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星屑の旅路(スターダストジャーニー)  作者: ほしのみくる
エピソード1 亡霊の彷徨

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記録04 視えぬ異変

ケイへと視点が動いていきます。

是非最後まで。


*改稿版 記録04です。

以前に投稿したものは

星屑の源(ホシクズノルーツ)に保存しています。

興味があれば是非手に取ってみてください。

実験を終えたラボには、先ほどまでの騒がしさが嘘だったかのような静寂が戻っていた。


低く唸る装置の駆動音と、冷却機構から吐き出される空気の音だけが薄暗い室内に絶え間なく響き、壁面を埋め尽くすモニターには、今しがた得られたばかりの膨大な数値と波形が流れ続けている。その淡い光が、床に落ちたヒトビトの影を青白く縁取っていた。


実験は終わった。だが、成功と呼べるものだったのかは、誰にも分からない。


カプセルの中では透き通った液体に血の色がゆっくりと滲み、その中央に、もはや小動物だった頃の原形すら留めていない肉塊が浮かんでいる。破裂した組織はなお活動を止めず、潰れた細胞同士が再び結びつこうとする一方で、別の箇所では新たな細胞が増殖を続けていた。


壊れたものを作り直そうとしているのか。それとも、ただ止まれないだけなのか。その境界すら、すでに曖昧だった。


「……とんでもないわね」


モニターへ食い入るように向けられたシェーネの黄色い瞳には、疲労を押し退けるほどの興奮が宿っていた。次々と更新されていく数値を追いながら、彼女は赤い唇に指先を添える。


「まだ細胞分裂が続いてる……破裂したあとも止まってない。再構築と増殖が、まだ同時に進んでる」


彼女の声には恐怖よりも、未知の現象を目の当たりにした科学者としての好奇心が勝っていた。


「これ、本当に――」


「――恐ろしいな」


どこからともなく響いた低い声に、シェーネの指が止まった。


アイが静かに顔を上げる。


「生命の輪廻を覆す、か。……なぁ、ケイよ」


その声音に、驚きはなかった。むしろ滲んでいたのは、未知への好奇心とは正反対の感情――深い嫌悪と、それでも無視することのできない畏れだった。


ケイは眉を寄せ、ゆっくりと背後を振り返った。

そこには誰もいない。


薄暗い通路と、壁面を這う無数の配管。実験に使われた機材が雑然と積み上げられているだけで、影らしいものはどこにも見当たらなかった。


それでもケイは、何もない空間の一点から目を離さなかった。


「……オダコン」


返事はない。


ケイは腰のポーチへ手を伸ばすと、BOLRを取り出した。


「そこか?」

確かめるような素振りすら見せず、無造作に放る。


緩やかな弧を描いたBOLRは、誰もいないはずの空間へ吸い込まれていき――床へ落ちる寸前、ぴたりと宙で止まった。


何もなかった場所から、細長い指だけが現れていた。


やがて、その周囲の景色が水面のように揺らぎ始める。指先から手の甲へ、腕から肩へと輪郭が浮かび、背景と同化していた色彩が徐々に本来の姿を取り戻していった。


やがて、周囲の景色に溶け込んでいた男の全身が露わになる。


湿り気を帯びた軟膜質の肌に、顔の下半分から伸びる何本もの触手。その中央で、細く鋭い眼だけが愉快そうにケイを見据えていた。


「ふむ。相変わらず腕は鈍っておらぬようだな。姿を隠そうとも、気配までは欺けぬか」


姿を現した男――オダコン・マーシュは、受け取ったBOLRを片手で弄びながら、喉の奥で低く笑った。


「最初からいたの?」

シェーネが呆れたように尋ねる。


「さてな」


「趣味悪いわね」


「忍とは、容易く己の存在を悟らせぬものよ」


あまりにも当然のことを語る口調だったため、シェーネはしばらくオダコンを見つめたあと、諦めたように肩を竦めた。


彼が信奉する『忍』なる存在が、遥か彼方から流れ着いた古い記録に由来することだけは、シェーネも知っている。その起源も、本来どのような存在だったのかも、今となっては定かではない。


