第55話 竜神妃争奪戦
「これは重要な事実です」
ヨーロッパの王室専門解説者が、真顔でテレビ番組に出演していた。
「交際歴がないということは、いかなる派閥にも属していないという証。つまり、どの国の王家とも中立であり、なおかつ“純潔”が保たれているということです」
スタジオが神妙に頷く。司会者が目を丸くして尋ねた。
「……では、むしろ縁談においては好条件と?」
「ええ。歴史的に見ても、信仰的観点、政治的観点からも、桐嶋氏は理想的です」
その発言が切り抜き動画となり、瞬く間に拡散する。
《#純白竜神》
《#リリカ妃候補》
中東の衛星放送局でも同様だった。
荘厳な宮殿を背景に、王族筋のコメンテーターがこう語る。
「無垢なる聖女こそ王家の守護者にふさわしい。桐嶋リリカ殿が一人身であると判明したことは、むしろ朗報です。わが国の王子殿下の妃として迎えるに何の瑕疵もありません」
その言葉にスタジオの観客が拍手喝采。
テロップには《王室縁談の可能性高まる》の文字が躍った。
さらに追い打ちをかけるように、アジア某国の元王侯貴族がゴシップ誌のインタビューでこう語った。
「これでこそ国際的シンボルになれる。過去の交際歴がないからこそ、万人に受け入れられる“竜神妃”としてふさわしいのだ」
雑誌は華やかな見出しをつけた。
《桐嶋莉理香、奇跡の交際記録!》
《世界が求婚する竜神様》
――救護課の休憩室。
テレビで次々と流れる報道を見て、莉理香は椅子に沈み込んだ。
「……ちょっと待ってください。私が彼氏いなかっただけで、なんで“理想の妃”とか言われちゃってるんですかぁぁぁぁ……」
耳まで真っ赤にして嘆く彼女に、三浦と山崎が追撃を浴びせる。
「いやぁ、リリカさん。国際婚活市場でプレミア付きましたね」
「希少種らしいですよ。VIP需要が爆上がり」
「やめてくださいってばぁぁ!!」
机に突っ伏す莉理香。涙目で必死に抗議するが、同僚たちは楽しそうに笑い合うばかりだった。
そのとき。胸奥から、低く重い声が響く。
『竜神に伴侶がいなかったとなれば、それは至高の嫁入り条件よ。古代より竜神の婚姻は、国運と直結するもの。伴侶を得ぬまま神格化されれば、誰もがこぞって求めるのは必然だ』
「説得力出さないでくださいってばぁぁぁ!!」
莉理香は頭を抱え、床を転げ回る。
同僚たちから見れば、ニュースを見て悶絶しているだけにしか見えないのだが、本人にとっては竜と人間のダブルパンチである。
『我が時代も、伴侶を持たぬ竜神は戦争の火種となった。お前も、いっそ誰かを選んでしまえば争いは収まるやもしれぬ』
「だから課長にまで“国内で相手を見つけろ”って言われたのに! みんな面白がって同じようなこと言うのやめてぇぇぇ!!」
救護課に響く悲鳴。
その様子を見て、山崎が肩を揺らして笑った。
「いやぁ、リリカさん。ほんとに世界中の人が“求婚”してきそうですよ」
三浦もスマホを掲げる。画面にはトレンド入りしたタグがずらりと並んでいた。
《#竜神妃争奪戦》
《#婚姻安保条約》
《#純白竜神様に捧げます》
「……もうお腹いっぱいですぅぅぅ……」
莉理香は机に突っ伏し、情けない声で呻くしかなかった。
だが世間は止まらない。
世界中のVIP層が「竜神リリカを迎えることこそ未来の安定」と真顔で語り、国際社会はますます大騒ぎになっていく。
――青春時代の悲しき“空白”が、なぜここまで外交カードになってしまったのか。
当の本人だけが、その理不尽さにのたうち回っていた。
