87話 休日の日常②
井出は一人住宅街の歩道を歩いていた。
今日は日曜日でバイトが休みだった。
週休が2日もあるなんて、この不景気ではなかなか無いことだが、それはフリーター暮らしである彼ならではである。
だが、親からの仕送りがなければ、こんな休みは二度とやってこないであろう。下手をすればアパート暮らしもできなくなるかもしれない。
一週間ずっと働いてもきっと食べるのが精一杯の暮らしがやっとであろうし、衣食住を満たせるほど世間は甘くないだろう。
学生時代はホームレスなどまるで別世界の話だったが、今時そこまで珍しいこととも感じない。
時にニュースなどで若い連中がホームレスなどを暴行する話が話題になるが、彼らは自分がそういう世界の人間になることなどきっと全く考えてもいないのだろう。
日差しが少し強く、暖かい歩道を歩きながら、井出は昔、学生時分に恩師に言われた言葉を頭の中で繰り返していた。
『家があるのは才能』と恩師に言われ、その当時は全く意味がわからなかったが、フリーター暮らしの今ではその言葉の意味が嫌というほどわかる。
そのうち遅かれ早かれ仕送りは止まるだろう。
それが来年になるのか、それとも来月からかはわからないが、考えるだけでもゾッとする時はある。
その時までにもう少し安定的な暮らしを手に入れたいものだが、井出にはそれを手に入れる方法が中々思いつかなかった。
会社も一度辞めた身では、再就職というのも難しい話であり、井出には世の若者で少なからずいる、青い鳥症候群の若者たちが羨ましく、そして憎くも思える。
だが、彼らには精神的な余裕があるのだと井出は思う。
今の仕事が本当に自分に合っているのかと悩み、彼らは別の仕事を探しに今の仕事を辞めてしまうのだが、その行動がフリーター暮らしの井出には酷く羨ましかった。
しかし、井出がそう思うのは所詮外野の考えであり、彼らには彼らなりの事情があるのだろう。
彼らとて、井出が上司を殴って仕事を辞めたことについて、きっととやかく言うはずだろう。
そう思うと結局、井出が彼らのことを否定できる理由などありはしない。
そんな暗い考えを頭の中で膨らませていた井出の思考を、ジーパンのズボンに突っ込んでいた携帯のアラームがかき消した。
すかさず井出は携帯を取り出し、画面を覗くと小林からのメールを受信したとの報告が画面に写っていた。
昨晩は用事でログインできなかったが、今晩はログインできるのかと、小林らしく丁寧な文章でそう書かれていた。
そのメールに対し、井出は夕方にはまたログインすると簡潔に文章を打ち込み返信を済ますと、また携帯電話をポケットに押し込み、ゆっくりと歩きだした。
住宅街の歩道には日曜日のせいか、チラホラと散歩などをしている人の姿が見える。
時には犬を連れていたり、夫婦であったりして、先ほど何度かすれ違ったが、今度は恋人なのだろうか若いカップルがちょうど井出の前から歩いてきて、すれ違った。
井出の事など眼中にないかのような浮いた話をしているようだった。
すれ違う瞬間になって、やっと歩いていた井出の姿を見て、カップルは慌てて井出に道を譲った。
井出の服装はジーパンにTシャツと至って平凡なのだが、やはり井出の強面が原因なのだろう。
話に夢中になっていて、すれ違いざまに少しぶつかりそうになったことをカップルが少し詫びて、足早に通り過ぎていった。
そう足早に去っていくカップルの後ろ姿を眺めながら、井出は自分にそういう女性がいないということを少し悔やんだ。
悩み話を打ち明ける友人が井出にいないという訳ではないが、やはり彼女と言う存在はそう言う友人とはまた違う存在なのだろうか。
いや、そんな単純なものではないだろう。
希に学生時代の友人からメールが来ることがあるが、それ等の内容は近々結婚するなど大分浮いた話題が多かった。
職場で付き合いだして上手くいったとか、学生時代から付き合っていた女性だとか、ひどい話となるとたかだか3週間付き合っただけで、結婚するという話まである。
しかし、友人のそんな事情に色々口出せる程、井出にそういう浮いた経験は少なく、また今までそういう恋愛などに酷く鈍感であった学生時代の自分を少々恨めしく思う。
だが、そんなこと今更後悔しても遅いことだと、井出は自分に言い聞かせ、歩道をゆっくりと歩いていった。
しばらく歩道を歩いていくと、人通りの多い道に出た。
住宅街の道路とは比べ物にならないほどの人とすれ違いを続けながら、井出は先日の休みに吉沢に連れ込まれたファミレスのまで歩いて行った。
相変わらず面倒臭そうに料理の乗った盆を手にした熊が、店前に設置されている。
「もうちょっと真面目にしろよ。」
井出はそう熊に呟きながら、ファミレスへ入店した。
日曜日ということもあり、店内の席はほとんど埋め尽くされていたが、井出がボックス席などを入口から見回していると、店の奥の窓際にあるボックス席から帽子を被った男が一人立ち上がって、井出に手を振っていた。
ウェイトレスなどは忙しく料理を運んだり、注文に回っているようで、入口で突っ立っている井出には目がいかないらしい。
いちいち呼び止めるのも申し訳ない気がしたが、いきなり席の方へ歩いていくのも図々しく思えて、目の前を忙しく通り過ぎようとしたウェイトレスに声をかけた。
まだ若いそのウェイトレスは営業スマイルを顔に貼り付けて、井出に挨拶をしようとしたが、井出の顔を見るなり、その表情は少々怯えたものに変わった。
よく見れば、先日吉沢との井出を見て少し怯えた接客態度に多少難のある店員だ。
「待ち合わせをしてるんですが・・・。」
そう井出はできる限り落ち着いた口調で話しかけたのだが、何故だか知らないが、店員には井出の口調がとても怖く聞こえたらしい。
名前を聞かれたので、井出が答えると、待ち合わせの席の場所だけを教えて、逃げるように奥へ引っ込んでいってしまった。
どうも最近こんな調子だと、少し残念そうにその待ち合わせの席まで歩いていくと、先ほど席から立ってこちらに手を振っていた男が、井出を見て被っていた帽子を一旦脱いで、小さくお辞儀をした。
「どうも。団長お久しぶりです。」
帽子を被っていた男は、丁寧にそう言った。
ただし、店内でも帽子をそんな脱ぎたくないようで、井出が座ると、また帽子を被り直した。




