第5話:初めての魔法(第1編/全5編) 【視点:ノエル(ハーフエルフの姫)】
第5話:初めての魔法(第1編/全5編) 【視点:ノエル(ハーフエルフの姫)】
【1】
「ふう……山道の傾斜も、ようやく落ち着いてきましたね」
汗を拭いながら振り返ると、私たちが歩んできた鬱蒼とした滅びの森が、遠く眼下へと小さくなっていた。
森を抜け出してから数時間。 前方を遮る木々は減り、視界の先には一面に広がる黄金色の草原と、雲を突くようにそびえ立つ「黒竜の山脈」の雄大なシルエットが、はっきりと姿を現し始めていた。
「ノエル様、あの草原を突っ切れば、山脈の麓の交易都市は目と鼻の先ですぞ」
シバリアが巨大な大剣の柄に手を置き、目を細めて前方を見つめる。 彼の隣には、相変わらず無言で歩みを刻むルシフェルさんの姿があった。
その立ち姿は、静かだが息を呑むほどに研ぎ澄まされている。 厚い布切れで胴体に固く縛り付けられた、動かない右腕。 手首を握り潰された凄惨な傷は、私のアシスト魔法『ル・ヒール』で痛みを和らげているとはいえ、完全に治癒したわけではない。 それなのに、彼の歩みには迷いやグラつきが一切存在しなかった。
(ルシフェルさん……右腕の激痛に、顔色一つ変えずに耐えていらっしゃる……)
先ほどの『黒蛇の牙』との激闘を思い出す。 十数人の凶徒を相手に、シバリアと背中を預け合い、左手の一刀だけで相手の急所を完璧に穿ち抜いた神業。 前世の異国の天才剣士・沖田総司の記憶と、彼の内に眠る『天稟』の才。 理不尽な運命に右腕を砕かれ、大切な少女・リコリスさんを奪われた絶望の中で覚醒したその白銀の一閃は、美しくもどこか哀しいほどに鋭利だった。
「ルシフェルさん、お水です。少し口を湿らせてください」
私が水筒を差し出すと、ルシフェルさんは立ち止まり、前髪の隙間から私を静かに見つめた。
「……感謝する、ノエル」
左手で水筒を受け取り、淡々と水分を補給するその動作すら、完璧な身体の軸に支えられている。
「……私の顔に、また何かついているだろうか」
「ふふ、いえ。ただ……ルシフェルさんのその左手の構えや歩き方を見ていると、本当に不思議な気持ちになるのです」
私が微笑むと、シバリアも豪快に笑いながら会話に入ってきた。
「ハハッ! ノエル様の言う通りだぜ。元盗賊の俺から見ても、あんな片手だけの殺陣なんざ見たこともねえ。剣の重心と身体の回転だけで、大人の男を二人まとめて突き殺すんだからな。……ありゃ、ただの技術じゃねえ。『理』そのものだ」
【2】
「……理、か」
ルシフェルさんは水筒を返し、白銀の気配を潜めたボロ剣の柄へとそっと触れた。
「沖田総司は、力で刀を振るう男ではなかった。病で肉体が衰え、右腕を切り裂かれ……腕力という力任せの破壊が奪われたからこそ、骨の動きと刃の角度だけで命を絶つ『無明突き』に到達した」
彼の茶色の瞳に、どこか遠い時代を見つめるような深遠な光が宿る。
「俺はただ、彼の遺した身体操作の記憶をなぞっているだけに過ぎない。……だが、魔王軍やサルガタナスのような化け物を相手にするには、まだこの刃筋だけでは足りないと感じている」
「足りない……ですか?」
私が首を傾げると、ルシフェルさんは固く口を結んだ。
「ああ。下級魔族や盗賊相手なら、見切りと『無明突き』で対応できる。だが、村を焼いたあのサルガタナス……奴の威圧感と間合いの広さは次元が違った。俺がどれほど速く左手を突き出そうと、肉体のリーチと速度の限界を超えた『何か』がなければ、奴の爪を切り裂くことはできない」
「なるほどな……」
シバリアが顎髭をさすりながら重々しく頷く。
「大魔族ってのは、純粋な剣技だけでどうにかなる相手じゃねえ。……魔術や、属性の力ってやつだ。ノエル様が使うような精霊の力や、魔法の威力が加わらなけりゃ、奴らの強固な魔力の皮膚を打ち破ることは難しいかもしれん」
属性魔法。 この世界において、人間に宿る魔力と大気の精霊が織りなす力。
「風……炎……水……土……そして光と闇」
私がつぶやくと、ルシフェルさんはそっと自分の左手の掌を見つめた。
「魔法、か。……俺には、魔法の素養などないと思っていた」
「そんなことはありませんよ、ルシフェルさん」
私は胸元に手を当て、自らのハーフエルフとしての血を意識しながら静かに語りかけた。
「魔法とは、特別な選ばれし者だけの術ではありません。己の魂の深底にある『強い想い』と、大気に満ちる理が呼応した時に生まれるものです。……あなたのような強い執念と覚悟を持つ方なら、きっと属性の芽吹きが訪れるはずです」
【3】
「強い想い、か……」
ルシフェルさんが自問するように呟いた、その時だった。
——ゴゴゴゴゴ……ッ!!
突如として、私たちが立っている街道の地面が、地鳴りのような重低音とともに激しく揺れ動いた。
「なっ……地震か!?」
シバリアが咄嗟に大剣を引き抜き、腰を落としてノエル様を庇うように身構える。
「いいえ、違います! この大気の振動……地面の下から、巨大な魔気が接近しています!」
私がハーフエルフの長い耳を抑え、叫ぶと同時に。
爆発的な土煙とともに、私たちの数十メートル前方の地表が派手に弾け飛んだ。
「グオォォォォォォンッ!!」
土煙の奥から姿を現したのは、岩石のように固い甲殻を全身に纏った、体長数メートルを超える巨大な魔獣——『グラットン・ボア(大土豚)』だった。 赤く濁った眼球をギラつかせ、鋭く伸びた二本の巨角を打ち鳴らしながら、大地を揺るがす勢いでこちらを威嚇している。
「チッ……山脈の手前の縄張りに立ち入っちまったか! 下級魔族どころの騒ぎじゃねえぞ、あのデカさは!」
シバリアが大剣を両手で深く構え、前に踏み出す。
「ノエル様、ルシフェル! 俺が正面から引きつける! お前たちは——」
「シバリア、待て!」
ルシフェルさんの低い制止の声が響いた。 彼の一歩が、シバリアの巨体をすり抜けるようにして前に出た。
右腕を胴体に固く縛り付けたまま、左半身を深く前に滑らせる構え。 その左手に握られたボロ剣の柄から、いままでにない異様な「熱」が溢れ出し始めていた。
(あ……あれは……!?)
私は目を見開いた。 ルシフェルさんの全身を包み込む白銀の気配。しかし、いま彼の剣に宿ろうとしているのは、沖田総司の『天稟』の才だけではなかった。
彼の中の「リコリスを取り戻す」という凄惨な執念が、大気に満ちる微かな風の精霊と、初めて共鳴を起こし始めていたのだ。
「ルシフェルさん……! それは……!」
「試させてもらう。……俺の刃が、この世界でどこまで通じるのかを」
片腕の天才剣士の背中に、未知なる魔法の芽吹きと、次なる死線の火蓋が切られようとしていた。
(第5話・第1編 完 / 第2編へ続く)