それでもオダコンにとって、『忍』は失われた時代の珍しい伝承などではなかった。そのことは、彼の視線が再びカプセルへ向けられた瞬間、誰の目にも明らかだった。


「死するものは死し、生まれるものは生まれる。朽ちたものはいずれ還り、また別の命を育む。それが森羅の理というもの」


先ほどまでの飄々とした声音から、僅かに温度が消えていく。カプセルの内部では、血に濡れた組織が今なお蠢いていた。


「それをヒトの手で捻じ曲げようとはな」


シェーネがモニターから目を離した。

「科学なんて、そんなものじゃない?」


「ほう」


「飛べないなら空を飛ぶ。星から出られないなら宇宙へ出る。治らない病気があるなら治す。昔のヒトビトからすれば、私たちがやってることなんて、大抵は摂理への反逆よ」


オダコンの顔から伸びた触手が、わずかに揺れた。

「故に、限度を知ることもまた知恵であろう」


「その限度を決めるのは誰?」


「少なくとも――」

オダコンは手の中のBOLRを一度転がしながら、カプセルへ細い眼を向けた。


「死者ではあるまい」


シェーネの口元から笑みが消えた。誰もすぐには言葉を返さず、低く響く装置の駆動音だけが、再びラボの静寂を満たしていく。


ケイは二人の議論に加わろうとはしなかった。カプセルを一瞥しただけで、興味を失ったように視線を逸らす。


その横顔を、オダコンだけがじっと見ていた。


「ケイ」


「あ?」


オダコンが突然、BOLRを投げた。

予備動作らしいものはほとんどなかった。小さな端末は回転しながらラボを横切り、ケイの顔の横を掠めるような軌道を描く。


乾いた音がした。


ケイの右手には、BOLRが収まっていた。何事もなかったように端末を指先で一度回し、そのまま腰のポーチへ戻そうとする。


オダコンは何も言わなかった。


その沈黙を訝しんだのか、ケイが顔を上げる。

「なんだよ」


「今の――」

オダコンの細い眼が、さらに細められた。


「お主、視えておらなんだな」


ケイの手が止まった。

シェーネが振り返り、アイもまた静かに視線を向ける。


「何の話だ」


「惚けるでない。儂が投げた瞬間、お主の眼は動いておらぬ」


ケイは答えなかった。僅かな沈黙のあと、面倒そうにBOLRをポーチへ押し込む。


「取れたんだからいいだろ」


「よくない」

返答は即座だった。


ケイが小さく息を吐く。

だが、オダコンは視線を外さなかった。


「いつからだ」


「何が」


「視覚だ」


「別に見えてる」


「ならば、儂の指を見よ」

オダコンが片手を上げ、人差し指を立てる。そのままゆっくりと左右へ動かすと、ケイの眼も遅れることなくそれを追った。


一見すれば、何の異常もない。


「ほらな」


「……見えていることと、正常に見えていることは同じではない」


ケイの眉間に皺が寄る。

「忍の修行とやらなら他でやれ」


「ならば、あれはどうだ」

オダコンが作業台を指した。


そこには実験に使われた器具や試薬の容器が雑然と並んでいる。その中から、オダコンは一つの小瓶を指先で示した。


「何色に見える」


ケイは言われるまま視線を向けた。

透明な容器の中で、少量の液体が揺れている。

すぐに答えるかと思われたが、僅かな間があった。


「……赤だろ」


シェーネの表情が変わった。

「ケイ。それ、緑よ」


ケイはもう一度、小瓶を見る。


だが、答えは変わらなかった。

「俺には赤に見える」


言い訳でも、強がりでもなかった。ただ、自分に見えているものをそのまま口にしただけだった。そのことが、かえってラボの空気を重くした。


アイの瞳が、ごく微かに揺れる。

「ケイ」


「照明のせいだろ」


「このラボの照明条件は、先ほどから変化しておりません」


「……お前まで始めるな」

吐き捨てるように言って、ケイは踵を返した。


「待て」

オダコンの声に、足が止まる。


「味はどうだ」


今度の沈黙は、先ほどよりも長かった。オダコンはそれ以上問いを重ねず、ただケイの背中を見つめている。


やがてケイは、肩越しに僅かに振り返った。

「……さぁな」


「最後に食事をしたのは?」


「覚えてねぇ」


「何を食った」


