑った」。 突進してくるグラットン・ボアの巨角を、髪一筋の紙一重でかわす体さばき。
「なっ……速ぇぇッ!?」
俺の叫びが空を切る。 すれ違いざま。ルシフェルの左腕が引き絞られ、白銀の光芒と透明な風の旋風を纏ったボロ剣が、一直線に解き放たれた。
——『天稟・風閃』。
ドスッ……!!
凄まじい穿孔音が、広場に轟き渡った。
【3】
「グガッ……!?!?」
突進の勢いのまま、グラットン・ボアの動きが泥にハマったように完全停止した。
信じられない光景だった。 並の鉄鋼すら跳ね返すはずの岩石甲殻。その首元の僅か数ミリの隙間に、ルシフェルの白銀の一刀が、風の旋風をドリルに乗せるようにして深々と根元まで突き刺さっていたのだ。
ルシフェルの『天稟』による精密な三連突刺の技術と、初めて解放された風の魔力。 二つの力が融合した一閃は、岩石の甲殻を内側から破壊し、巨大魔獣の心臓を一直線に穿ち抜いていた。
「ガ……オ……っ……」
グラットン・ボアの赤い瞳から光が失われ、口から大量の血と土砂を吐き出しながら、巨大な躯が横倒しにドサリと崩れ落ちた。
地響きが収まり、再び静寂が戻ってくる。
ルシフェルは左腕に力を込め、巨獣の首元から白銀の剣を静かに引き抜いた。 刀身を包んでいた風の旋風がすっと収まり、白銀の光が刃の中に潜んでいく。
「一撃……で……あの巨獣を……!?」
俺は大剣を構えたまま、口を開ぐり開けて立ち尽くしていた。 下級魔族や人間ならまだ分かる。だが、あんな城門すら破壊するような大型の魔獣を、片腕の青年が左手の一刺しだけで即死させたのだ。
「ルシフェルさん……っ!」
ノエル様が駆け寄り、ルシフェルの手元を凝視した。
「いまの……間違いありません。風の精霊が、あなたの想いに応えて剣に宿りました……! 初めての、魔法の芽吹きです!」
ルシフェルは己の左手を見つめ、静かに息を吐き出した。 潰された右腕の激痛は相変わらず神経を苛んでいる。だが、彼の瞳には、自らの力への確かな手応えが宿っていた。
「これが……魔法か」
「ええ! あなたの執念と覚悟が、大気の理を動かしたのです!」
ノエル様が弾んだ声で笑う。 俺も大剣を背中へと納め、ルシフェルの肩を呆れ顔で叩いた。
「へっ……本当にお前って奴は、どこまで常識を壊せば気が済むんだ。だが、頼もしいぜ。これなら『黒竜の山脈』の化け物ども相手でも、十分に戦える!」
白銀の『天稟』の技術と、新たに芽生えた『風の魔法』。 二つの翼を手に入れた片腕の天才剣士・ルシフェル。 彼と仲間たちの足跡は、いよいよ試練の地——「黒竜の山脈」へと力強く踏み出されようとしていた。
(第5話・第2編 完 / 第3編【視点:ルシフェル】へ続く)




