第13話 生存者と死者
全員が梯子を登りきり、屋根の上へと辿り着くと、彼女はすぐに梯子を外し引き上げた。途中、梯子に手をかけていたゾンビは空中に放り投げられ地面に鈍い音を立てて落下した。
俺は恐る恐る屋根の上から下を見下ろした。眼下ではゾンビの群れが餌を求めてワラワラと蠢きまるで一つの生き物のように口を開けてこちらを覗いている。
未だ心臓の高鳴りが収まらないのを感じながら、俺はとりあえずホッと一息つく。どうやら、危機は逃れたようだ。
「た……助かった」
ガトーが息を切らしながら呟く。全員、顔面蒼白ですっかり疲れ切っていた。無理もない。ついさっきまでゾンビの大群のど真ん中にいたのだ。長い緊張状態で精神と体力をすっかり消耗していた。
俺はボウガンを手に佇む中年女性に向き直る。遠くから見ると分からなかったが、女性にしては筋肉質で髪は短く切り揃えられた健康的な女性だった。遠くからのボウガンの射撃の腕もなかなかで、そういう技術に長けた人なのだろうか。
「ありがとうございます……えっと……」
「カルネ。私はカルネ」
彼女はぶっきら棒にそう言った。そこに友好的な態度はなく、こちらを訝しそうに見つめている。
「助かりましたカルネさん。あなたがいなければ……」
「待て」
俺が彼女に近づこうと一歩前へ出ると、彼女はボウガンを構えた。その先は俺の眉間をしっかりと捉えていた。
安心したのも束の間、俺達はまた緊張感に包まれる。
「そこから一歩も動くな」
そう言って彼女はボウガンを構えたままゆっくりと俺達の方へ歩み寄る。俺達は金縛りにでもあったかのように身を硬直させ、ただ成り行きを見守ることしかできなかった。
「あなたの心配は分かってます。僕達が奴等に噛まれたかどうかが知りたいんですよね」
口を開いたのはパウロだった。カルネのボウガンはパウロに向けられる。俺は慌てて止めようとしたが遅かった。彼女はパウロの切り落とされた腕を見て声を上げた。
「お前……噛まれたのか?」
「はい」
パウロは額に脂汗を滲ませながら答える。それは非常に危険な行為だった。ここまで生き残った者ならゾンビに噛まれた者が感染することは既知のはずだ。なら完全にゾンビになってしまう前に殺すことが最善だと言う事も分かっているはず。
案の定、カルネは動揺を一瞬浮かべると、すぐにボウガンを構え直し引き金に指をかける。
「正直な奴だ。悪いが死んでもらう」
「ま、待ってください!」
俺は慌てて声を張り上げた。そしてパウロの前に立ち塞がる。
「あきらめろ。そいつはもう助からん」
「パウロは感染してない!」
俺の言葉を彼女は鼻で笑う。
「なぜ分かる?」
「彼は噛まれてすぐに腕を切り落とした!」
「なに?」
俺の言葉に彼女は少し驚いた様子だった。いや、困惑したといった方が適切だろうか。無理もない。ゾンビに腕を噛まれた次の瞬間に腕を切り落とす判断ができる者などそうはいない。
「だがそれで感染が防げたという保証はない」
彼女の言う通りだった。そもそもゾンビの感染経路が何なのか、どれくらいのスピードで感染するのか、そもそも病原体なのか、ゾンビに関することはほとんど分かっていない。パウロがゾンビにならない保証はどこにもない。
俺が返答に窮していると、パウロが答えた。
「あなたの言う通りだ。でも、だからこそ僕を生かしてほしい」
「どういうことだ?」
カルネがパウロを見つめる。俺達もパウロに注目した。彼の顔はすっかり血の気が失せ蒼白に染まり目が虚ろになっていた。それが出血のせいなのか激痛のせいなのか、はたまたゾンビへの兆候なのか、俺には分からない。ただ彼の言葉に耳を傾ける。
「奴らに関することは何も分かっていない。どれくらいのスピードで感染するのか。感染の経路は? 感染の兆候は? 予防法はあるのか? 知りたい情報は多い。だけどゆっくり観察している時間はない。だから僕が実験体になる」
「実験体?」
「僕がこれからどうなるのか見てて欲しい。そしてできれば記録を付けたい。ゾンビになるまでの肉体の変化、精神面の変化、ありとあらゆることを。もし僕がゾンビにならず生き延びたら、いい前例として残しておくことも出来る。もし僕がゾンビになったら、構わず殺してくれて構わない。でもこの記録はきっと役に立つはずだ」
「フン。大層ご立派だけど、生き延びたいがために都合のいいことを言ってるんじゃないか?」
「そう思うなら殺してくれ。人間の内に。正直、この痛みから逃れられるなら死すらも甘美に思えてくるんだ。でも……どうせ死ぬなら研究のために死にたい」
