第52話 竜神リリカ、公共財になりました
そうこうしているうちに、国際会議の公式報告書に新たな一文が加わった。
《桐嶋莉理香氏の力の増大に伴い、契約を介さずとも精霊術素養者の術行使が可能となっている。》
その一文は、各国の各国の代表団に大きな衝撃を与えた。
ざわめきが走り、翻訳機越しのざらついた声が会場を震わせる。
「……つまり、契約不要?」
「我が国の素養者でも、彼女の“悪意フィルター”にかからなければ……力を使える、ということか?」
外交官たちは顔を見合わせ、互いに視線で確認し合う。誰もが喉元まで出かかった同じ言葉を飲み込んでいた。
――これでは実質、使いたい放題ではないか。
そして事実として、世界各地で奇妙な現象が報告され始めていた。
・南米の農村では、素養を持つ少年が「作物を守りたい」と必死に願った瞬間、畑一面に風の壁が吹き荒れ、群がっていた害虫を一掃した。
・北欧の港町では、若い漁師が「仲間を救いたい」と思った瞬間、凍てつく海に氷の橋が現れ、転覆寸前の漁船を支え切った。
・中東の都市では、医師志望の少女が「この子を助けたい」と強く願った瞬間、掌から柔らかな光が溢れ出し、出血多量の子供の傷口を塞いだ。
それはもはや偶然の連鎖ではなかった。
竜神リリカを経由して発現する“新しい精霊術”――世界は、その仕組みに気づき始めていた。
加えて、アフリカの砂漠地帯ではこんな逸話も広がっていた。
渇水に苦しむ集落で、青年が「せめて水を」と心から願った瞬間、乾いた井戸の底から水が滲み出たのだ。人々は涙を流し、祈るように彼の周囲に集まったという。
──東京・探索者協会救護課
榊は大量の報告を前に、青ざめた顔でつぶやいた。
「……桐嶋さん。あなた……一体何をやっているんですか……。世界中で、桐嶋さんの力が使われているんですけど……」
机に突っ伏していた莉理香は、呻くように顔を隠した。
「……やめてくださいよ。私、国際公共財になっちゃったんですか……」
声には情けなさと困惑とが入り交じっている。
誰かを助けたいだけの一心が、いつの間にか国家や世界を巻き込む力に膨れ上がってしまったのだ。
ラギルの声が胸奥で低く響いた。
『いや、莉理香。これは神話における“信仰の臨界”だ。
もはやお前は、一国の戦力ではなく、世界全体に力を貸す竜神……その在り方に至ったのだ』
「……そりゃ助けないとは言いませんけどねー……」
莉理香は情けない声をあげ、机に額をこすりつける。
しかし、どれだけ否定しても竜核は確かに律動を刻み続けていた。
ニュース番組はこう報じていた。
「──世界各地で“竜神リリカ”の力を通じた精霊術の発現が相次いでいます。
ただし破壊や殺傷目的では発動せず、専門家は“桐嶋莉理香による選別”が働いていると分析しています。
事実上、彼女は全人類の守護者となったと言えるでしょう」
解説者の声に、スタジオは重苦しい沈黙に包まれた。
やがて一人がようやく絞り出す。
「……これは、もはや人類の歴史の転換点かもしれませんね」
その言葉は空気をさらに重くし、誰もが否応なく同じ結論へと至る。
桐嶋莉理香は、もう一人の”人間”でありながらその枠を逸脱してしまった。
世界全体に“力”を与える存在に変わってしまったのだ。
***
──永田町・官邸会議室。
分厚い報告書がテーブルに並び、閣僚たちが一斉に頭を抱えていた。
「……つまり桐嶋莉理香は、契約なしでも世界中の素養者に力を与えている、と」
読み上げた声は硬く、だが震えを隠せなかった。
担当官が冷や汗を拭いながら頷く。
「はい。ただし、彼女の“選別”が働くようです。悪意による破壊や殺戮目的では発動しない模様です」
その言葉に会議室は静まり返った。
目を逸らす者、口元を押さえる者、唸り声だけを漏らす者。
誰もが頭では理解しても、現実を受け止めきれていなかった。
「……えええええ……」
やがて重苦しい沈黙を破ったのは、閣僚の一人から漏れた情けないほど間の抜けた声だった。
だが、それこそ全員の心情を代弁していた。
「日本の“独占カード”ではなくなった。外交カードどころか……国際公共財だぞ」