***
その日の夕刻、救護課の庁舎の一室はいつになく騒がしかった。国内外からの「竜神婚活」報道が未だに続き、休憩室では同僚たちがスマホを見ながら笑いをこらえている。そんな中、莉理香の私物のスマホが震え、画面には見慣れた番号と「実家—母」の表示が踊っていた。
小さく息を吐いてから出ると、画面越しに母の顔が現れる。年の割に張りのある声が聞こえる。
「……莉理香、テレビ見たよ。ちょっと聞くけど、本当に学生時代、誰とも付き合ってなかったの?」
その言葉は、救護課の空気を一瞬凍らせた。同僚たちが気配を消すのを、彼女は背後で感じると胸の奥がきゅっとなる。
「う、うん……そうなんだけど、なんでお母さんまでそれを……!」
母はくすりと笑い、画面の向こうで肩をすくめる。
「お母さん、最初は笑っちゃったんだけどね。ふと心配になっちゃったのよ。てっきり隠れて誰かとお付き合いしてるとばかり思っていたのに」
莉理香は思わず笑ってしまうが、それもすぐに嗚咽に変わった。
「お母さん、そんなにそこを深刻に考えないで! 今それどころじゃなくて、国際的に大変な話になってるんだってば!」
母は目を細め、しかし優しい口調を崩さない。
「それならそれでいいけどね。あんたが幸せなら、私も嬉しい。ただ、国内で落ち着くなら安心だなあって。いろいろ危ない話もあるでしょう?」
莉理香がどう返していいかわからず黙ると、すると画面に妹がぬっと現れた。電話は三者通話になっていたのだ。
「お姉ちゃん、さっきニュースで“竜神妃候補”って呼ばれてて笑ったよ。いやほんとにすごいね!」
莉理香は胸の中がぎゅっと締め付けられるのを感じた。外側は大騒ぎで“妃候補”だなんだと祭り上げられているが、家族は違った。妹は日常を大切にし、母はただ娘の幸せを案じている。テレビの喧噪とは別の世界がそこにある。
莉理香は声を震わせながらも、少しだけ笑った。
「ありがとう。ごめんね、心配掛けて」
母はすぐに、「馬鹿ね、そんなこと気にしないで。あんたが元気なら、それでいいの。余計なことは妹に任せなさい」と軽く言って笑わせた。妹が「はいはい、任せて」とからかう。
電話を切ったあと、静かな廊下の片隅で莉理香はしばらく佇んだ。外では世界が勝手に騒いでいる。偽りの元カレが謝罪し、SNSは天罰だの祝祭だのと騒ぎ続けるだろう。だが、家族の存在はそこにあって、莉理香をいつも現実へ引き戻してくれる。
***
――ジュネーブ国際連合本部の大会議場
各国代表が集まり、今や「人類共通の資源」と化した竜神リリカの扱いについて、真剣な議論が交わされていた。
「彼女の力はもはや個人の物ではない。我が国としては国際管理機構を設立すべきと考えるが――」
「いや、彼女は一市民でもある。権利と自由を保障せねば――」
通訳の声が飛び交い、重々しい空気が会場を覆う。誰もが息を詰めるように発言を聞いていた。――その時だった。
「……失礼。少しだけ発言を許していただきたい」
澄んだバリトンが響き、会場の視線が一斉にそちらへ向いた。
立ち上がったのは、漆黒のスーツに身を包んだ長身の青年。ブロンドの髪にグレーの瞳、品のある物腰。
胸元のネームプレートには、こう記されていた。
「Lord Alexis Howard」
――イギリス貴族。
名門ハワード家の直系であり、文化財保護財団の理事を務める人物だった。
イギリス代表団の席に座っていた外交官たちが、顔を真っ青にして立ち上がった。
「ちょ、ハワード卿!? ここで何を――」
慌てて釈明しようとするが、すでに会場の視線はアレクシスに釘付けになっていた。青年はまっすぐにマイクに向かい、静かに言葉を紡いだ。
「……私は、桐嶋リリカ嬢に深い敬意を抱いております」
その一言で、場の空気が一変した。
通訳が声を震わせながら繰り返す。
