第3話:滅びの森の遭遇(第2編/全5編)
【視点:シバリア(大剣士)】
【1】
「……やれやれ、ノエル様の善人っぷりには毎度頭が下がるぜ」
俺は背中の大剣の柄を握り直しながら、呆れ混じりの溜息を吐き出した。
ノエル様が施した回復魔法『ル・ヒール』の緑色の光が静かに収まり、泥の中に横たわっていた青年の呼吸が落ち着いていく。
だが、俺の警戒はいささかも解けていなかった。元盗賊としての長年の勘が、この行き倒れの青年から漂う「異常さ」を過敏なまでに感知していたからだ。
(この街へと続く一本道で倒れていたってことは……あの燃え落ちた村から、一歩も休まず歩き続けて限界を迎えたのか?)
青年の脚を見れば一目瞭然だった。
靴底はすり減り、足首は限界を超えて腫れ上がり、指先からは泥と血が混ざり合った汁が滲み出ている。
村の惨劇から逃げ延び、そこから幾十里もの道のりを、ただひたすらに東を目指して歩き続けてきたのだろう。右腕を手首ごと潰され、頭から血を流した満身創痍の体で、だ。
正気の沙汰じゃねえ。
普通なら村を出た直後にショック死しているか、森の入口で魔物の餌になっているはずの傷だ。
「おい、あんた。意識はあるか?」
俺は腰を屈め、青年の顔を覗き込んだ。 青年の睫毛がピクリと震え、ゆっくりとまぶたが開かれる。
その瞬間、俺の背筋を冷たい悪寒が駆け抜けた。
(……なんだ、この眼は……!?)
目の前の青年——ルシフェルの前髪の隙間から覗いたその瞳。
そこにあったのは、命を救われた安堵や、怪我の苦痛に怯える弱者の色じゃなかった。
静まり返った池の水面のように冷たく、そして刃の先を直接突きつけられているかのような、狂おしいまでの「死生観」と「執念」の熱だ。
修羅場を幾度も潜り抜けてきた俺だからこそ分かる。
こいつはただの村人じゃない。いや、元は村人だったのかもしれんが、その内側にある「何か」が完全に変質している。
「……あ……なた……たちは……」
かすれて途切れがちな、青年の声。 ノエル様は「大丈夫ですよ」と優しく声をかけているが、俺は無意識のうちに右手に力を込め、青年の左手に握られた「古びた鉄の剣」へ視線を落とした。
【2】
「あんた、その腕……どうしてそんな傷を負いながら、そこまで歩けた?」
俺の問いかけに、青年——ルシフェルは、ゆっくりと自分の泥に塗れた左手を見つめた。
その手には、泥と黒錆に覆われた一振りのボロ剣が、固く握られたままだ。
「……追わなきゃ……いけないんだ……」
ルシフェルは歯を食いしばり、痛む体を叩き起こすように、泥の上へ左手を突いて上半身を起こそうとした。
右腕は布切れで胸に固く縛り付けられたままだ。痛みに顔を歪めながらも、その動作にはどこか無駄のない「滑らかさ」があった。
「追うだと? 誰を追うってんだ」
「……リコリスを……奪った奴らだ。サルガタナスと……魔族どもを……」
サルガタナス。 その名がルシフェルの口から漏れ出た瞬間、俺の隣でノエル様が息を呑んだ。
魔王軍の幹部であり、圧倒的な武力を誇る大魔族の名だ。
一国の騎士団すら瞬殺するような化け物を、片腕の潰れたただの青年が追っているというのか。
「正気かよ、あんた……! 相手はサルガタナスだぞ? 訓練も積んでいねえその体で追いついたところで、返り討ちにあって死ぬだけだ!」
俺が思わず強い口調で叫ぶと、ルシフェルは静かに俺の眼を直視した。
その瞳に宿る熱があまりにも深く、俺は一瞬言葉を詰まらせた。
「死ぬ……? 腕が動かないから諦めろと……そう言いたいのか」
ルシフェルの左手が、白銀の気配を帯びてボロ剣の柄を握り直す。
その構え——身体の右側を深く隠し、左半身を前に出して剣先を一直線に向けた異様な立ち姿。
(なっ……!? なんだ、その構えは……!?)
俺の目をごまかすことはできない。
長年、大剣を振り回し、あらゆる剣士や悪党と刃を交えてきた俺の経験が、激しい警鐘を鳴らした。
無駄な力みが一切ない。
右腕を失っているからこその、極限まで無駄を削ぎ落とした「片手剣術」の形。
ただの素人が取れる構えじゃない。
何千、何万という死線を潜り抜けた凄腕の剣士だけが到達できる、殺意の骨組みだ。
「……あんた、一体何者だ? ただの村人の面構えじゃねえぞ」
俺が大剣の柄を固く握りしめ、青年に問い詰めた、その時だった。
【3】
ガサガサガサッ!!
周囲の樹々が激しく揺れ、不快な風が森の広場を吹き抜けた。
「ヒヒヒッ! 見つけたぜ、壊れた馬車の生き残りだぁ!」 「人間の女と、大男と……ケケッ! 片腕の死に損ないまでいやがる!」
上空の枝々から、黒い翼を羽ばたかせる三匹の下級魔族——インプが姿を現した。
鋭い爪を擦り合わせ、赤く濁った眼球を怪しく蠢かせながら、俺たちを取り囲むように降下してくる。
「ノエル様、お下がりを! 下級とはいえ三匹……油断はできん!」
俺はノエル様を背中に庇い、一気に背中の大剣を引き抜いた。 鉄の重厚な音が森に響く。
「シバリア、私も戦います! 風の精霊よ……!」
ノエル様が胸元で聖印を掲げ、詠唱を始めようとした。
しかし、インプの一匹が目にも留まらぬ速度で滑空し、ノエル様の死角である頭上から襲いかかってきた。
「死ねやァァッ、ハーフエルフの小娘がぁッ!!」
「くっ、させるかッ!!」
俺は大剣を振り上げ、滑空してくるインプを叩き切ろうとした。
だが、大剣の重量ゆえに、上空からの急襲に対してはどうしても一瞬の遅れが生じる。
(くそっ、間に合わん——!?)
ノエル様に爪が届く、絶体絶命のコンマ一秒。
——ス……ッ。
俺の視界の端を、一つの影が擦り抜けた。
右腕を胴体に縛り付けた、あの片腕の青年——ルシフェルだ。
彼の背後に、雨に濡れた浅葱色の羽織を纏った「誰か」の薄蒼い影が重なったように見えたのは、俺の錯覚だったろうか。
ルシフェルの左手が、物理的な限界を超えて滑らかに引き絞られる。
泥に塗れていたはずのボロ剣の刀身が、一瞬、月光のごとき白銀の光を放った。
「……そこを動くな」
低い呟きとともに解き放たれたのは、俺の剣士としての常識を根底から覆す、凄惨な一閃だった。




