第12話 演技と誤算
安全を確認した俺達は酒場の外へと踏み出した。外はすっかり昼間になっており太陽の日が街路地に差し込み明るく照らしていた。といっても日常のような風景はそこにはなく、あるのは千切れた贓物や誰の物かも分からない腕や足、そして路面や壁面に飛び散った血糊の数々である。
まさに地獄が現世に顕現したかのような有様だった。空だけは突き抜けるような青空が広がり、それがまた逆に非現実感をいっそう強く高めていた。
俺達は周囲を警戒しながら、物陰から物陰へと移動し少しずつ大通りの方へ進んでいく。酒場から少し進んだところで、すぐにゾンビ達の呻き声が耳に入った。俺達は顔を見合わせ、ゆっくりと物陰から顔を出す。
大通りはやはり相変わらずゾンビで溢れかえっていた。ゾンビ達はフラフラと覚束ない足取りで大通りを徘徊しながら、各々好きなように行動している。人肉を貪る者、空を見上げ呆然と立ち尽くす者、内臓を引き摺りながら歩く者、店に入ろうと窓を突き破る者……様々だ。
人間らしい感情は消え失せ、蝋人形のような空虚な表情と掠れた呻き声だけが響き、肉体は血の気を失せ紫色に変色し、またはさらに灰色へと代わり、腕や足の欠損や破れた皮膚から見える茶色い肉や薄黄色い脂肪の塊と、そこから突き出した真白い骨が白日の下に晒されていた。
腐った肉は腐敗臭を放ち、さらに贓物や脳漿などの残骸がいたる所に散乱し血だまりが路面を覆っているため、大通りはひどい悪臭に包まれていた。まさにゾンビの大通りと化したそこは、普通なら脱出を諦めるに十分な光景であったが、俺達はそうはならなかった。
むしろ一層、脱出への意思を強めていった。なぜなら今の俺達はこのゾンビ達とまさに瓜二つの恰好をしているのだから。全身を贓物と血汁に塗れさせ、腐敗臭を纏った俺達はゾンビそのものだった。
恰好だけではない。パウロの指導の下ゾンビの動きまで練習したのだ。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、必死でゾンビの動きをコピーした俺達には、目の前のゾンビの群れの中へ紛れ込む準備は十分に整っていた。
「行くぞ……」
俺は三人にだけ聞こえる声で呟いた。そして最初の一歩を踏み出し、物陰から飛び出した。それに続いて、パウロとシャーリーとガトーも物陰から大通りへと飛び出す。
「う……があぁ」
そして俺は手を空中でぶら下げ口を半開きにした状態でゾンビの真似をした。ゾンビになりきり、ゾンビの気持ちになって、夢中でゾンビを演じた。
後ろでシャーリーやパウロやガトーの呻き声が聞こえる。みんな各自でゾンビの真似をしていた。そこにはふざけた様子もなく真剣だった。当然だ。ここは失敗すれば死に直結する決死の舞台。ゾンビを演じ切ること以外、生き残る術はない。
とはいったものの、俺にも不安はあった。はたして本当にゾンビは俺達をゾンビだと思ってくれるだろうか。確かに臭いはゾンビと同じにしたし動きも真似したが、それで確実にゾンビの目を欺ける保証はどこにもない。これは一種の賭けであった。
俺はゆっくりと前進する。足を引きずるようにゆっくゆっくりと大通りの中を前進する。普段に比べれば半分にも満たない移動速度だ。だがゾンビは走らない。焦って走ってしまってはゾンビではないことがバレてしまう。
ゾンビの群れとの距離が徐々に縮まる。ゾンビはこちらには気付いていない様子だったが、油断はできない。俺はゾンビの演技を続けながら、慎重に足を進めた。
ゾンビが俺の目の前に迫る。身体中から汗が吹き出し、鼓動が激しく高鳴った。それを悟られないように俺はゾンビの演技に集中する。だが俺とゾンビとの距離はほぼゼロに等しいところまできていた。
ゾンビの吐息が俺の鼻にかかる。腐った肺から吐き出される息は今まで嗅いだことのない悪臭を放っていた。肥溜めの中に顔を突っ込んだ方がまだマシだと俺は思った。俺は鼻を抑えたい衝動を必死に堪え、ゾンビの中を歩いて行った。
気付くと俺達はゾンビの群れの中心にいた。だがゾンビ達が俺に気付く気配はない。俺は心の中で小さくガッツポーズをした。
成功だ!
