113話 市街戦③
一体、今晩は何回程、缶珈琲のプルタブを捻ったのかと、井出はそう画面の前で考えはしたものの、口の中に甘ったるいカフェインを流し込み始めると、それを考えるのはやめた。
そんなどうでもいいことを考えるということは、自分はきっと現状から逃避したいということである。
先程ベランダに出て柳沢から貰った安煙草を吸ったが、あれはなかなかに酷い味で、特に井出は煙草の味について気にしたこともないのだが、そんな自分でも、あの舌先にピリピリくる辛味だけはこれ以上味わいたくなかった。
そんな不満を画面の中にいるであろう柳沢の操作するミダズのクソッタレにぶつけたかったが、当の本人もキャラクターも行政区内の何処かに姿を暗ましている。
そして、ここのところは毎度の話ではあるが、卵は何も手柄を立てていない。先日の村でもサイコ女をロストさせたのはシシャモであるし、その前の森で戦闘になったあの番犬野郎は3人で囲んで殺ったのだから、自分の手柄にカウントはされないだろう。
そして時間をだいぶ現在に戻した、先程の商業区で出くわした鳳凰騎士団の副団長は雰囲気的に卵とシシャモが相手するものばかりと思っていたのだが、それは何故かミダズに横取りされてしまった。
まぁ仮にあの副団長と戦うことができるにしても、鈍重な卵で相手になるかと聞かれればそれはまた別問題なのではあるが。
「はぁ...」
そんな事を考えていると卵は自然に溜息が出た。
正直、呑気に溜息を付けるような状況ではなかったが、自分は先程からユエの護衛に徹していて、元々ユエの事など全く関係ない敵にとっては、彼女を襲おうなどとは考えていないだろうが、万が一ということもある。
だが、卵がそんな神経を尖らして周りを警戒しなくても、他の連中が大体敵を片付けてくれていた。
前方から敵が向かってくれば、細身の剣を携えたバックスと妙な怪力を持っているニッキが相手をするし、後方となれば傭兵組合屈指の槍の使い手と自称するギレットが相手をし、そして、側面は我が巫女攫いの名誉ある副団長であるシシャモが相手する。
そして、時にその囲いをくぐり抜けてくる敵を卵が相手をするわけなのだが、そもそも敵に囲いを突破する必要自体がないので、卵の仕事はユエにセクハラ野郎と罵られながらも、ユエの戦闘に参加したい興奮を押さえ込むために、肩をしっかりと掴んでいるだけである。
「いい加減に離してください。訴えますよ?」
「どこにだよ...それに絶対、前に出るつもりだろ」
「前になんか出ませんよ」
「じゃぁ後ろか?」
そんな下らない会話をしながら、ユエは挑戦的というよりはほぼ侮蔑的な視線を卵に浴びせてくる。
自分が護衛対象であると自覚をし始めた時から、どことなくこの少女は卵に対して、何処か下に見ている節があった。
何故か彼女に近い存在であるラヒムからは尊敬されている存在であるということは、ここ数日の会話や行動を見る限り把握できるのだが、実際のところこの卵の実力に対して、ユエは見掛け倒しであると踏んでいる。
現に森の時は3対1であったし、峠ではただ矢を放って、瀕死の敵に止めを刺しただけであるし、先日に至っては肝心な場面で矢を外したという。
昔は騎士であったとかどうとか、チャット欄を見る限り知ってはいるが、どうせ見掛け倒しのただの下衆なのだろうと彼女は考えていた。
それに、ブルドッグを模した甲から覗く醜悪な顔を見れば、自然にユエはこの卵という男が嫌いになってくる。
まるで巨大な卵の頭頂部の様に丸みを帯びた頭頂と、それに反して山の麓の様な広く太った顎、そして、その不気味な山を彩るかのように付いた多数の傷跡。
見る限り、騎士というよりはどう見ても薄汚いチンピラと極悪な太った富豪を足して2で割った様な顔である。
何故こんな男に、先程の敵は礼儀的な態度を示したのか全くユエには理解できなかった。
「...なぁ」
「何ですか?」
「さっきから異様に戦闘に加わりてぇみてぇだが、あんたって旅芸人なんだよな?」
「えぇ、そうですよ」
「...そうだよな」
そんな風にユエが気持ち悪がって、自分の肩を抑えている卵を鎌で引き裂いてやりと思っていると、不意に彼はユエを覗き込むようにして、声をかけてきた。
「旅芸人だよな」
「えぇそうです。失礼な人ですね」
「あぁ悪い...しかし、どう考えても、お前特に旅芸人らしいことしてない気がしてさ」
「...それは別に見せる必要がないからです」
「じゃぁ後で俺が金を払えば、何か芸をやってくれるか?」
「嫌です」
「畜生」
そうあっさりとユエが答えると、彼は舌打ちをして、視線をユエから前方のニッキ達に移した。
誰がお前の様な化物に芸など見せるものか、例えその小脇に抱えたクロスボウで脅されたって私は屈しない。
芸人だって客を選ぶ権利はあるはずだ。
だが、先程ロストしたラヒムならば、いくらだって見せてあげたっていいとユエは思っている。
なんなら無料で見せたっていい。
むしろ見て欲しかった。
昨日の酒場では失態を犯したが、今度こそ華麗に、それこそ整った舞台にて自分の舞う姿を見て欲しかった。
現実で見たことのない相手のことを思うなどとは、馬鹿馬鹿しい話ではあるが、時に妄想は現実を凌駕するものであることは、このゲーム。いや、ネットにどっぷりとはまっていれば誰しも思うことなことなのかもしれない。