「いや、だからといって拒めるか? 止められるか? そんなことは……無理だろう」
議論は進まず、ほとんど呻き声だけが繰り返される。
彼らはすでに悟っていた――国家の手では制御しきれない領域に、彼女は踏み込んでしまったのだ。
一方、国際社会の反応は――まるで逆だった。
ヨーロッパのある国の首相は、記者会見で誇らしげに言い切った。
「日本は誇るべきです。竜神リリカは人類全体の守護者だ。もはや彼女の存在は、一国家に閉じ込められるものではない」
その言葉に会場は拍手で沸き立ち、記者たちは次々と質問を投げかけた。
アジアの一国では、大統領自らが声明を発表した。
「わが国の素養者も、すでに力を得ています。これは国際協力の基盤となるでしょう。竜神リリカは、地球全体を結びつける存在です」
さらに南米のテレビ番組では、貧しい村に住む少年が紹介されていた。
小さな畑を背に、まだ幼い彼は無邪気に笑う。
『これで僕も家族を守れる! リリカ様ありがとう!』
その言葉にスタジオは一斉に拍手し、涙ぐむ司会者の姿まで映し出された。
SNSでは連日タグが踊る。
《#RirikaForAll》
《#竜神公共財》
《#地 (「・ω・)「ガオー 球》
《神様が日本からお賃金もらってるの草》
《桐嶋先生=インフラ》
真剣な分析もあれば、冗談半分の茶化しもある。
だが共通していたのは――誰もが特に恐れるでもなく彼女の存在を身近な存在として語り始めている、という事実だった。
その頃、救護課。
庁舎の一角にある会議室では、幹部たちが顔を揃え、深い溜息をついていた。
「……本当にもう、人類がどうこうできる存在じゃないんだけど……」
「いや、それでも桐嶋莉理香は“うちの救護課員”だ。そこだけは事実だ……。給与の項目として何か特別手当でもつけるべきじゃないか?」
冗談とも本気ともつかない会話に、場の空気がわずかに和らぐ。
世界は勝手に“竜神リリカ”を受け入れ、利用し、感謝していた。
救護課の休憩室。
テレビでは「#竜神公共財」というタグが世界トレンド入りしたと報じていた。
キャスターは半ば冗談めかして言う。
「電気や水道と同じように、“リリカ様”は人類共通のインフラになった――そんな声すら上がっています」
その言葉に、莉理香はテーブルに突っ伏した。
「……公共財って……私、水道管じゃないんですよ……わかってます?」
三浦が堪えきれず吹き出し、コーヒーを差し出した。
「いいじゃないの、世界中から感謝されてるんだから」
山崎も肩を揺らして笑う。
「インフラ神。悪くない肩書きだな」
「やめてくださいってば……!」
莉理香は耳まで真っ赤にしながら叫んだ。
その姿に仲間たちの笑い声が広がり、重苦しかった空気が少しだけ軽くなる。
胸奥でラギルが低く笑った。
『……だが事実だ、お前はもはや人間社会そのものに組み込まれてしまった。
誰にも止められぬ、誰も独占できぬ。だからこそ世界が安心して祈る』
「……それって、便利屋扱いじゃないですか」
『いや、違う。便利だからこそ“信頼”されている。
我ら竜神の時代にはなかった感覚だ。人類全体に組み込まれる――それもまた神の在り方よ。……歴代竜神の中でも最大の力を持っているのではないか?』
莉理香は複雑な顔をし、コーヒーを一口すする。
苦味が舌に広がり、少しだけ肩の力が抜けた。
「……まぁ、神様とか公共財とか言われても、私がやることは一緒です。
目の前で困ってる人を助ける。それだけですから」
その言葉に、救護課の仲間たちは自然と笑顔を浮かべた。
世界がどう呼ぼうと――ここではただの桐嶋莉理香。
竜神であり公共財であり、しかし同時に一人の若い女性として。
彼女は静かに、日常と折り合いをつけていた。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました!
契約者=眷属に比べると見劣りをしますが、未契約でお願いだけで
実働可能な精霊術師が大量発生してしまいました。
どうしてこうなった。
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