第3話:滅びの森の遭遇(第4編/全5編)
【視点:混ざり合う視点(シバリア/ルシフェル/ノエル)】
【1】
(おいおい……冗談だろ……? たった一人で、あの一瞬のうちに三匹の下級魔族を全滅させただと……!?)
シバリアは握りしめた大剣の柄から伝わる己の汗を感じながら、眼前に立つ青年の背中を呆然と見つめていた。
大剣士として幾千の修羅場を潜り抜け、様々な手練れの剣士や暗殺者、無法者たちと刃を交えてきた自負がある。
だが、いま目の前で繰り広げられた殺陣は、シバリアの知る「剣術」の概念そのものを根底から覆すものだった。
右腕を胴体に固く縛り付け、立つことすらままならないはずの満身創痍の体。
にもかかわらず、急降下するインプの頭上からの強襲に対し、大剣を振り上げる己の速度を遥かに上回る足さばきで割り込み、目にも留まらぬ三連の刺突で即死させた。
さらに、挟撃を仕掛けた残りの二匹に対し、死角である右側をあえて take 餌とし、左足を軸にした最小限の半回転で攻撃をかわすと同時に、一閃のもとに二匹まとめて切断してみせたのだ。
(力任せの斬撃じゃねえ。魔導の力を纏わせた剣技でもねえ。身体の軸、体重の移動、刃筋の軌道……その全てが極限まで計算し尽くされた、殺すためだけの神業だ……!)
「あ……あの、大丈夫ですか……!?」
静寂を取り戻した森の中で、ノエルが弾かれたように声を上げ、泥の上に佇むルシフェルへと駆け寄った。 ハーフエルフとしての美しい長耳を微かに震わせ、心配そうに青年の顔を覗き込む。
ルシフェルは左手に握られたボロ剣を静かに鞘へと収めると、感情の伺えない冷ややかな瞳でノエルを見下ろした。
「傷は、もう痛まない。……助かった」
低い声。そこには、三匹の魔族を瞬殺した直後とは思えないほどの静けさがあった。 だが、その直後——
「つっ……ぁっ……!?」
ルシフェルの身体が、突如として激しく揺らいだ。 左膝が折れ、泥の上へと崩れ落ちそうになる。
「ルシフェルさん……っ!」
ノエルが咄嗟に手を伸ばし、彼の左腕を支えた。 ルシフェルの額からは、大粒の冷や汗が吹き出していた。
後頭部の裂傷とみぞおちの打撃痕、そして何より胴体に縛り付けられた潰れた右腕から、抑え込まれていた激痛が遅れて容擦なく神経を苛み始めたのだ。
限界を超えた肉体に、『天稟』の超絶的な集中力を強行軍で重ね合わせた代償。 肉体の限界は、すでにとうに過ぎ去っていた。
【2】
「おいおい、無理すんじゃねえ! ノエル様、その男を馬車の影の平らな場所へ!」
シバリアは大剣を背中の鞘へと納めると、慌ててルシフェルの反対側に回り込み、その巨体で青年の身体を支え上げた。 触れた青年の身体は驚くほどに細く、そして冷たかった。
(こんな華奢な身体で……手首を握り潰され、死に体のままここまで歩き、あの剣を振るったってのか……?)