『私は、桐嶋リリカ嬢に深い敬意を抱いております』
世界中の代表団が一斉にざわつく。会場の記者席がざわめきに沸き、カメラのシャッター音が雨のように鳴り響いた。
だがアレクシス卿は動じない。毅然とした態度で続けた。
「私が求めているのは国の利益ではありません。竜神としての力でもありません。……彼女という、一人の女性の生き方と在り方に心を打たれたのです。もし許されるのであれば――一度で構いません、直接お話をさせていただきたい」
誠実さに満ちた言葉。
その姿は政治的思惑とは無縁で、ただの一人の青年の真心を映し出していた。
会場は大混乱に陥った。
各国代表が「これは前代未聞だ」と顔を見合わせ、イギリス政府代表団は頭を抱える。
「本当に知らなかったんだ……!?」
「個人の行動だ! 政府は一切関知していない!」
必死に否定する外交官たち。だがその釈明をかき消すように、世界中の報道陣がシャッターを切り続ける。
「英国紳士の誠実な告白」
「竜神リリカへ、真心のラブコール」
見出しは瞬く間に世界を駆け巡った。
――東京、霞が関。
その映像は日本の官庁にも同時中継されていた。
救護課の休憩室で、莉理香はソファに座り、テレビ画面を見つめたまま固まっていた。頬がじわじわと赤くなり、次の瞬間、顔を覆って絶叫する。
「あああああああああああ!!? なんで国際会議で一目惚れ告白されてるんですかぁぁぁぁ!!」
三浦と山崎は腹を抱えて転げ回り、他の同僚たちは椅子から落ちそうになって笑いをこらえていた。
「リリカさん、国際ロマンス……!」
「映画化決定ですね!」
「やめてぇぇぇ!! 私そんなヒロイン枠じゃないですからぁぁぁ!!」
机に突っ伏す莉理香。だが画面の中ではアレクシス卿が真摯に「一度でいい、話がしたい」と話すシーンが繰り返し報道されていた。
画面の中のコメンテーターがこの発言について婚活の側面から評価をしている。
胸奥からもラギルの低い声が響く。
「評価しないでくださいっ!!」
『……なるほど。竜神としての力を求めるのではなく、ただ“お前自身”を求める者。これは稀有だな。古の竜神にも、このような形で心を射抜かれた者はあった。国境を超えて求められること、それ自体が竜神の宿命よ』
「やめてぇぇぇ!! 私の婚活を弄ばないでぇぇぇ!!」
彼女の悲鳴は休憩室に木霊し、同僚たちの笑いをさらに誘った。
SNSは祭り状態だった。
《#英国紳士vs竜神》
《#アレクシス卿》
《#リアルシンデレラ》
「これは映画化不可避」「竜神妃争奪戦に本命現る」と騒ぎ立て、世界中がその誠実な告白に熱狂していた。
――だが当の本人は、机に突っ伏して小さく呻くしかなかった。
「……お願いだから……誰かこの婚活止めてぇぇぇ……」
数日後。
とうとう莉理香は、協会広報を通じて短いコメントを発表した。
『度重なる報道やSNSでの騒動について、私は探索者であり救護課員であることを改めて申し上げます。個人の婚姻を“国家的行事”などと取り上げられるのは、大変困惑しております。
どうか皆さま、過剰な憶測や過熱した取り上げは控えてください。私もただの一人の人間だということをお忘れないように』
その文面は、普段の柔らかさを抑えて淡々と綴られていた。
だが、そこには「私は不機嫌です」というニュアンスが確かににじんでいた。
SNSではすぐさま反応が広がる。
《竜神様ご立腹モードきた》
《#リリカ不機嫌(「・ω・)「ガオー》
笑い混じりのコメントも多かったが、同時に「ほどほどにしよう」という自制の声も拡散していった。
――ようやく、祭りの熱に少し冷水が注がれたのだった。




