第74話 アクアマリンの兄妹
サンフレア学園の夏合宿が行われているサファイア湖に魔物の群れが現れたという報せは、アクアマリン子爵の元にもすぐに伝えられる。
かなり緊迫した様子で報告が行われたため、マーリンはすぐに兵を編成して出撃しようとする。ところが、それをシアンが止める。
「なぜ止める、シアン」
「大丈夫でございます。お嬢様たちがいらっしゃるのですから」
「我が領内でのことだぞ。無責任なことができるか!」
マーリンが騒いでいると、すぐに別の兵士が部屋へと駆けこんでくる。
後から来た兵士によれば、魔物はすべて討伐され、サファイア湖は静かな様相を取り戻したということである。
無事に鎮静化したと聞いて、マーリンは安心した様子で椅子に腰かけていた。
「そうか、無事に討伐されたか。それはよかった」
「だからいったではありませんか。お嬢様たちの手にかかれば、この程度、問題なのでございますよ」
「まったく。お前はマゼンダ侯爵家に出向してからというもの、ずいぶんと変わったな」
あまりにも落ち着いているシアンを見て、マーリンは渋い顔をしている。マーリンの皮肉るような言葉には、シアンは一切反応しなかった。
「とりあえず、部下たちに命じてサファイア湖周辺の調査を行うか。これ以上、我がアクアマリンの名に泥を塗られるわけにはいかんのでな」
「ええ、そうして下さいませ」
シアンも同意したこともあり、マーリンは部下にすぐさま指示を出す。部下たちは指示に従って、すぐさまサファイア湖とその周辺の調査へと乗り出していった。
「報告にあったが、なにやら召喚魔法を使ったらしいな。王都に暮らすセルリナにも相談をせねばならんか」
「はっ! すぐに使いを出します」
マーリンが視線を向ければ、兵士はすぐに王都へと向かう準備を始めた。
セルリナというのは、マーリンとシアンの姉にあたる、アクアマリン前子爵の長女。魔法に関して研究を行っており、シアンの紹介を通じて、マゼンダ商会ともちょっとかかわりがある人物である。
今回の襲撃では、召喚魔法と宝珠という特殊なものが使われているので、セルリナの興味をそそるには十分と思われるわけなのだ。
使いも出ていき、部屋にはマーリンとシアンの二人だけになる。
しばらく黙っていたマーリンは、大きなため息をつく。
「あら、お兄様。ため息をつかれるとは、何か心配事でもおありですか?」
「ああ、心配事というか、厄介ごとだな」
「確かにそうですわよね」
シアンが突っかかってきたので、マーリンは素直に言葉を返している。その言葉を聞いて、シアンはよく分かるとこくりと頷いている。
それというのも、アクアマリン子爵領は、常日頃から魔物の動向を監視しており、魔物を近付けないようにと領地内に魔物の活動を抑えるための魔法陣を展開している。
なにせ、王国内では貴重な砂糖を生産しているというのが大きい。安定した生産を行うためには、魔物による被害を抑えるというの必須なのだ。
しかし、どこの誰がその様なことを仕掛けたのかは、現段階では分からない。それゆえに、マーリンは不安を抱えているというわけなのだ。
「それにしても、お前はさっきからやたらと落ち着いているな。自分の故郷に魔物の大群が現れたのだから、もっと取り乱すのかと思ったのだがな」
「いえ、あそこにはお嬢様たちがいらっしゃるのです。大した被害にはならないと、信じておりましたから」
「いや、いくら自分の仕えるご令嬢がいるとはいっても、さすがに無理というものがあるだろう」
あまりにも自信たっぷりに答えるシアンの姿に、マーリンは強い違和感を覚えた。
普通ならば不安を感じ、強く取り乱すはずである。昔から芯の強い女性であることは分かっていたのだが、いささか、いやかなり不自然な態度だ。
それはまるで、結果が分かっていたかのような感じにすら思える。
「お前、まさか……」
マーリンは思わず声を出してしまう。
そう、ここでマーリンはシアンの魔力が失われていたことを思い出したのだ。
自然な状態でも唐突に魔力を失うことはある。だが、目の前のシアンの様子からすれば、それは考えられない。マーリンは、ありえない結論に思い当たる。その結論は、ありえる話ではあるものの、とても信じがたいもの。マーリンの額に冷や汗が浮かぶ。
マーリンが青ざめる様子を見せても、シアンはまったく表情を変えないし、取り乱すこともない。
「マゼンダ侯爵家に仕えることになってからというもの、私の気持ちは一度たりとも変わっておりません。私が願うのは、ロゼリアお嬢様の幸せ、ただそれだけでございます」
シアンは淡々と言い切っていた。
目の前の妹の態度に、マーリンはおののいた。自分が思い至った結論から考えると、この先に待ち構えているものは悲劇しかない。到底受け入れられるものではなかった。
「シアン」
「なんでしょうか、お兄様」
「……後悔は、ないのだな?」
「あるはずもありませんわ」
マーリンは、シアンに覚悟を問う。だが、シアンからはまったく迷いのない答えが返ってきた。その瞬間、マーリンはシアンの覚悟を知った。
「……そうか。それなら、私から言うことは、もう何もないということだな」
「ええ。お話が終わったのでしたら、私は失礼します」
マーリンの言葉を聞いて、シアンは部屋を出ていこうとする。
あまりにも落ち着き払っている妹の姿に、マーリンはかける言葉が思いつかなかった。
最後にお辞儀をして部屋を出ていくシアン。その姿をマーリンは黙って見送ったのだった。




