第九十六話 嵐の前の静寂
◆戦いの余波
深海は静かだった。
つい先ほどまで轟いていた砲火の音もなく、爆発の閃光も消え去り、暗黒の水圧だけが重くのしかかっている。
〈みらい〉の艦橋では、ユイが残骸の追跡を続けていた。
「旗艦の反応……完全に消失しました」
艦内に安堵の空気が広がり、子供たちが声を合わせて歓声を上げる。
「やったぁ!」「勝ったんだ!」
レイリアは座席に崩れ落ち、額の汗を拭った。
「まさか、本当に勝てるなんて……」
遼は椅子に深く腰を下ろし、だがその表情は引き締まっていた。
「勝ったのは一戦にすぎない。グラディオンは、これで終わるはずがない」
◆残された影
ユイが淡々と報告を続ける。
「周囲に残存艦隊の反応はありません。しかし……」
「しかし?」
遼が視線を向けると、ユイの瞳が微かに揺れた。
「旗艦の沈没と同時に、広域通信が発せられました。“帝都”宛てのものです。内容までは解析できませんが、救援要請と……封印区画の突破情報が含まれている可能性が高いです」
艦橋が静まり返った。
レイリアが苦い顔で呟く。
「じゃあ……この戦いで、私たちの存在が本格的に帝国に知れ渡ったってことね」
◆一時の安堵
だがその緊張を和らげるように、居住区から子供たちの笑い声が響いてきた。
温室では、新たな“リーヴァ”の芽が育ち、子供たちが小さな手で水をやっている。
「ユイおねえちゃん、これ見て! また芽が出たよ!」
「まあ……本当に」
ユイは膝をつき、子供と同じ目線で芽を見守った。
「この世界は、まだ育つ余地がある。だから……守らなくちゃ」
その姿を見ていた遼の表情が、ほんのわずかに和らぐ。
「……そうだな」
◆帝都の動き
一方その頃――グラディオン帝都。
瓦礫のように散った《アーク・ノワール》からの最期の通信が、軍中枢に届いていた。
巨大な謁見の間で、将官たちが膝を折り、玉座に座る皇帝の影に報告する。
「……旗艦が沈んだ、だと?」
低く重い声が広間を震わせた。
将官は恐怖に顔を歪めながらも答える。
「はい……未知の艦、“みらい”によるものかと」
しばしの沈黙の後、皇帝は静かに告げた。
「ならばよい。全軍に布告せよ――“みらい”の捕獲を最優先とする。旧文明の力は、我が帝国が掌握するのだ」
その声は、海を越えて広がる嵐の前触れだった。
◆新たな舞台へ
再び艦橋。遼は皆を見渡し、静かに言った。
「俺たちの戦いは、もう隠せない。帝国が本気で動く。次は……もっと大きな戦いになる」
レイリアが強く頷いた。
「でも、私たちには仲間がいる。子供たちがいる。希望を守る理由がある」
ユイは遼の隣に立ち、瞳を輝かせた。
「艦長。どんな敵が来ても、私はあなたと共に戦います。
この艦は――“未来を守る砦”ですから」
深海を抜けた〈みらい〉の艦首が、光差す海面へと向けられた。
それは、嵐の時代へと進むための決意そのものだった。