パウロの言葉は弱弱しくも、そこにははっきりと強い意志が感じ取れた。少なくとも、その場しのぎのために嘘をついている様子ではない。彼は本気で自分を実験体に使うつもりだ。
パウロは静かに微笑んだ。死を目前にした諦めの笑みでもなく、自虐的でもあり喜劇的でもある嘲笑だった。彼はむしろこの状況を喜んでいるようでもある。それは俺を含め、カルネを畏怖させた。
カルネはしばらくの間、逡巡した後、ボウガンを下げた。
「少しでも兆候が見られたらすぐにお前の頭を撃ち抜く」
それを聞いてパウロは笑顔を向けて言った。
「ああ。それで構わない」
張りつめていた緊張の糸が途切れ、俺達はホッと肩を落とした。だが、安心してもいられない。まだ振り出しに戻っただけだ。
するとカルネは俺達に背を向け歩きだす。
「行くぞ」
「ど、どこへ?」
シャーリーが不安げな声を上げた。カルネは振り向きもせず言う。
「私達のキャンプだ」
◇◇◇◇
俺達はその後、カルネの後をつきながら屋根から屋根へと飛び移っていった。慣れない移動に手こずりながらも、みんな必死で飛び越えていく。無理もない。ここから落ちれば足を折るだけでは済まない。町を見下ろすとそこには生ける屍が餌を求めて徘徊しているのだ。
移動しながら、俺はカルネの言ったことを思い出していた。彼女はあの時“私達”と言った。それはつまり、他にも生存者がいるということだ。
それは俺の中に微かな希望をもたらした。とにかく今はカルネの後をついて行くことに集中しよう。そこからまた別の作戦が思いつくかもしれない。
しかし気がかりはパウロのことだった。俺は後ろを歩くパウロに目を配った。切り落とした腕は袖を縛って止血しただけで、痛々しく滲んだ血が黒く凝固していた。
パウロの表情からはすっかり生気が失せ、眼は焦点が合っておらず今にも倒れそうな様子だった。
「大丈夫ですか?」
「心配……ありません」
「でも――」
「フフ。安心してください。まだゾンビになる兆候はありません。ただ少し血を流しすぎたようです。足手まといになるようでしたら遠慮なく置いて行ってください」
そう言ってパウロは力なく笑った。俺は首を振ってパウロの肩を持った。
「置いてなんかいきませんよ。みんなでここから脱出するんです」
別に正義感とか同情心とか、そんな大層なものではなかった。ただ彼はここまで生き残った数少ない人間だ。それに彼の観察力やゾンビへの関心はこの先もきっと貴重なものになると俺は思った。それだけだ。
パウロは一瞬、俺から離れようとしたがその体力すら無く観念したように俺に掴まって歩きだした。
しばらく進んでとある建物の屋上へと俺達は辿り着いた。
「ここだ」
カルネは振りむくとそう言った。
そこにはカルネ以外にも生存者の姿があった。男女含め数人といった程度で、年齢もバラバラでみんな疲弊した様子が伺い知れた。彼らは俺達を見ると次々と驚きの声を上げる。
「生存者か!」
集団のリーダーらしき壮年の男が立ち上がりカルネに問いかける。
「ええ。奴等に襲われてた所を助けたの」
「感染はしてないんだろうな!?」
「さあ? 一人噛まれた奴がいるけど……」
「なに!?」
カルネの言葉を聞いてみんなの間に動揺が走る。片腕を無くし血を流したパウロに全員の注目が集まる。俺は慌てて前に出ると説明した。
「大丈夫です。彼は感染する前に腕を切り落としました」
「腕を切り落としただと!?」
信じられない、と言った表情でみんなはパウロを見つめる。しかしそれは逆に俺達への警戒心を強めてしまったようだった。どうやら俺達は歓迎されていないらしい。
「カルネ! お前は私達を危険に晒すつもりか? 感染の疑いのある者を連れてきおって!」
「今のところは彼は正常よ。それに彼がこのまま正常な状態を維持していたなら、これは貴重な情報源になる。もし奴等と同じようになったらその時は私が責任をもって殺すから」
「そういう問題ではない!」
カルネと男は口論を始めた。俺達は取り残されたようにその場に佇んでいると、生存者の中でこちらを見る一人の少女の姿があった。俺は彼女の顔を見て思わず声を上げた。
「ティオ!」
俺は叫ぶと同時に走り出していた。彼女も俺の姿を見て驚いた様子で声を上げると駆け出した。
「レイン!」
俺達は立ち止まることなく勢いよく互いの身体を抱き寄せた。周りの目など気にしなかった。ただ夢中で喜びを噛みしめるように彼女の身体を抱きしめた。




