109話 古塔⑤
その姿はまさに化物と形容して良い者だった。
どうにも灯りの具合で相手の表情などはよく見えなかったが、ラヒムを見下ろしている顔には暗闇でも輝く紅い瞳が二つあり、それを見たラヒムは思わず驚いた拍子に短剣を前に突き出した。
だが、また不思議なことに短剣の切っ先は宙を舞うだけで、目の前の異形な化物には全く刺さらない。
一体何が起こっているのかラヒムは我武者羅に短剣を振り回してみるが、そのうちに異形の化物は奇妙な悲鳴を上げて、奥へ逃げていってしまった。
暗い室内がどうなっているのかよくわからないが、どうやら奥には階段があるらしく、その化物は階段を慌てて登っていってしまったらしい。
ふと化物の姿が消えた室内を見回すと、先ほどの卵達の姿は消え去り、室内を天井から吊り下げられたランプの灯が照らしている。
その光に照らされたテーブルの上には先程まで、卵等が乱暴に食べ散らかしていたはずの皿に盛られた料理が、何故か全く手付かずのままで残されていた。
「...幻影か?」
そうラヒムは今まで目の前で起きた事は何だったのかと思い返した。
新手のバグかと画面越しに小林は思ったが、それにしては鮮明な映像であったし、あの様なバグがあるなんて初めて知った。
そんなことを考えているうちに、自然とラヒムの足は化物が逃げ去った階段へと進んでいた。
既にラヒムは好奇心と言う名の化物に心を支配され、もっとはっきりとあの化物を見極めてやりたい気持ちでいっぱいだった。
このゲームにおいてNPCなど存在せず、よってあの様な化物がいる訳なんてないと今まで思っていた。
他の世にたくさんあるゲームならば驚きもしないことだが、人間同士の汚らしい行為のみが優先されるこのゲームにおいて、あの様な化物の存在は新鮮であり、もっとよく姿を見てやろうとラヒムは思った。
そう思うと、伸びた足は自然と階段を上り始めた。
先ほどの螺旋状の階段とは違い、壁に松明は掛けておらず、それほど明るくはなかったが、室内のランプから延びた光だけで十分に足元は明るかった。
ラヒムは短剣を構えながら階段を上り終えると、そこには下の部屋より狭い円上の室内があった。
どうやらここが塔の最上階であるらしく、壁にはいくつかの丸い形をした窓があり、そこから月光が差し込み、室内をぼんやりと照らしていた。
室内の壁には窓のほかに大きな棚が並んでいて、なにやら大量の瓶が並べられており、瓶の中には月明かりほどではないが、うっすらと発光するよくわからない物体が詰められていた。
しかし、そんな風にラヒムが室内をゆっくりを見回していると、幾つかある棚の間に先ほどの化け物がうずくまっているのが見えた。
「...あんたは何者だ?」
そうラヒムは静かにうずくまる化け物に問いかけた。
だが、彼の言葉に化け物は答えず、うずくまったままだ。
それを見て、ラヒムは化け物に短剣で切りかかってやろうかと一瞬思ったが、それ以前に自分は不法侵入者であり、武装をしているので、化け物はもしかしたら怖がっているのではないかと思った。
月光に照らされていても化け物の姿はよく見えなかったが、どことなく小刻みに身体を震わせているようにも見えた。
そう思うと、とっさに心の内にあった闘争心は消え去り、気付くとラヒムは短剣を鞘に収めて、うずくまる化け物にゆっくりと歩み寄っていた。
「...すいません。勝手に入ってきちゃって...てっきり廃墟か何かだと思いまして...」
自然と先ほどまで短剣を握っていた右手は申し訳なさそうに後頭部に延びて、頭を下げながら頭を掻いていた。
「あー...ここは一体何処なんですかね?自分迷っちゃって...」
そう申し訳なさそうにラヒムが言うと、化け物は首をもたげて、こちらを見た。
月明かりに照らされてやっと相手の表情がわかった。
化け物は女であった。
それも髪が長く、やつれた表情をしていた。
顔は恐怖に強ばっているが、ラヒムが申し訳なさそうにしていると、それを見て幾らか表情をゆるませた。
「そうですかぁ...迷子さんでしたかぁ...私はてっきり私を殺しに来た人だと...」
女の化け物はラヒムの言葉に答えずに唇を震わせて呟き、ゆっくりと窓を見た。
そして、幾らか間をおいて言葉を紡いだ。
「ここは塔です...あぁそんなこと言われなくてもわかりますよねぇ...正式な名前なんてありません...ここはただの古い塔ですよぉ...私と皆の思い出がさまようだけの...」
化け物はそう寂しそうに言って、視線をラヒムに向けた。何処か愉快そうな目つきをしていた。
「皆?」
「えぇ...私と騎士団の皆の思い出...」
そうまた寂しく言うと、化け物は丸めていた蛇の下半身を開いて、ゆったりと床に広げて、窓辺にあった小さな机まで這いずっていき、机に腕を乗せた。
「騎士団?」
騎士という単語に今度はラヒムが身を強ばらせた。
騎士というとここ最近よく危ない目に遭わせてくれる連中ではないか。
まさか、森で見たときのような番犬騎士団のようなチートを使った異形かと、ラヒムは警戒した。
だが、不思議と目の前の化け物から敵意は感じられず、逆に奇妙な親近感すら感じた。
言葉では表しにくいが、何処か昔の思い出に思いを馳せる様な化け物の仕草に、ラヒムを操作する小林は現実においての己の心境を重ね合わせた。
「えぇ...宮廷巫女親衛隊...」
化け物はそう言って、窓辺から外の景色を眺めている。
「...いえ、巫女攫い と言った方がご存じかと」
化け物は静かにそう呟いて、その言葉に驚いたラヒムの様子を見て、愉快そうに笑みを浮かべた。
今この化け物は 巫女攫い と言った。
その単語を耳にしたと言うより、目にした瞬間ラヒムにまるで稲光のような衝撃が走った。
狼狽えないわけがない。
ここ最近ずっと卵の口から出ていた謎の言葉が、この化け物の口から飛び出したのだ。
「卵さんを知っているんですか?」
「えぇ...よく...井出さんについても知っておりますよ...」
そう化け物は落ち着き払って答えた。
ラヒムの脳内には怒濤の如く様々な質問が思い浮かんだが、それを口にする前に、化け物はぼんやりと口を開いた。
「卵さんにシシャモさん...ミダズにモリオン...ハンスに...サムソン...皆良い人ばかりで...貴方が下の部屋で見たように皆楽しく...」
回想に浸っている化け物はラヒムの言葉にしばらく答えず、ずっと窓から見える月を見上げて、ぼんやりと呟いていた。
「あの人は覚えていないようですが...私はいつまでもあの人を思い続けて...」
そう呟き続ける化け物の瞳に、うっすらと涙が滲んでいるのをラヒムは見逃さなかった。
一体この化け物は何者なのだろうか、いや、多分話の流れからしてこの化け物が巫女ということではないだろうか。だとすれば、卵さんは昔とんでもない奴と一緒にいたのだなとラヒムは同情に似た気持ちを抱いた。
『詳しいことは知らねぇけどよ...オデはあの化物と一緒に過ごすのはゴメンだぜ。ダンヂョオが言うがら、仕方なく...』
巫女攫い戦闘員 サムソン




