第90話 浄化されし暗龍
ペシエラたちが三年前の魔物氾濫で討伐した厄災の暗龍。人々を恐怖に陥れた漆黒のドラゴンは、実は幻獣と呼ばれる存在だった。驚きの事実である。
この話、チェリシアが聞いたらおそらくは狂喜乱舞していることだろう。この場にいなかったことを幸いだったと思うペシエラである。
さらに話を聞いていれば、このニーズヘッグという幻獣は、元々は瘴気を食らい浄化するための存在だったのだという。ところが、いつからか瘴気を消化しきれずに、反対に瘴気に冒された存在となってしまった。なんとも笑えない冗談である。
「なんと言いますか、おまぬけな話ですわね」
「いやはや面目ない」
ペシエラからすっぱりと一刀両断にされると、ニーズヘッグは頭をだらりと下げている。厄災の暗龍という恐怖の対象なはずなのだが、この仕草はなんとなく可愛く感じられた。
戦った当時は今いる浮島の何倍もの大きさがあったのだものだが、今の暗龍はペシエラの倍くらいの大きさしかない。かなり縮んだものゆえに、このように感じられたのだろう。
「そういえば、そこの小さいの。残りの二人はどうしたのだ」
「お姉様たちでしたら、客人をもてなしている最中ですわよ。私だけを呼んでいると言われたので、置いてきましたわ。あなたのご指名ではありませんでしたの?」
「いや、我は別に指名などしておらぬぞ?」
ニーズヘッグがロゼリアとチェリシアを探しているようだが、いるわけがない。ペシエラとアイリスの二人だけが指名でやってきたのだから。ところが、どうやらペシエラを指名したのはニーズヘッグではないらしい。
少し不思議に思うペシエラだったが、レイニのしゃべった内容を思い出してハッとしていた。
「そういえば、レイニは”あちらさん”としか言っていませんでしたわ。レイニ、はめましたわね?」
ペシエラが顔を向けると、レイニはいたずら成功と言わんばかりの笑顔を見せている。
そう、名前を言っていないのだ。自分からの指名を、あたかも他人の指名に思わせた言葉のあやである。
「やられましたわ……」
ペシエラはさすがに頭を抱えてしまう。
「まあまあ、ボクの指名には間違いないんだけど、理由はちゃんとあってのことだよ」
レイニがいうには、アイリスを呼ぶことは確定したので、あとは誰を連れてくるかということを考えていた。
ロゼリアはアイリスとは直接関係がない。チェリシアはニーズヘッグに会わせるといろいろ騒ぎそうなので、もっと冷静に対応してくれそうなペシエラを選んだというわけだ。ペシエラたちの状況は把握していたので、三人とも呼ぶということは、最初から考えていなかったらしい。
「意外と考えていましたのね。それで正解だと思いますわ」
ペシエラも納得である。
レイニとペシエラが話している間、ニーズヘッグはアイリスをじっと見つめている。ただ、アイリスにはずっと怖がられたままである。
さすがに怖がられ続けていることには傷ついているようだが、ニーズヘッグはそれ以上のことをアイリスに感じているようだ。
「やはり、この娘からは我と友誼を結んだベルの気配がするな」
「ベルとはどういう方ですの?」
ニーズヘッグの言葉にペシエラがすかさず反応する。
「ああ、名をベル・フラウアードといってな。過去に我と契約を初めて交わした人間なのだよ。無論、最後にもなったがな」
フラウアードという単語が出た瞬間、アイリスの体に変化が現れる。
がくがくと震え始めたかと思えば、そのまま膝から崩れ落ちてしまう。ペシエラが声をかけるも、まったく反応が見られない。
「どういうことですの。光魔法も効果がありませんわ」
状態異常を治す光魔法を施すもまったく変化が見られない。ペシエラは取り乱している。
「やはり、その娘はフラウアードの末裔か。おそらくはフラウアードという言葉が引き金となって、魔力に変化が出ているのであろうな」
「ということは、そのベル・フラウアードと呼ばれる人物が神獣使いであって、蒼鱗魚の仰られた通り、アイリスはその末裔ということですのね」
「そういうことだな。というか、あの魚くれと会ったのか。妙な魔力が混じっているなと思っていたが、それで納得がいったぞ」
「本当だね。あののんびりした年寄りたちと契約した跡があるよ」
レイニは自分自身をつかんでいるアイリスの右手の甲に、青色の魚の模様を見つけたようだ。
蒼鱗魚の時の神獣使いという単語に続き、ベル・フラウアードという人物の名前まで出てきた。これらのことから、アイリスを助けようとした自分の判断が間違っていなかったと確信を深めたようだ。ペシエラは今、埋もれてしまった歴史に触れているのである。
その一方で、ペシエラにはもうひとつ気になることがあった。
「それにしても、厄災の暗龍がこのような穏やかな性格だとは思いませんでしたわね」
「ああ、三年前のお前の魔法が、我の中の瘴気を浄化しきってしまったのだろうな。まったく、とんでもない娘だ」
「……そういえば、そうでしたわね」
どうやら、三年前の不完全な顕現をしていた厄災の暗龍にとどめを刺したペシエラの魔法が、ニーズヘッグの正気を呼び起こすことになったのだという。聞かされたペシエラはなんとも半信半疑だった。
そのペシエラに構うことなく、ニーズヘッグはさらに言葉を続ける。
「あの時の詫びと礼を兼ねて、我もその娘、アイリスと契約をしようぞ。ベルの子孫であるのならば、なおさら契約せねばならぬ」
そう言い放ったニーズヘッグは、はるか昔を懐かしむように笑うのだった。




