第73話 世界一扱いづらい救世主
――王室広報局発表の翌日。
ロンドンの朝刊が一斉にその名を掲げた。
大見出しは、まるで神話の再来を告げるように踊っていた。
《Lady of the Dragonlight――竜の光の貴婦人、誕生》
本文は簡潔だが、その内容は世界に衝撃を与えるには十分すぎた。
“Lady of the Dragonlight”――英国王室の後援を受け、ハワード家名誉顧問として桐嶋莉理香氏が登録された。彼女の活動は引き続き日本政府の管轄下にあり、医療・救護活動を中心に国際的な貢献を行う。
なお、王室は本件を「友情の証」と位置づけ、政治的意図は一切存在しないとしている。
この短い声明文は、世界中に火をつけた。
SNSでは#DragonlightLadyが世界トレンド1位を独走。
わずか二十四時間で、各国の政治記者・外交官・一般人が入り乱れた議論を繰り広げていた。
《“竜神”を王室が抱えた? 英国が世界のラスボスってこと?》
《日本の神様なんだよね?なんでイギリスが後見してんの》
《英国式に言うと「この人に軽口を叩いたら不敬罪」ってこと?》
《これもう天然記念物では?保護法できそう》
誰もが半ば冗談、半ば本気で語り合う。
だが、その底には確かな畏敬があった。
“世界のどこにでも現れる存在”が、今や“王室に庇護される貴婦人”となったのだ。
国際報道番組『ワールド・タイムズ24』では、キャスターが苦笑混じりに言う。
「これで彼女は、公式に王室後援の“名誉貴婦人”という立場です。
つまり、どの国も安易には依頼できなくなった――外交上の“聖域”を得たわけですね」
隣の司会者が驚いたように目を丸くする。
「……え、つまりもう“災害派遣お願いメール”とか出すとまずい?」
「ええ、下手をすると“王室への越権行為”です。
彼女自身は笑って受けるかもしれませんが……国同士だと話が違います」
スタジオの笑いが、微妙な緊張に変わる。
一方、日本国内も早朝から大騒ぎだった。
情報番組やワイドショーが一斉に特集を組み、
MCたちは半ば興奮、半ば困惑した様子でニュースを読み上げていた。
「つまり“Lady of the Dragonlight”とは……“王室公認の竜神”ってことですよね?」
「すごい肩書きになっちゃいましたね……!」
「でもこれ、政治的には大丈夫なんでしょうか?」
画面には、霞が関前で中継する記者の姿。
外務省庁舎を背景に、冷たい風にマイクを押さえながら報告が続く。
「外務省筋によりますと、今回の件は日本政府も事前に英国と調整済みとのこと。
桐嶋氏の身分は日本籍のままで、その活動もあくまで日本政府認可の『救護課所属』として扱われます。
ただし“王室後援”によって国際的な安全保障上の特権が付与された形です。
――つまり、彼女は日英両国の“人道外交シンボル”という立場になったわけです」
アナウンサーが頷きながら、すぐに言葉を継ぐ。
「なるほど。“お互いに利用されないために、二国で共有した”わけですね」
「その通りです。日本としては“竜光の貴婦人は日本の公務員である”という一点を保持し、英国としては、“王室の客人”として保護する。
利害がきれいに噛み合った、極めて稀な外交例だと言えます」
スタジオがどよめく。
皮肉と称賛と祈りとが、ひとつの波となって世界を駆け抜けていく。
――その裏側。
同じ時間、日本・霞が関。
外務省の重い扉の向こうでは、静かな会議が続いていた。
長机の中央には分厚い報告書と、英国王室の声明文。
その横で、高村課長と外務審議官がコーヒーを片手に、淡々と書類を確認していた。
「……英国の発表は想定どおりですね」
審議官が資料をめくりながら言う。
ページの端には、“友情の証”という文言がしっかりと印字されていた。
「“政治的意図はない”という表現も、我々が提案した文面のまま。
――ずいぶん丸く収まりましたね」
高村は苦笑し、指先でマグカップを軽く回した。
「彼女本人は?」
