第68話 アクアマリン子爵
合宿の行われるサファイア湖に到着したところで、シアンは仕えるべき主人であるロゼリアと別れ、約二十年ぶりに生家であるアクアマリン子爵邸へと戻ってきた。
アクアマリン子爵邸は、サファイア湖の別荘から馬車で一時間ほどというかなり近い場所にある。その外観は全体的に青色を基調としており、その外観は、シアンが家を出た頃とまったく変わりがないようだった。
(まったく、変わっていませんね)
シアンはその懐かしさに、少しばかり瞳が潤んだようである。
シアンは別荘から同行してきた使用人に連れられて、懐かしのアクアマリン子爵邸の中を歩いている。そして、とある部屋の間で立ち止まる。
「子爵様、ただいま戻りました」
扉をノックして、使用人は子爵へと挨拶をしている。
「ご苦労、入れ」
「はっ、失礼致します」
入室許可が出たので、使用人は扉を開いて執務室へと足を踏み入れる。その姿を見ていた子爵だったが、その後から入ってきた人物をいて、思わず固まってしまった。
「お久しぶりでございます、お兄様」
「その顔、その声……。お前、シアンか」
「その通りでございます。お嬢様が合宿参加なされましたので、ご同行させていただき、このように帰省ができたのでございます」
シアンは淑女の仕草をしながら、子爵に対して報告をしている。
実に二十年ぶりとなる兄妹の再会である。
二人の姿は老けはしたものの当時の面影がよく残っており、一発で認識できるほどだった。
先代のアクアマリン子爵には六人子どもがいる。男子二名、女子四名であり、現在の子爵は次男、シアンは四女である。シアンはマーリンのことを兄と呼ぶので、先代アクアマリン子爵の末の子どもということになる。
普通であれば、長子である長男が家督を継ぐものだが、アクアマリン子爵には特殊な事情があった。
アクアマリン子爵家の家督は、子どものうち最も魔力が多いものに継がせるという決まりがあるのだ。つまり、現アクアマリン子爵であるマーリン・アクアマリンは、それほどに魔力が多いということになる。
ところが、実はマーリンの魔力は、子どもたちの中では二番目だった。
では、一番多いのは誰か。
その答えは、この場の険悪な雰囲気を見れば一目瞭然である。
そう、最も魔力が多かったのは、末っ子であるシアン・アクアマリンだった。
本来であれば、決まりに従ってシアンが家督を継ぐはずだった。ところが、シアンは学園を卒業するや否や、当時から親交のあったレドリスの使用人として、マゼンダ侯爵家に出向いてしまったのだ。
つまり、家族に了承もなく勝手に家を出て行き、家督相続を放棄したわけである。そのため、次に魔力の多かったマーリンが家督を引き継ぎ、現在に至っている。その時の経緯から、シアンとマーリンとの間は険悪になっているのだ。
とはいえ、もう二十年も経ってしまったのだ。昔のわだかまりなどさっさと水に流してしまいたいものである。
しかしながら、同時に隔たりを作ってしまったがゆえに、二人は言葉を発することなくただただ黙っているという状況が続いているのだ。
しばらく続いていた沈黙も、突如として破られる。
「今回は、お仕えするロゼリアお嬢様のご厚意で戻ってきました。お嬢様が戻られることになる合宿の終わりまでご厄介になります。部屋は使用人部屋でも構いません。もし、何も仰られないようでしたら好きにさせていただきますけれど、それでよろしいでしょうか」
長旅の終わった後ということもあって、シアンはさっさと話を終わらせたいようだ。なので、昔のようにちょっとわがままを言ってみせている。
まるで事務的な挨拶をするかのようなシアンの態度に、マーリンはため息をついている。
「お前もこの家の人間だ。好きにしたらいいだろう」
「承知致しました。では、昔の部屋を使わせていただきますね」
話を終わらせて部屋を出ようとするシアンだったが、その瞬間、マーリンが大声で呼び止める。
「待て!」
「どうかなさいましたか、お兄様」
呼び止められたシアンは、驚くこともなく淡々とした反応で振り返っている。
「お前、魔力は一体どうしたのだ。私をはるかにしのぐほどの魔力が、なぜ消えている……」
信じられない出来事に、マーリンは顔を青ざめさせる。
幼い頃、自分の目の前で見せつけられたとんでもない魔法。マーリンの脳裏にはその光景が蘇る。それゆえに、今感じ取った現実に体の震えが止まらない。
「お兄様、何を仰っていらっしゃるのかしら。私の魔力はとっくに尽きております。ですから、家督をお兄様にお譲りしましたのに」
「とぼけるな!」
白々しく言うシアンに、マーリンは怒鳴り声を上げてしまう。同室に滞在する使用人たちが震え上がってしまうくらいだ。
ところが、マーリンの怒声を聞いても、シアンはまったく動じていない。
「私、長旅で疲れておりますゆえ、本日はもう休ませていただきます。ああ、そうです。食事は要りませんので、誰も今日は部屋に近付かせないで下さいませ。それでは」
冷たくあしらうように告げると、シアンはマーリンの執務室から退室する。
マーリンはその様子を、目を見開いて歯を食いしばりながら、体をわなわなと震わせて見つめることしかできなかった。