「知らん」


「味は覚えておるか」


ケイの顔に、露骨な苛立ちが浮かんだ。

「しつこいぞ」


「己の肉体を知れぬ者に、己の限界など知れぬ。まして、その身を戦いに晒す者ならばなおさらだ」


「オレは忍者じゃねぇ」


「知っておる」


「だったら――」


「だが、死ぬのは忍もお主も同じだ」


ケイの口が閉じた。


先ほどまでどこか芝居がかった調子を残していたオダコンの声から、ふざけた響きが完全に消えていた。

「ジャックに診てもらえ」


「必要ない」


「必要か否かを決めるのは、診てもらってからでも遅くあるまい」


ケイは鼻で笑う。

「随分まともなこと言うじゃねぇか」


「儂は常にまともだ」


「それはないわね」

シェーネが即座に返した。


オダコンが不服そうに触手を揺らし、僅かに張り詰めていた空気が緩む。だが、アイだけは笑わなかった。彼女の視線は、ずっとケイへ向けられていた。


瞳孔反応、眼球運動、姿勢、呼吸、歩行時の重心移動。これまで蓄積されてきた行動記録との照合が、アイの内部で静かに進められていく。


視覚には、無視できない変化が生じている。


それでもケイの動作には、その低下に見合うだけの破綻が見られなかった。


「……ケイ」


アイが呼びかけると、ケイは心底嫌そうな顔で振り返った。


「なんだよ」


「ジャック様の診察を受けるべきです」


「お前もか」


「はい」


迷いのない返答だった。


ケイはしばらくアイを見つめていたが、やがて諦めたように首を回した。小さく骨の鳴る音がして、それを合図にしたように肩を落とす。


「分かったよ」


それだけ言うと、ラボの出口へ歩き出した。


自動扉が開き、その背中を飲み込んでいく。


アイはすぐに後を追おうとして――ふと、足を止めた。


振り返った先にあるのは、先ほどまで全員が見つめていたカプセルだった。


透き通った液体の中では、原形を失った組織が今なお活動を続けている。壊れた箇所を繋ぎ直そうとする一方で、止まるべきところを見失った細胞は増殖を続け、その二つを隔てる境界はもはや判然としない。


その光景を見つめながら、アイの内部では複数の演算が並列して走り始める。


ケイに現れた症状。推定される機能低下。神経系への影響。考えられる原因と、現時点で選択し得る治療法。


そして、その視線の先には――壊れた組織を再構築しながら、同時に止まることのできなかった未知の現象がある。


もし、この力を制御できるのなら。


ケイに現れ始めた機能低下へ応用できる可能性を、完全には否定できない。


だが、その先へ進もうとした演算が止まった。


失われた機能を取り戻せる可能性がある一方で、目の前には、その力が制御を失った結果が浮かんでいる。現時点では、安全性を判断するための情報があまりにも足りなかった。


それは単純な事実だった。


にもかかわらず、アイはしばらくカプセルから目を離すことができなかった。


「……アイ」


オダコンの声に呼ばれ、ようやく振り返る。


「はい」


オダコンはカプセルではなく、ケイが消えていった扉を見ていた。


「お主も感じておったのだな」


「明確な異常として断定できるだけの情報はありませんでした」


「そうではない」


アイがオダコンを見る。

彼の細い眼が、静かにこちらを向いていた。


「感じておったかと聞いた」


アイは答えなかった。その沈黙を何と受け取ったのか、オダコンもそれ以上は尋ねなかった。





ジャックの診療室は、ラボからいくつかの区画を隔てた場所にあった。

診察台の端に腰掛けたケイの正面で、ジャックは腕を組み、つい先ほどまで行っていた検査結果を険しい表情で睨んでいる。


やがて大きく息を吐くと、顔を上げた。

「で?」


「なんだよ」


「なんでこうなるまで黙ってた?」


「別に黙ってねぇよ」


「じゃあ報告したのか?」


「してねぇ」


「それを黙ってたって言うんだよ」


ジャックはもう一度、今度は先ほどより深く溜息を吐いた。

机上のモニターには、視覚、色覚、味覚、神経反射をはじめとした検査結果が並んでいる。いずれも今すぐ日常生活が破綻するほどのものではなかったが、正常と言い切るには明らかな変化が現れていた。