「昨夜、“なんか名前が増えた”って呟いていたそうです。
本気で意味を理解しているわけじゃなさそうですね」
二人の間に小さな笑いが生まれる。
だが、その笑いの裏には安堵もあった。
「まあ、それでいいでしょう。
これで“竜神の派遣要請”は、原則として日本か英国経由。
どこの国も勝手に彼女へ直接コンタクトを取ることは難しくなった」
「……まるで国際共同管理体制ですね」
「その通りです。もっとも、今や彼女は誰にも縛られないし、命令も受けません。
最終的には“形だけの枠”でしかありませんが――」
審議官がにやりと笑う。
「――結果的に、一番おいしい立場なのは、うち、ってことですね」
「そういうことです。彼女が安心して働ける環境を作るのが、我々の仕事ですから」
高村は背もたれに身を預け、肩の力を抜いた。
窓の外では、街の灯りが一つ、また一つと点り始めている。
「……それにしても、名誉称号を盾にするなんて、実にイギリスらしい」
「古い貴族制度の再利用、というやつでしょうか。
けど、今回はその古さがありがたいですね。
“王室後援”という言葉ひとつで、各国の態度が一瞬で変わりました」
「充分ですよ。これで桐嶋がどんな奇跡を起こしても、“国家の命令”じゃなく――」
高村は口角を上げ、静かに続けた。
「“貴婦人の決断”で済む。それだけで世界は穏やかに回るんです」
審議官が頷く。
「ええ。防波堤が、“品格”と“名誉”っていうのも、皮肉な話ですが」
二人の視線がモニターに向く。
画面の隅には、SNSのトレンド欄が表示されていた。
#LadyOfTheDragonlight の横には、冗談めかしたタグが並んでいる。
《#世界一扱いづらい救世主》
《#便利屋引退おめでとう(「・ω・)「ガオー》
《#竜神様、次の出動先はティータイム》
高村は笑いをこらえながら、
そして、書類を閉じて可愛い部下に向けてぽつりと呟く。
「……結局、世界が彼女を“守る理由”をようやく見つけただけだ。
――もう、こういうのでいいんだよ」
秋の風が、霞が関の高層ビルの間を抜けていく。
その風は、どこか遠く、ロンドンの空にも通じているように思えた。
***
同時刻、ハワード邸。
シャーロットはソファに腰かけ、スマホの画面を覗き込みながら、
紅茶を優雅にひと口すする。
「兄上、見ました? “#世界一扱いづらい救世主”。
なんて素敵なタグでしょう」
アレクシスは書類を片付けながら、微笑を浮かべる。
「……それは最高の称号だよ」
「ふふ、そうですわね。
誰の思惑にも染まらない、最も“自由な存在”。
それが、竜光の貴婦人――お姉様」
アレクシスはカップを持ち上げ、柔らかく息をついた。
その目には、誇らしさと、ほんの少しの寂しさが同居している。
「彼女が“扱いやすい存在”じゃなくなって、本当によかった。
あの人は――誰のものでもない方がいい」
シャーロットは静かに頷く。
その瞳には、柔らかな光と、確かな信念があった。
「ええ。この先、私たちの仕事はきっと増えます。
でもそれでいいんです。
“竜光の貴婦人”を守るなんて、世界一名誉なことですから」
「これで少しは、彼女に静かな時間が与えられるといいのだけど」
アレクシスは窓の外の雲を見上げた。
そこには、どこまでも自由に吹く風――
あの“風の人”の笑顔が、確かに重なっていた。
***
そしてその頃、
地球の裏側では、竜光の貴婦人――桐嶋莉理香が、
災害現場の医療用テントの外で星空を見上げていた。
「……また変な呼び方が増えてる気がする」
夜風に揺れる髪を押さえながら、彼女は苦笑する。
その目は、どこまでも穏やかで、どこまでも人間的だった。
――“竜神”と呼ばれようと、“貴婦人”と讃えられようと。
彼女にとって、守るべきものはいつも同じ。
倒れた誰かの傍らにしゃがみこみ、そっと手を差し伸べる。
世界がどう名づけようとも、その優しさだけは変わらない。
――それが、竜光の貴婦人。
桐嶋莉理香が“人間”であるという、何よりの証だった。




