第109話 くすぶる不穏
王都内にあるとある屋敷の中で、一人の男性がわめいている。
「くそっ、なんだ。あのばかでかい狼は!」
室内で腰を掛けている男性は、強く目の前の机を叩いている。
「こっそりと仕掛けておいた召喚陣を、いともたやすく壊してくれおって……。この日のための努力をすべてふいにされたではないか」
声を荒げているのは、紫色の髪の毛をオールバックにした男性だった。そう、この男こそがアイリスの父親であるパープリア男爵である。
当時の状況からすると、どうやらパープリア男爵は、シルヴァノとペイルの命を狙っていたように思われる。
「前の時もそうだ。アイリスのやつは役立たずの上に死におって……。ヴィオレスはこの俺に楯突きおって。俺の息子とは思えんな! まったく、我が子ながらなんてクズなのだ!」
アクアマリン子爵領でのこともやはり男爵の仕業だったようだ。
だが、自分の子どものことをクズ呼ばわりするとは、相当にろくでもない男のようである。
「まったく、腹の立つ小娘どもよな! マゼンダとコーラルのところの小娘どもはっ!」
再びパープリア男爵は机を叩いている。
実は、最近の作戦の失敗の理由に、ロゼリア、チェリシア、ペシエラの三人がいることは、密偵からの報告で把握している。パープリア男爵も目障りだと考えている。
ところが、この三人はなにかとガードが固く、排除することが叶わないでいる。
周囲からの切り崩しを図っても、なんだかんだでうまくいかない。パープリア男爵は苛立ちを募らせているというわけだ。
このパープリア男爵家は、先祖にあたる人物が武勲を上げたことにより誕生した家門だ。王国内ではそこそこ古い部類に入り、歴代の当主はなにかと血気盛んで野心の高い人物たちである。
そもそもは傭兵の出身で、たまたま参加した戦役で当時の王国を救ってしまったのが、男爵位を得た経緯である。
傭兵崩れのということもあり、外聞は整えているものの、その心の内には強い野心を秘めているというわけだ。
それにしても、現当主のこの様子は、なかなかに強すぎる野心というものだ。なんといっても王子殺害という目的なのだから。
「神獣使いという存在をたまたま知って、あの手この手で引き込んだというのに、どいつもこいつも従おうとしない。邪魔をしないとはいえど、協力もしない。あのアーティファクトも、どうにかこうにか手に入れたというのな……。使い手がダメだとまったく役に立たんな!」
パープリア男爵はいらつきが募り、机を叩いたかと思えば立ち上がってうろうろとし始める。
「自分たちがやったという証拠は残してはいない。疑われる可能性はない。だが、なぜこうも落ち着かない。くそっ! 次の作戦を考えねば……」
パープリア男爵は乱暴に椅子に座り込むと、深く腰掛け、両腕と足を組み、歯ぎしりをしながら考え込み始めた。
その時、不意に部屋の扉が叩かれる。
「誰だ」
不機嫌極まりない男爵は、ドスの利いた声で反応する。
「旦那様、わたくしめでございます」
「インディか、入れ」
「失礼致します」
扉が開くと、初老で執事姿の男が入ってきた。
インディと呼ばれた男は、濃い紫色の髪をセンターで分け、首の後ろで束ねている。なかなかきれいな瞳をしているものの、目じりは大きくつり上がり、ぱっと見は怖い印象を与えてくる。
このインディの家系も、男爵と同じ傭兵崩れ。先祖がコンビを組んでいた関係で、今もこうやって付き従っている。
「旦那様、お耳に入れておきたいことがございます」
「なんだ、言ってみろ」
断りを入れたインディに、間髪入れずに発言の許可を出している。
許可をもらったインディは、男爵の真正面まで移動する。
「わたくしめの情報網によりますと、どうやらアイリスお嬢様は生きているようなのです」
「なんだと?!」
パープリア男爵は勢いよく立ち上がり、インディを睨みつけている。
「血まみれの破れたドレスを見せられたではないか。魔物が相手ならば、食われていてもおかしくない。なにせけしかけたのはあのケルピーなのだからな」
男爵はしっかりと王国の報告に騙されているようである。ケルピーという魔物の恐ろしさを知っているがための反応なのだろう。
それに対し、インディはさらに報告を続ける。
「学園に通う生徒の中に、ピンク髪で眼鏡をかけた学生がおりまして、その学生がアイリスと呼ばれております」
「同名の他人では?」
男爵は人違いと切り捨てようとしている。ところが、インディは首を横に振った。
「確かにそう思われるでしょうが、背丈は同じ、顔立ちもほぼ一致します。なによりもあのコーラル家の令嬢どもの侍女をしていることが気にかかるのです」
インディのこの報告を聞いた瞬間、男爵の眉がぴくりと動く。コーラル家の令嬢の侍女ということがかなり引っかかったようだ。
「確かに怪しいな。裏取りをして報告をしろ」
「はっ、畏まりました」
男爵からの指示を受け、インディは静かに部屋を出ていく。
パープリア男爵は再び椅子に腰掛けると、机の上に足を放り上げている。
「ふっ、まさかこの俺たちを欺いたというのか? もしそうだとするならば、……次の標的は決まりだ」
パープリア男爵の口が、不気味に弧を描く。
男爵の部屋の中には、静かで狂気を含んだ笑い声がこだまするのであった。




