第53話 国際的な動き
永田町・官邸の特別会議室。
分厚いカーテンで外光を遮った部屋には、各省庁の幹部と首相が居並んでいた。空気は張り詰めている……はずだったのだが、机上に置かれた一枚の報告書が、重苦しさと同時に妙な気配を漂わせていた。
「……それでは、報告を」
首相の促しに、外務官僚が立ち上がる。やや引きつった笑みを浮かべながら、資料の一部をめくった。
「はい。先日の国際会議後、各国から“公式非公式を問わず”数多くの接触がありました。多くは協力要請、共同研究、国際共同訓練への参加依頼といった内容ですが……」
言い淀み、咳払いを一つ。場に視線が走る。
「……一部には、“縁談”を伴う打診が含まれております」
会議室の空気が一気にざわめいた。防衛省の幹部が目を丸くする。
「……縁談だと? 国家間の交渉に、婚姻を絡めてきたのか?」
「はい。具体的には、ヨーロッパ某国の王族より“王子殿下が独身であるゆえ、ぜひに”とのお話が。さらに中東の王族筋、旧貴族階級を持つヨーロッパの伯爵家からも同様の……」
「なっ……!」
経産省の担当官が目を剥き、隣の厚労省局長が頭を抱える。
現代日本で耳にするにはあまりに場違いな単語が飛び交い、場の誰もが現実感を失っていた。
「……要するに、“竜神リリカ”を自国に取り込むことを狙っているわけだな」
低く唸ったのは防衛相だった。
誰も否定しなかった。むしろ、それがあまりにも当然すぎる現実として突きつけられていた。
総理秘書官が恐る恐る口を開く。
「……問題は、これらがすべて“公式打診”に近い形で届いていることです。仮にこちらが一蹴すれば、外交問題化は避けられません」
「いや、そもそもそんなことを議論する余地があるのか?」
財務大臣が机を叩いた。
だが返ってきたのは、呆れと困惑の入り交じった沈黙だった。
彼らも理解していた――これは洒落では済まない、と。
一方、国際社会はもっと露骨だった。
とあるヨーロッパの王国。荘厳な宮殿の広報室が記者会見を開く。
大理石の床にフラッシュが降り注ぎ、王室報道官が言葉を選びながら発表した。
「殿下はかねてより人道支援と国際協力に強い関心を抱いておられます。竜神リリカ氏の活動に深く感銘を受け……もしご本人のご意志があれば、我が国として最大限の支援を惜しまぬ所存です」
会場がどよめく。記者が一斉に手を挙げる。
「それは、結婚を前提とした提案ですか?」
「婚姻による同盟関係を意図しているのでは?」
報道官は曖昧に笑い、否定も肯定もしなかった。
翌日の新聞には大見出しが躍る。
《竜神リリカ、王室との縁談か》
《新時代の政略結婚?》
SNSは瞬く間に祭りと化した。
《#竜神婚活》
《#婚姻安保条約》
《リリカ姫殿下w》
冗談半分のタグ遊びと、ガチの国際政治分析が入り乱れ、ネットの海はカオスそのものだった。
再び永田町。
官邸の会議は、混乱の渦中にあった。
「……つまり、これを無視することはできない。国際的なメンツの問題にもなる」
「いやいやいや! そもそも国家が個人の婚姻に介入してどうするんですか!」
外務省と内閣府が声を荒げる。
だがその一方で、防衛関係者は真顔だった。
「しかし……考え方によっては、安定要因とも言える。竜神リリカが国外の王族と婚姻を結べば、国際的な共同管理の形になる。国家間の争奪戦を防げる可能性はある」
「ふざけるな! それは人身御供じゃないか!」
「しかし現実問題として、彼女の力には人類全体の利益がかかっている」
議場は紛糾した。
真剣であればあるほど、その議題が「婚活」であることの滑稽さが際立っていく。
そして最後に、首相が深いため息をついた。
「……まずは、本人の意志を確認するしかないだろう」
その言葉に、場の空気が重く沈む。
誰もが心の中で思った――
本人に話した瞬間、この会議以上の大混乱が起きるだろうと。
――救護課休憩室
昼休みのテレビには、海外ニュース専門チャンネルが流れていた。映し出されるのは、ヨーロッパの古城を背景にした豪奢な会見場。スーツ姿の記者が矢継ぎ早に質問を浴びせ、フラッシュの閃光が瞬いている。