一か八かの作戦だったが、上手くいった。まさか本当にゾンビの目を誤魔化せるとは信じられなかった。だが事実、ゾンビは俺達を人間ではなくゾンビだと認識したようだった。これで後はこの大通りを真っ直ぐゾンビの振りをしながら歩いていけばいいだけだ。
だが俺は思いもよらない事態に気付いた。身体から湧き出る汗が身体を覆っていた血汁や贓物を少しずつ落としていたのだ。照りつける太陽と密集したゾンビの蒸れと極度の緊張が重なり俺の体温はどんどん高まっていた。そして体温を下げようと身体が発汗を始める。それは徐々に俺の身体を覆う贓物を滑りよくし、次第に歩くたびに贓物が地面にベシャリベシャリと落ちていく。
俺が焦れば焦るほど汗は余計に量を増し、肌に塗りたくられていた血汁を洗い流していた。これは俺だけの現象ではなく、後ろの三人も同様の現象に内心焦りを募らせていた。そして焦れば焦るほど汗は吹き出し、ゾンビの皮を剥がしていく。
徐々にすれ違うゾンビの表情にも変化が訪れた。最初は近付いても無視して通り過ぎていたゾンビが、次第にこちらに視線を向けるようになってくる。汗が流れれば流れる程、こちらを向くゾンビの数は増え、だんだんとこちらに吸い寄せられるように歩いてくる。
俺の心臓はこれ以上ないくらい高鳴っていた。すぐにでも走り出したい気分だった。だが出口まではまだ半分以上ある。ここで事を急いでは全てが台無しだ。俺はなるべくゾンビの真似をしながら、ゾンビの間をすり抜けていく。
だがそれにも限界があった。ゾンビは徐々に俺達を疑いはじめ、そして人間だと言う事に気付き始めていた。俺達に流れる汗の臭いこそがゾンビとは違う人間の臭いに他ならなかったのだ。そう、ゾンビは汗をかかない。
「があああぁぁああッ!」
ゾンビの呻き声とは違う、破裂したような悲鳴が後ろから轟いた。声の主はパウロだった。
見るとパウロの腕にゾンビが噛み付いている。ゾンビの黄色い歯がパウロの腕に食い込み、そこから血が泡のように吹き出している。パウロは手に持っていた包丁でゾンビの目を突き刺した。
包丁の先端がゾンビの眼球を貫通し脳まで深く突き刺さった。包丁の刺さった眼窩から黒い液体が溢れだしゾンビは人形のようになった。だがそれでもパウロの腕に噛み付いたまま離さないので、パウロは包丁を刺した勢いのままゾンビの頭部を無理やり引き剥がした。
ゾンビの口に挟まれた皮膚が木綿の如く繊維を引いて千切れた。パウロの腕は歯型にごっそりと抉られ赤い肉の奥に骨が見え、切断された血管から血が噴き出していた。パウロは必死に腕を押さえ苦悶の表情を浮かべる。
「切れ!」
呆然とする俺達に向けて、パウロは叫んだ。彼が言ったことが理解できず呆気にとられていると、彼は必死の形相で訴えた。
「僕の腕を切り落とせ!」
そう言ってパウロは腕を差し出した。
「早く!」
パウロの気迫に押され、ガトーが斧を振り上げ一気に振り落とす。濡れた雑巾を打ち付けるような音が鳴り響き、パウロの肘から上の腕が無くなった。同時にパウロの絶叫が響き渡る。
パウロは噴出する血を必死に抑え布で血管を縛り傷口を抑える。一瞬の出来事に俺達はただ呆然としていた。地面にパウロの腕だけが寂しく転がっていた。
だが、問題はまだ解決していない。周りのゾンビが俺達を注目していた。もはやゾンビの演技をしても誤魔化せそうにない。
「終わった……」
誰かがそう呟いた。もしかしたら俺自身の声だったのかもしれない。とにかく作戦は失敗に終わった。周りを取り囲むゾンビの大群。そしてその真ん中に佇む俺達はもはや逃げることも戦うことも絶望的だった。
走ってゾンビの群れを突っ切るには距離がありすぎる。武器でゾンビと戦うには数が多すぎる。前も後ろもゾンビだらけで、引き返すこともできない。まさに手詰まりだった。
俺達が諦めかけていたその時だった。
「うがッ」
一本の矢がゾンビの頭を射抜いた。そして次々と迫りくるゾンビの頭蓋を矢が貫通していく。その矢が飛んできた方向に俺達は一斉に目をやった。
「こっちだ!」
そこにいたのは、屋根の上からボウガンを構える中年女性の姿だった。彼女は次々に矢を放ちゾンビを仕留めていく。
「早く!」
彼女の声に俺はハッと我に返った。今は他の生存者がいたことに驚いている場合ではない。一刻も早くこの場から逃れなければ瞬く間に俺達もゾンビの仲間入りだ。
「行こう!」
そう言って俺達は彼女のいる建物の方に向かって走り出した。出血で苦しそうに歩くパウロを支えながら、彼女の援護射撃も助かって俺達は建物の真下まで辿り着く。
すると彼女は屋根から梯子を下ろした。
「急げ! 奴らは私が喰いとめる!」
そう言って彼女は屋根からボウガンでゾンビを狙撃する。俺達は息を荒げながら彼女に言われるがまま梯子を登っていった。




