第3話:滅びの森の遭遇(第5編/全5編)
【視点:全体視点(重なる足跡と三人の誓い)】
【1】
静寂が支配する滅びの森に、かすかな風の音が通り抜けていく。
壊れた商隊馬車の残骸、腐葉土の上に散らばる荷物、そして先ほどまで下級魔族たちが放っていた禍々しい魔気の残滓。
それらはすべて朝の木漏れ日の中に溶け込み、少しずつ元の静けさを取り戻しつつあった。
二匹のインプが白銀の一閃によって切り裂かれ、黒い灰となって消え去った痕跡。そこには、ただ冷たい風が吹き抜けるばかりだ。
「一人で行かせない……ですか」
ルシフェルは、木の幹に背を預けたまま低く呟いた。
前髪の隙間から見上げる視線の先には、ハーフエルフの少女——ノエルが立っている。
華奢な肩を緊張させ、ハーフエルフ特有の美しい長耳を微かに震わせながらも、その澄んだ瞳には決して引かない強い意志の光が宿っていた。
「ええ、そうです」
ノエルは一歩踏み出し、ルシフェルを真っ直ぐに見つめ返した。
「あなたの負った傷は、あまりにも深すぎます。
右腕の手首は骨まで砕け、頭部や内臓の打撃も完治には程遠い。
私の『ル・ヒール』で応急処置を施したとはいえ、そのお体のまま一人で『黒竜の山脈』を目指せば、山脈の険しい道を登り切る前に間違いなく倒れてしまいます」
「倒れても、這って進むだけだ。……俺には、立ち止まっている時間はない」
ルシフェルは左手に固く握られたボロ剣の鞘を握り直し、引き絞るように身体を起こそうとした。
身体の側腹へ深く縛り付けられた、動かない右腕。激痛が全身の神経を焼くように駆け巡るが、ルシフェルの表情には苦痛の色すら浮かばない。
脳裏に焼き付いているのは、深紅の髪の男——サルガタナスに連れ去られたリコリスの泣き顔だけだ。
「おいおい、意地を張るのも大概にしねえか、あんた」
溜息混じりの重厚な声とともに、シバリアがルシフェルの前に割り込んだ。
背中に背負った巨大な大剣。その武骨な柄に太い手をかけたまま、元盗賊の大剣士は呆れたように首を振る。
「ノエル様のおっしゃる通りだぜ。
あんたのその左手一本の剣技……正直、度肝を抜かれた。
下級魔族三匹を瞬殺するなんざ、ただの村人にできる芸当じゃねえ。……だがな、剣技がどれほど神がかっていようと、体力と血が尽きりゃ人間は死ぬんだよ」
シバリアは腰を落とし、ルシフェルの瞳を正面から覗き込んだ。
「俺たちは元々、この森を抜けて東の山脈の麓にある交易都市を目指していた。
道が同じなら、一緒に行った方がお互いのためだ。
ノエル様の治癒魔法があればあんたの命はつながるし、あんたほどの腕立つ剣士がいれば、ノエル様の護衛としても心強い」
【2】
シバリアの言葉に、ルシフェルは静かに瞳を細めた。
仲間。
共闘。
かつての自分であれば、旅の道連れができることに安堵し、素直に助けを求めていただろう。
だが、今のルシフェルの中に宿っているのは、新選組一番隊組長・沖田総司の凄惨なまでの死生観だ。
『死線において、他人を頼る者は真っ先に潰える』
雨の京都で病に冒され、片腕を斬られながらも一人で刃を突き出し続けた記憶が、安易な依存を冷酷に拒絶する。
「……俺に関われば、命を落とすぞ」
ルシフェルは冷ややかに言い放った。
「俺が追っているのは、魔王軍の幹部・サルガタナスだ。ただの魔物の群れではない。
一国の軍隊すら滅ぼすような化け物どもだ。俺と行けば、あんたたちも惨劇に巻き込まれる」
「そんなこと、百も承知です!」
ルシフェルの冷酷な忠告を、ノエルの強い声が遮った。
「私だって、安全な道を歩んできたわけではありません。
人間からもエルフからも忌み嫌われ、故郷の王国を追われ、追手に脅かされながらここまで生きてきました。……世界から拒絶される痛みを、私は知っています」
ノエルは胸元に手を当て、ハーフエルフとしての己の宿命を噛みしめるように目を伏せた。
そして、再びルシフェルを見つめる。
「大切な人を奪われ、腕を壊され、それでも立ち上がろうとするあなたを、見捨てることなんてできません。
それに……私には聞こえるのです。あなたの内に秘められた、悲痛な風の悲鳴が」
「ノエル様……」
シバリアが苦笑いを浮かべながら、背中の大剣を軽く叩いた。
「そういうことだ、ルシフェル。
ノエル様が一度言い出したら、俺が何を言っても聞かねえんだよ。
それに、元盗賊の俺にとっちゃ、魔王軍だのサルガタナスだのにビビって逃げ出す方が性にあわねえ。
あんたのその凄まじい『左手の一刀』、もう少し近くで見物させてもらうとするさ」
シバリアはルシフェルに向かって、ゴツゴツとした太い右手を差し出した。
ルシフェルは、差し出された手とノエルの真摯な眼光を静かに見つめた。
己の胸の奥底で脈動する「黒い執念」。
リコリスを取り戻すためなら悪魔にでもなるという覚悟。
その絶望の暗闇の中に、ノエルの放つ穏やかな治癒の光と、シバリアの武骨な信頼が、ほんの少しだけ差し込んでいくのを感じていた。
【3】
「……好きにしろ。だが、足手まといになったら置いていく」
ルシフェルはそう素っ気なく呟くと、シバリアの手を取ることなく、己の左手で木の幹を押し、自力で立ち上がった。
足元が微かにぐらつくが、左足の軸を意識し、体幹を倒さないように踏ん張る。
「ふっ、違いない。足手まといにならんよう、気をつけるとしよう」
シバリアは苦笑しながら手を引っ込め、大剣を担ぎ直した。
「ありがとうございます、ルシフェルさん!」
ノエルはパッと表情を明るくし、愛らしい笑みを浮かべた。
そして、路傍に散らばっていた馬車の荷物の中から、使えそうな水筒や予備の布切れを素早く拾い集めると、旅の支度を整える。
朝の光が、木々の隙間から燦々と降り注いでいた。
降り積もっていた夜の冷気と不快な魔気は去り、爽やかな森の風が三人の前髪を優しく揺らす。
「出発しましょう。東の『黒竜の山脈』へ……そして、あなたの大切な人を取り戻すために」
ノエルの言葉に、ルシフェルは静かに頷いた。
左手に握られたボロ剣の鞘。その深遠なる芯には、前世の天才剣士・沖田総司の記憶と、白銀の『天稟』の才が静かに脈動している。
潰された右腕の激痛は依然として消えない。だが、彼の隣にはいま、傷を癒やすハーフエルフの姫と、頼れる大剣士の姿があった。
「いくぞ」
ルシフェルは短く応えると、一度も後ろを振り返ることなく、東へと続く森の街道へ向かって一歩を踏み出した。
村を焼かれ、腕を砕かれ、最愛の少女を奪われた絶望の青年に、新たな足跡が刻まれていく。
歪んだ理が支配する世界『クレイジーワールド』の深遠へ向けて、三人の過酷な奪還の旅が、いま、確かな誓いとともに歩み始めたのだった。
【第3話:滅びの森の遭遇(全5編)完】