「――殿下は竜神リリカ氏に深く感銘を受け、もしご本人のご意志があれば……」
王室報道官の慎重な言葉に、スタジオのテロップが追い打ちをかける。
《竜神リリカ、縁談か!?》
《政略結婚の時代到来?》
《神様って結婚するの?》
「……はあぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?」
休憩室のソファに座っていた莉理香が、思わず声を張り上げた。スマホを持つ手が震える。
その横で三浦が腹を抱えて笑い、山崎はわざとらしく拍手してみせる。
「すごいじゃんリリカ、国際問題どころか国際婚活だよ!」
「おめでとうございます! 殿下の花嫁候補!」
「やめてくださいってばぁぁぁぁぁ!!」
莉理香はテーブルに突っ伏し、耳まで真っ赤にして呻いた。
SNSを覗けば、さらに地獄が広がっていた。
《#竜神婚活》
《#リリカ姫殿下》
《婚姻安保条約ww》
「……なんで私の結婚が条約になってるんですかぁ……」
泣き笑いみたいな声をもらし、頭を抱える。
だが同僚たちは追撃の手を緩めない。
「ほら、こっちの動画見て。某中東の王族が“リリカ様に会いたい”って……」
「え、南米の貴族筋もだって。コメント欄、プロポーズ祭りじゃん」
「ぎゃあああああ!!」
休憩室に彼女の悲鳴が響いた。
そんな騒ぎの最中、背後のドアが重々しく開く。
「……おい」
低い声に、空気が一瞬で凍りついた。
振り返れば、そこに立っていたのは課長・高村。渋面で腕を組み、ただならぬ気配を漂わせている。
「桐嶋。ちょっと課長室に来い」
その一言に、同僚たちは顔を見合わせて一斉に縮こまった。
莉理香は引きつった笑みを浮かべ、逃げ場を失った子犬のように立ち上がるしかなかった。
課長室。
机の上には、分厚い書類の山。その一番上には「国外王族縁談打診」と赤字でクリップ留めされた報告書が置かれていた。
高村課長は額を押さえ、深いため息をついた。
「……まさか、お前の婚姻が国際問題になる日が来るとはな」
「ちょ、ちょっと待ってください課長!? 私そんなつもり一切……!」
「わかってる。お前が望んだわけじゃないのは百も承知だ。だがな……これは洒落にならん」
課長の声は真剣そのものだった。
その分、議題の中身が婚活であることが余計に馬鹿げて聞こえる。
莉理香は顔を覆い、机に突っ伏した。
「……なんで私の結婚が官邸レベルで議論されるんですかぁ……」
「知らん。だが外務省の連中が真顔で“縁談は外交カードになり得る”と言い出してる。しかも複数の国からだ。断れば角が立つ、受ければ国が揺れる……」
高村は書類を指で弾いた。
そこには、王室の公式書簡、貴族家の推薦状、そして「親書」の二文字。
どれも本物の国際文書だった。
「……笑えねぇだろ?」
「笑えないです! でも笑うしかないです!」
莉理香の情けない叫びに、課長は苦々しく眉をひそめる。
しばし沈黙の後、静かに呟いた。
「……せめて国内で相手を見つけろ。そうすれば少なくとも、国外に持っていかれる心配はなくなる」
「――――っっ!!!??」
莉理香の顔が一気に真っ赤に染まった。
まさか課長の口からそんな言葉が飛び出すとは思わず、言葉が喉で詰まる。
慌てて立ち上がり、両手をぶんぶんと振る。
「な、な、何言ってるんですか課長ぉ!? そういう問題じゃないでしょ!? 私、公共財っぽい何かなんですよ!? 水道管と同じインフラなんですよ!?」
「お前、水道管にプロポーズが殺到したらどうすんだ」
「例えが酷すぎますぅぅ!!」
課長室に莉理香の絶叫が響き渡り、外で聞き耳を立てていた同僚たちが、こらえきれずに吹き出した。
結局、課長との打合せは何の結論も出ないまま終わった。
ただひとつはっきりしたことがある。
――桐嶋莉理香の婚活は、本人の意思を超えて国際問題になっている。
そして彼女自身は、真っ赤な顔で机に突っ伏したまま、ただただ小さく呻くしかなかった。
「……もうやだぁぁぁぁぁ……」