シバリアの胸の中に、激しい驚愕とともに、拭い去れない疑問が湧き上がる。
近くの比較的荒らされていない木陰までルシフェルを運ぶと、ノエルはすぐさま聖印を掲げ、再び回復魔法の詠唱を始めた。
「風の精霊よ……痛みを和らげ、傷を癒やしたまえ……『ル・ヒール』」
緑色の優しい光が包み込むと、ルシフェルの荒い呼吸が少しずつ整っていく。 ルシフェルは木の幹に背を預け、固く縛り付けられた右腕を冷たく見つめた。
「……シバリア、と言ったな」
ルシフェルが静かに口を開いた。
「あんたのさっきの大剣の振り……上空からの強襲に対して、引きつけ過ぎだ。大剣の重量があるなら、軸足を一歩引き、刃の重みを使って斜め上へ払い上げるべきだった」
「……なっ!?」
シバリアは目を見開いた。 まさか、行き倒れの傷病者から、自分の戦闘に対する的確すぎるアドバイスを飛ばされるとは思ってもみなかったからだ。
しかも、その指摘はぐうの音も出ないほど完璧だった。大剣のリーチと重量を活かした払い上げ——まさにシバリアがコンマ数秒遅れた理由を完璧に見抜いていた。
「あんた……本当に何者なんだ? どこでそんな恐ろしい剣を学んだ?」
シバリアが重々しい声で問い詰める。 ノエルも回復魔法の手を止めず、不安と好奇心が混ざり合った瞳でルシフェルの横顔を見つめた。
ルシフェルは前髪の隙間から、森の木々の間を抜ける風を見つめた。 脳裏に浮かぶのは、降りしきる雨の京都。浅葱色の羽織を纏い、病に冒され、右腕を斬られながらも刀を構え続けた青年——沖田総司の背中。
「……夢で、学んだ」
「夢……? 戯言を言うな!」
「事実だ。……死の直前に至った剣士の記憶と、この腕の傷が……俺に剣を振らせている」
ルシフェルは左手を固く握りしめた。
その答えは、シバリアにとってみれば荒唐無稽な世迷い言に聞こえたかもしれない。
しかし、ルシフェルの瞳に宿る真摯で狂おしいほどの熱が、それが「本気」であることを雄弁に物語っていた。
【3】
「……サルガタナスを追っていると言ったな、ルシフェル」
ノエルが静かな声で問いかけた。
緑色の回復の光が徐々に薄れていく中、彼女のハーフエルフ特有の澄んだ瞳が、ルシフェルを直視する。
「ええ。奴らは……俺の目の前で、大切な存在……リコリスを奪っていった。俺の右腕を握り潰し、村を焼き……彼女を連れ去った」
ルシフェルの声に、静かな、しかし途絶えることのない「黒い執念」が滲む。
「相手が魔王軍の大魔族であとうと関係ない。俺はこの左手の一刀で……奴らの首を跳ね、リコリスを取り戻す。そのためなら、俺の命がどうなろうと構わない」
その言葉に込められた圧倒的な覚悟。 ノエルは胸を突かれたように息を呑んだ。
国を追われ、ハーフエルフとして世界から忌み嫌われ、失うことの痛みを誰よりも知っているノエルだからこそ、ルシフェルの胸を焼く「悲痛なまでの誓い」が痛いほど心に刺さったのだ。
「ノエル様……関わらん方がいい。この男の纏う気配は、危険すぎる。サルガタナスを追うなど、死にに行くようなものだ」
シバリアが低く警告する。元盗賊としての危機管理能力が、ルシフェルの歩む道の凄惨さを物語っていた。
だが、ルシフェルはゆっくりと立ち上がろうとした。 痛む脚に力を込め、木の幹を支えにして、左手でボロ剣の鞘を保持しながら。
「止める必要はない。俺は一人で東へ行く。『黒竜の山脈』を越え、魔界へ向かう」
「待ちなさい、ルシフェルさん!」
ノエルが立ち上がり、ルシフェルの前へと踏み出した。 その華奢な身体に宿る、決して引かない強い意志。
「そのお体で一人で行けば、山脈にたどり着く前に魔物の餌になるだけです。……私たちの目指す場所も、東の『黒竜の山脈』の麓にある街なのです」
「ノエル様!?」
シバリアが驚愕の声を上げる。 ノエルはルシフェルを真っ直ぐに見つめ、優しく、しかし確固たる声で言った。
「一緒に行きましょう。私があなたの傷を癒やします。……あなたの大切な人を取り戻す旅を、私に見捨てさせるような真似はさせないでください」
静まり返った森の中に、ノエルの宣言が静かに響き渡った。
片腕の剣士、ハーフエルフの姫、そして元盗賊の大剣士。 歪んだ運命に導かれた三人の交錯が、いま、確かな形をとって動き始めようとしていた。