「目だけじゃねぇぞ」

ジャックがモニターから視線を離さずに言った。


「色の見え方にも偏りがある。味覚にも低下が出てる。反射は保たれてるが……だから問題ないって話でもねぇ」


「動けてるならいいだろ」


その一言で、ジャックが顔を上げた。

「お前な」


「なんだよ」


「俺は今、お前が戦えるかどうかの話をしてんじゃねぇ」


ケイは答えず、診察台の上で退屈そうに首を傾ける。

ジャックは何か言いかけたものの、飲み込んだ。


「痛みは?」


「ない」


「痺れは」


「ない」


「耳は?」


「聞こえてる」


「匂いは」


そこだけ、ケイの返事がなかった。


ジャックが顔を上げる。

「K?」


「……たぶん」


「たぶん?」


「意識したことねぇよ」


「なら今しろ」


促され、ケイは面倒そうに鼻から息を吸った。

診療室には薬品や消毒液の匂いが満ちている。その中には、少し前までジャックが口にしていた飲料の甘い香りも混じっていた。


ケイはもう一度、今度は少し意識して空気を吸い込む。

「……薬品」


「他は?」


返事がない。


「もう一度」


言われるままに息を吸う。


やがてケイは、興味を失ったように肩を竦めた。

「知らん」


ジャックは何も言わなかった。


その沈黙の方が鬱陶しかったのか、ケイが先に口を開く。

「で?」


「で、じゃねぇよ」


「治るのか?」


その問いに、ジャックの眉が僅かに動いた。だが、ケイはすぐに自分で言葉を取り消すように右手へ視線を落とした。


拳を握り、ゆっくりと開く。

指は何の問題もなく動いた。


「……いや」


もう一度、確かめるように拳を握る。


「まだ使えるんだろ?」


ジャックの表情から、完全に笑みが消えた。

「そういう話をしてるんじゃねぇ」


「オレにとっちゃそういう話だ」


「K」


低く呼ばれ、ケイが顔を上げる。


そこにあったのは、医者が患者へ向ける冷静な表情ではなかった。

「身体は道具じゃねぇぞ」


ケイは僅かに眉を上げる。


「似たようなもんだろ」


「違う」

間髪を容れない返答だった。


二人の視線がぶつかる。

ジャックは何かを言おうとしたが、結局それ以上は続けなかった。説教したところで、この男が考えを改めるとは思っていないのだろう。


ケイの方も、それ以上その話をするつもりはなかった。


「……原因は?」


「今の検査だけじゃ、そこまでは分からねぇ」


ジャックはモニターへ視線を戻した。

「ただの疲労で片づけるには、引っ掛かるところが多すぎる。もう少し詳しく調べる必要がある」


「なら好きにしろ」


「お前の身体なんだけどな」


「だから好きに調べろって言ってんだろ」


「そういうところだよ、お前は……」


呆れたように呟きながら、ジャックは再び検査結果へ目を戻した。


そこに現れている変化だけなら、ひとつずつ検査結果として拾うことはできる。しかし、オダコンから聞いたBOLRの一件を重ねると、どうにも辻褄が合わない。


ジャックはしばらく黙ったまま数値を追い、やがて何かを確かめるようにケイを見た。


「……K」


「今度はなんだ」


「これ、いつからだ?」


ケイはすぐには答えなかった。ほんの数秒、記憶を探るように視線を宙へ向ける。本当に分からないのか。それとも、答える気がないのか。


ジャックにも判断できなかった。


やがてケイは診察台から腰を上げた。


「さあな」

それだけ言って出口へ向かいかけたところで、ふと足が止まる。


ケイは振り返らなかった。

脳裏に浮かんでいたのは、つい先ほどまでラボで見ていた光景だった。透き通った液体の中で、壊れた組織が再び繋がっていく。同時に、止まることのできない細胞が増え続けていく。


それが治癒と呼べるものではないことくらい、ケイにも分かっていた。それでも――壊れたものが、戻った。


「……ジャック」


「なんだ」


僅かな間を置いて、ケイが口を開く。

「さっきの再生――」


そこで言葉が止まった。


ジャックが訝しげに眉を寄せる。

「再生がどうした」


ケイは答えなかった。数秒前まで浮かんでいた問いを、自分の中へ押し戻すように口を閉ざす。

「……いや」


「おい」


「なんでもねぇ」


再び歩き出す。

自動扉が開き、ケイの姿がその向こうへ消えていった。


ジャックは呼び止めなかった。閉じた扉の向こうから足音が遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなってからも、しばらく検査結果を見つめ続けていた。


表示されているのは、どれも致命的とは呼べない小さな異常ばかりだった。一つだけなら見過ごしたかもしれないが、それがいくつも重なり始めている。


そして何より、本人がそれを異常だと思っていない。ジャックは椅子の背へ身体を預け、誰もいなくなった扉へ視線を向けた。


「……お前、何を失ってやがる」

低く漏れた声だけが、静かな診療室に残った。


いかがでしたか?

ケイの体の異常とそれを悟、各人のキャッチボール。

この先ケイはどうなっていくのか?

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